全国の木の家ネットの会員は暑さ寒さとどのように向き合っているのか?
今回の「ブログ活用コンテンツ/つくり手の声」では、「暑さ寒さとつき合う知恵」について、職人がつくる木の家ネットのつくり手から寄せられたエントリーを編集してお届けします。
日本の気候の特徴は、四季があること。しかも、南北、東西に長く、地域によって少しずつ気候が違うこと。その気候とうまく付き合いながら暮らす知恵の集大成が日本の住まいだったはず。ところが最近では、住まいの価格(とりあえず取得する時の価格)を安くするため、大量生産の住宅が建設されるようになり、日本の気候とうまく付き合う知恵は忘れ去られて、地域の気候風土と付き合うというよりは、機械による空調設備に大きな力を借りる方式が主流になってしまいました。
滋賀、岩波さん
今、主流の家づくりは、日本全国同じような家を大量生産するやり方です。外の気温や湿度には影響されないようなハコをつくり、そのハコの中を空調することによって快適な室内環境をつくります。それぞれの家が空調に頼っている結果、都市はヒートアイランド化し、人間も生体としての温度調節機能のバランスが崩れるということが問題になっています。これからの、環境との共生や人としての居る力を引きだすことにも配慮した家づくりは、どこに向かえばよいのでしょうか?
日本にはそれぞれの地域独特の気候風土があります。その中で、人は昔から、空調などの設備はなくとも、その風土に生きる知恵をもっていました。忘れ去られかけているその知恵を、もう一度見直してもよいのではないでしょうか?
木の家ネットのつくり手は、家の外の環境と室内とを遮断するのではなく、どのように外の環境と折り合いをつけたらいいかを考え、自然の陽射しや風を取り入れることで、なるべく空調に頼らないで済む家づくりを考えます。どのようにそれを実践しているかとなると、地域によっていろいろなのですが、多様な中にも「自然に対する構え」としての共通点を見いだすこともできます。
それは、自然に対して「閉じる」ことで不都合な要素をシャットアウトするのではなく、自然に対して「どう開くか」に、工夫の力点をおいていることです。軒の出、空気の流れや風通しの作り方、土壁といったハード面から、すだれ、家を囲む緑、打ち水といったソフト面まで、木の家ネットのつくり手がブログエントリーに書きこんださまざまな工夫を、ここにご紹介します。
共通の姿勢
まず、共通してみんながあげているのは、外部環境との交流の中で、その季節はその季節らしく、エアコンに頼らなくても過ごせる家、ということでした。
せっかくのすばらしい環境を拝借し、日々の変化が穏やかに感じられる家
山梨、松田さん
エアコンに頼らず、風の通る家づくり。
静岡、寺川さん
夏の冷房はエアコン!と決めている住まい手の方が大半だと思いますが、全く機械を使わずとは言わないまでも、せめて扇風機ぐらいまでで夏を乗り切るような暮らしをめざしたい。自分の手で修理できる範囲の「ローテク」が精神衛生上も気持ち良いと思います。
愛知、中村さん
必要以上に高気密にしたり高断熱にすることは、少なくとも関東のエリアであればあまり気にすることはないように考えています。
埼玉、宮越さん
一番つらいのは夏でしょうね。(なのに)今や皆、夏を旨としないエゴな(設備に頼り、高気密高断熱な)住宅でそれを乗り越えようとしているのが実情だと思います。
東京、林さん
なぜ、高気密高断熱である必要がないのか。その理由を書いた方もいます。
緯度はイラクのバクダットと同じで、世界の主要都市のズーッと南方に位置している。先進欧米諸国と全く違う気候なのに、欧米の住宅工法を参考にしての九州での家づくりには疑問が多い。気候風土無視の代表は、エアコン頼りの高気密高断熱住宅だろう。九州でも厳寒の日は年に1週間ぐらいある。鹿児島だって雪が降ったこともある。その1週間の寒さが脳卒中を起こすとか、恫喝商法まがいのコピーで高気密高断熱住宅会社は住宅販売を行う。1週間の暑さ寒さ解消が、残りの358日に害を与える。
