1.「手のひらに太陽の家」の概要
宮城県登米(とめ)市に「手のひらに太陽の家」という大きな木の家があります。森林資源を活用することで循環型社会をめざすNPO法人「日本の森バイオマスネットワーク」が東日本大震災で被災した子どもたち・親子のための環境共生住宅として建てたもので、原発事故の放射能汚染を受けた福島県からの親子の「保養」に利用されています。
「日本の森バイオマスネットワーク」は、森林資源の活用として、木材をペレットや薪といったバイオマス燃料、家づくりや家具に用いること、子ども達を育む環境教育の場とすることと、多角的な取り組みをしています。「手のひらに太陽の家」は建築に地元材をふんだんに使っているというだけでなく、木材ペレットをはじめとした自然エネルギーでまかなわれていること、そこで子ども達が自然と触れ合うプログラムを体験できることが大きな特徴です。ハード面、ランニング面、ソフト面と三位一体で、「日本の森バイオマスネットワーク」がめざす「森林と人とが共生するあり方」を体現しているのが「手のひらに太陽の家」であるといえます。
今回の特集ではこの「手のひらに太陽の家」をつくるプロジェクトに「日本の森バイオマスネットワーク」の会員として深く関わった二人の木の家ネットのメンバーにお話をうかがいました。工務店として建築面を担当した大場江美さん(宮城県・サスティナライフ森の家)、「手のひらに太陽の家」というネーミングやロゴデザインまで含めて設計全般に携わった日影良孝さん(神奈川県・日影良孝建築アトリエ)のお二方です。次のような構成でお届けします。
1.「手のひらに太陽の家」の概要
2. 東日本大震災の発生〜「手のひらに太陽の家」構想の誕生
3. 「手のひらに太陽の家」プロジェクトが実現するまで
4. サスティナライフ森の家の取り組み:自伐林業と復興支援住宅
サスティナライフ森の家 代表
大場江美さん
三人の元気なお子さんたちを育てながら工務店「サスティナライフ森の家」の代表として活躍しています。地元宮城県栗駒・鳴子地域の森とつながる家づくりを通して、その名の通り、地球や人と共生できる「サスティナブル(持続可能)な暮らし」をつくるしくみを実現しています。
自身が被災した宮城県内陸地震の体験をもとに、東日本大震災の直後から被災地支援に動き、「日本の森バイオマスネットワーク」の仲間達とともに「手のひらに太陽の家」プロジェクトをたちあげ、2012年にオープン。現在に至っています。宮城県栗原市在住。
サスティナライフ森の家 公式サイト
日影良孝建築アトリエ
日影良孝さん
ご自身も岩手県生まれ。東日本大震災直後に、建築にたずさわる大人として、被災して困難に直面している子ども達をなんとかしなければ!という強い思いをいだき、大場さんとのつながりで「手のひらに太陽の家」の設計に携わることに。
土地取得、資金調達がまったく見えない手探りの状態から、手弁当で宮城に通いながら、設計を担当。「子どもたちが希望を失わないで元気で居られる家」を作ることをめざしました。「手のひらに太陽の家」で木の建築フォラム主催の第8回「木の建築大賞」(2012年度)を受賞。
日影良孝建築アトリエ 公式サイト
一般社団法人くりこま高原自然学校 代表理事
NPO法人日本の森バイオマスネットワーク 代表理事
佐々木豊志さん
栗原市で「一般社団法人くりこま高原自然学校」を主宰し、長年子ども達の環境教育に携わってきた佐々木さん。宮城県内陸地震で自然学校のフィールドである山から一時的に下りることを余儀なくされた時に、森林資源をもっと活用していくことで森を守るという主旨で活動する「NPO法人 日本の森バイオマスネットワーク」の母体となるプロジェクトを立ち上げました。
環境教育や森と人とをつなぐ活動に日々東奔西走しながら「手のひらに太陽の家」の運営を手がけています。
一般社団法人くりこま高原自然学校 公式サイト
NPO法人日本の森バイオマスネットワーク 公式サイト
誰がどのように利用しているの?
大場 大場江美さん:2012年7月の開所以来、2013年末までの時点でのべ223家族、3,397人の親子に利用されてきました。そのほとんどは、大震災後の原発事故後の放射能被害に悩む、福島県からの親子です。寝泊まりとお風呂は家族ごとのお部屋で、食事はいっしょに泊まっている他の家族やスタッフと共に、登米の地元の野菜などを調理して食べる共同生活をここでします。
一回あたりの利用日数は2〜3泊から1ヶ月。子どもを外で思いっきり遊ばせる、親子で自然体験を楽しむ、親同士やスタッフと話し込んで気持を発散・整理するなど、直接・間接にかかる放射能のストレスから一時解放される場として活用されています。
利用者の声
利用者 子どもは心から笑顔で遊ぶことができ、大人は子どもの笑顔で元気になれました。放射能を気にせず普通の生活をすることがこんなに気持ち良いことだったんだと実感。
利用者 原発事故の時には、実家にみんなで集まって息を殺すように過ごしていましたが、今回はみんなで楽しくのびのびと笑顔で過ごすことができました。また来たいです!
「手のひらに太陽の家」はどこにあるの?
「手のひらに太陽の家」のある登米市登米(とよま)は、津波に見舞われた沿岸の石巻から北上川を遡上したところにある町です。仙台駅からはバスが運行されています。登米(とよま)は歴史のある古い町で、「宮城の明治村」と呼ばれるほど、昔の小学校跡や警察署など、昔からの木造の建物がたくさん残っている、街歩きをしてレトロな雰囲気を楽しめるところです。油麩が有名です。
その中心部の、体育館、役場、学校が集中する地域の少し小高い丘の上に、「手のひらに太陽の家」はあります。まわりに塀などの囲うものはなく、庭から建物までがよく見える、地域コミュニティーに開かれた場所です。家のまわりには、明治神宮からの苗木や樹木が植えられ、家の前庭 には、井戸のまわりの水辺で利用者とスタッフとで手作りしたビオトープもあります。
どのような建物なの?
「手のひらに太陽の家」は建築面積118坪、述べ床面積127坪の、地元の木を使い、地元の職人の手刻み・木組による渡り腮・落とし込み板壁構法の建物です。三角屋根の管理棟を真ん中にして、左右に、4つの小部屋が連なる長屋のようなウィングが、大きな鳥が羽根を広げたような形に並んでいます。
日影 日影良孝さん:被災して困難な状況にある親子に、まずは居心地のいい木の空間を提供したかった。それが第一です。ほかにも、森林資源の活用、地元の職人の雇用等、木の家にしたかった理由はいくつもあります。大きな施設だと全部を木で作るのは防火上難しいのですが、中央の管理棟と左右の住居棟とを200平米以下の3つの建物に分棟すること、大きな断面の木を使った燃えしろ設計、内壁と外壁を兼ねる落とし込み板壁等、さまざまな工夫で実現しました。
利用者の声
利用者 「手のひらに太陽の家」に入った瞬間、体中のストレスが消えたように思いました。自然素材のものは人間へのダメージが少なく、本当に素晴らしいと、手のひらに滞在して実感しました。
中央は2階建ての管理棟で、1階は居間食堂と台所とスタッフの事務室があり、2階部分は屋根裏状の広間になっています。東西は長屋状の住居棟で、ユニットバスと収納のある8畳の個室がそれぞれ4つずつあります。寝る、お風呂に入るといった面では家族のプライバシーを保ちつつ、食べる、遊ぶ、集うなどは、共同生活を営むことができます。
寝泊まりは、親子単位。長屋スタイルで
個室は、家族が泊まる部屋で、8畳の板の間です。北側の廊下から引戸をあけて、それぞれの部屋に入ります。部屋ごとにペレット温水ボイラーでまかなう温水暖房と屋根に設置した太陽熱温水パネルによって給湯する浴室が備わっています。
日影 この家で必要なエネルギーは、なるべく地域で得られる自然エネルギーでまかなうことで、復興に向けて、原発のいらない新しい社会のモデルとなる家にしようという思いがありました。プロジェクトをたちあげた「日本の森バイオマスネットワーク」の得意分野である、木質ペレットを暖房や給湯の熱源に使っています。
部屋の南は掃き出し窓になっていて、濡れ縁からそのまま外にも出られます。濡れ縁は、ほかの部屋とひとつながり。子ども同士が部屋から見えるすぐそこの外でいっしょに遊ぶことも、気が向いたらすぐに部屋のお母さんのところに帰ることもできます。
大場 放射能の空間線量が気になって、子どもを外で遊ばせていいか悩むという環境から来ているので、とにかく外で遊べることが、親子ともども発散になるようです。
日影 こういった施設では、収容人数を増やすために2階建てにしたり、廊下をはさんで北と南に部屋を配置したりしがちなんですが、「手のひらに太陽の家」では利用者がお互いに平たい関係性を保てるよう計画しました。管理棟を真ん中に配置し、左右の個室長屋のウィングは平屋に。どちらのウィングも廊下を北側に取り、部屋はすべて南向きです。どの部屋からも共用棟への動線や距離は似た感じになりました。
管理棟:ご飯はみんなで作って食べる
管理棟には、広い木の空間にオープンなキッチンと、大きな木のダイニングテーブル。利用者とスタッフがいっしょにご飯を作り、配膳し、食べます。にわか大家族のような環境の中、子ども同士も、親同士も心を開き、遊んだりしゃべったり、リラックスして時間を過ごすようになっていきます。