熊本、古川さん
現在の社会情勢や人々の生活形態を考えると、機械による空調をまったく否定するのは少し問題だと思いますが、空調がなければまったく快適さが得られない住まいというものは、環境を考えなければならない今後を考えると、あまり良くないものだと思います。
滋賀、岩波さん
ある程度の暑さ、寒さ。それは、人間のカラダにとってもいいことなんじゃないか・・という視点の意見もありました。
夏は涼しく、冬は・・正直、冬は寒いという声も一部には聞かれます。しかし高気密高断熱の暖房・冷房による快適性は人間の抵抗力を弱めるだけのものであり、目指さなくていい。暑い夏には汗をかき、冬には寒さを感じるのが人間にとって大切なのではないか、と思います。
三重、高橋さん
暑さ寒さにできるだけ順応できる身体を持ちたいものです。ハードな建物や設備機器にばかり頼らないで、季節に合わせた「装置」や「建具」、衣類や食事などの助けも借りましょう。そう先人たちは様々な知恵を持っていたのですから、それを利用しないのはもったいない、もったいない。
東京、林さん
クーラーが効いた中での仕事をした頃、それなりに快適ではあったけれど、室外へ出る時の不快感はすごかった。温度差によるヒートショックは確実に自律神経を冒すことを実感。都内での打ち合わせがあると、真夏の電車の乗り降りなどで明らかに体調がくずれます。皮膚は敏感ですが、急激な変化に体全体は対応はできないのです。暑い状況は快適ではないのですが、水分を補給し夏は汗をかくことによって、皮膚が体調をコントロールしてくれ、体には負荷がないということなのでしょう。設計を行っているものの立場としては建物の性能はもちろん重視していますが、皮膚の性能を喚起することも考えたほうが良さそうだということは間違いではなさそうです。
埼玉、宮越さん
エアコンに頼らずに「季節とつきあえる家」にするためには、温度や湿度といった数字だけを単純にクリアすればいいのではなく「室内での体感温度をできる限り下げる事。(山口、久良さん)」という視点が必要です。その「体感温度」の中身は、じつに複合的なものです。熊本の古川さんが、いろいろな要素をあげてくれました。
人が、快適・不快を感じるのは温度だけではない。温度だけで表現するのが1次方程式だ。しかし、人の感覚は、温度・輻射熱・湿度・風・更に気分まで複雑に絡む複次方程式だ。難しい。
<温度>
省エネのため、夏エアコンの温度は28度以上に、と言われると、28度が快適温度と思ってしまうが、湿度や風を複合的に利用すれば33度だって快適に住める。
<温度・輻射熱>
輻射熱とは、発熱体温度を物にあたると、その物の温度が上がる事をいう。寒い冬、太陽が雲から顔を出せば暖かく感じ、雲に隠れれば寒く感じる。気温は変わっていないのにその数秒でその暖かく感じるのが、輻射熱である。輻射熱をさえぎることで、体感温度は変わる。
室内の温度は31度である。縁側は35度。デッキは41度である。デッキ部が輻射熱の影響を受けているのである。
<人の体感センサー>
人の温度を感じる感覚は夏と冬では違う。冬の24度は暑く感じるが、夏の24度は寒く感じる。冬と夏では、大体5度ぐらい感覚に差がある。この人感センサーの切り替えは5月と10月である。この切り替え時に、温度管理を間違えるから体調を崩す。
<潜熱>
夜気温は下がっているのに、寝苦しいのが、潜熱。最近の住宅は、断熱性能が向上したので、一度暖めたら、なかなか冷めない。潜熱が夜まで持ち越す。
<風>
その土地にあった、風が抜ける道を家の中にうまくつくることができれば、かなり快適に過ごせる。熊本、古川さん