大場 放射能を気にせずに食べられる地元野菜中心の食事とおしゃべりが、放射能のことを話題にすることすらはばかられる福島での緊張した生活からの解放になっています。心配なことやこれからのことを自由に話せる。そのことにみなさん癒されるようです。
利用者の声
利用者 核家族なので沢山の人々にかこまれて良い経験をさせてもらいました。子どもは人見知りですが、少しずつ子ども同士遊べるようになりました。私自身も他のお母さんと交流ができ、良かったです。
利用者 スタッフの方々といろんなことを話したり、聞いてもらって心が軽くなりました。福島の生活は悩むことも多いですが、少し前向きに頑張っていけそうです。
あっちこっちが遊び場
日影 管理棟の二階への階段、宿泊棟への段差をあがる階段など、なるべく広く。間口いっぱいに作りました。「階段の途中」というのは、結構、子ども達が腰掛けて遊ぶいい場所になるんですよ。
日影 ほかにもこの大きな木の家には、意図せずして子ども達がたまる、滞留する、よじのぼる場所になっているところがいくつもあります。二階の屋根裏のはじっこ・すみっこに落ち着いて何かしたり、長屋の長い廊下を走り回ったり、柱で木登りしたり・・・いろいろに遊んでくれているようで嬉しいです。
プログラム
「手のひらに太陽の家」で共同生活をしたり、敷地内や近所で遊んだり散歩したりするほかに、森の中で自由に遊ぶ「森のようちえん」や、北上川や栗駒山といった周辺の豊かな自然環境を活かしたキャンプ活動なども行われています。
大場 普段、ハイキング、野外炊事、川遊びなどを楽しむプログラムに参加していただき、福島を離れて保養するという以上の、積極的に自然と触れ合う機会を作るようにしています。
利用者の声
利用者 これからますますこのような場が必要だと感じました。週末ごと遠方に行くのは計画するのも大変な労力が必要だし、経済的にも無理があります。それが半永久的に続くのです。ここに来て子どもは自然にふれて走って遊び、親はいろいろ語り合う・・・ずっと必要です。
佐々木 佐々木豊志さん:先日、地域もバラバラな子たちが一緒に泊まる子ども達の合宿をしたんですが、たった一泊でも、ほかで一週間やったぐらいお互いが親しくなるんですよ。室内でも遊べる場所がたくさんあるのもいいんだと思います。日影さんが「子ども達がつながる」ために心をこめて設計されたことが、実際にそうなっているなと実感しています。
建設費は? 運営主体は?
「手のひらに太陽の家」の土地取得および建物の建設は、アウトドアの総合メーカー、モンベルグループの全面的な協力により実現しました。
2013年度いっぱいまでは「手のひらに太陽の家」を立ち上げた「日本の森バイオマスネットワーク」が運営をしていましたが、震災から丸三年が経ち、補助金や寄付金が少なくなってきた2014年度からは、一般社団法人くりこま高原自然学校が代わって運営主体となりました。自然体験プログラムや企業研修などの採算事業を組み込みながら、福島からの利用者にはスポット的に、寄附金の予算内で利用料無料という形での受け入れを行っているといことですので、利用されたい方は「手のひらに太陽の家」にご相談ください!
福島の子ども達の受け入れを 今後も継続していきます
放射線量の高い地域での生活を強いられている子どもたちは、今でも自然の中で存分に遊ぶことも出来ず、心身に大きなストレスを抱えています。この問題を受け止め、少しでも子どもたちの遊べる環境を提供することは大人の責任ではないでしょうか。「手のひらに太陽の家」でもそうした子どもたちを受け入れて、伸び伸びと自然の中で遊ぶ場を提供していきたいと思います。
「手のひらに太陽の家」プロジェクト
代表 佐々木 豊志
(一般社団法人くりこま高原自然学校・NPO法人日本の森バイオマスネットワーク代表)
大場 被災された方以外にも「手のひらに太陽の家」は研修施設としてどなたにもご利用いただけます。自然環境や自然の中でのコミュニケーションを学べるくりこま高原自然学校の研修プログラムもいろいろあります。合宿、勉強会、社員研修など、みなさんにご利用いただくことが、福島の親子支援を今後も続けていく資金源ともなります。どうぞよろしくお願いいたします!
1.「手のひらに太陽の家」の概要
2. 東日本大震災の発生〜「手のひらに太陽の家」構想の誕生
3. 「手のひらに太陽の家」プロジェクトが実現するまで
4. サスティナライフ森の家の取り組み:自伐林業と復興支援住宅