熊本震災発生から2週間経った5月3日〜5日、木の家ネットの会員有志が震災調査に向いました。今回の特集ではテーマごとに執筆したレポートの第2弾をお届けします。
- 地割れや土砂崩れが壊滅的な西原村
- 1階と2階、壁配置のバランスが大事
宮内 寿和
大工として感じたこと
人命を守ることが第一
あたりまえだが、大工として、家が「人のいのちを守る」のが、いちばん大事なこと。建築基準法で「想定外」とされる地震が来ても、建物の倒壊で人命が失われることがあってはならない。
「かたくつくる」ことで向上してきた耐震性
建築基準法ができてからも、大きな地震が何回も起き、その度に「建物をかためる」方向で耐震性が要求されるようになっている。
今回、熊本は震度6強以上の揺れに、2回見舞われた。それでも、1981年の新耐震基準を具体的な仕様として示した「2000年基準」を守っている建物のほとんどは、被害を受けていなかった。筋交いや構造用合板で壁をかためる。鉄筋を入れたコンクリート基礎に建物をとめつける。軸組を金物で強く接合する。建物が変形しないよう、移動しないよう「かたくつくる」方向で進化してきた在来工法の技術は、向上している。
「やわらかくつくる」伝統構法
ところが、我々が手がけている伝統構法は、元々「かたく地震力に対抗する」という発想でつくられていない。震度5程度までの地震には、土壁でこらえるが、それ以上になると、時に土壁を落としながら、軸組の木と木がめりこみ合い、もっといけば、柱の足元が動くなどして、もちこたえる。「変形もできるようにつくり、地震力を受け流す」つくり方だ。
基礎と建物の緊結、軸組の接合部に金物、筋交いや構造用合板で壁量を満たすなど「かたくつくる」ことが求められる基準法の仕様規定では、やわらかい建物はつくれない。石場建て、土壁、金物を使わない木組み、貫構造などの伝統構法でつくるには「それでも人命を守れる」ことを限界耐力計算で証明しなければならない。性能規定という、困難な道だ。
かたくつくるなら、かたく
やわらかくつくるなら、やわらかく
ところが、在来工法の仕様規定の範囲内におさめるために、伝統的なやわらかいつくり方の中に、かたい要素を入れてしまうことが少なくない。それが、良くない方向にはたらく例を目にして思ったのは「かたくつくるなら、かたく。やわらかくつくるなら、やわらかく。半端にまぜては、いけない」ということだ。
「やわらかくつくる」なら、筋交いや構造用合板は使わない。土壁や板壁でやる。木と木は金物接合しない。石場建てにするなら、部分的にでも、とめつけてはいけない。そう確信した。かたく、動かないようにつくったところが悪さをして、建物の破壊につながりかねない。古い着物に新しい布で継ぎ当てをすると、そこから裂けてしまうように。「変形できること」にあらがってつくってはならないのだ。
激震地にあって、すっくと立っていた
伝統構法の建物
ところで、今回、激震地にあってもそのままの姿で建っている築百何十年の家に出会って、感動した。変形できるよう、動けるように作ってはあるが、石場建ての足元もずれず、土壁も落とさず、すっくと立っている。さまざまな条件が重なってもいるのだろうけれど、作った大工の「かたさとやわらかさ」についての、絶妙なバランス感覚があってこそだろう。
「変形しても、倒壊せず、元に戻せる」ことが、伝統構法のよいところだ。震度6強で二度揺らされて「すっくと立つ」。それは「元に戻せる」こと以上に、すごいことだ。そのバランスを昔の名棟梁が意識していたのか、分からない。限界耐力計算など、ない時代。経験や勘から、なにか「理」をつかんでいたのだろう。
「やわらかさ」と「かたさ」の
バランスを科学的に解明したい
大工としては「きっちり」造りたい気持ちがある。木組みの仕口はキツく引き寄せ、材と材とがピッタリと組み合うようにしたい。大工としての性癖、欲望といってもよい。それを追究するのは、よいことだと信じている。
しかし、本当にそうだろうか。もしかするとそれが、建物を「かたく」してしまう面もあるのかもしれない。かといって、やわらかくつくりすぎるわけにも、いかない。震度5程度や台風の強風でふらふら動いたり、土壁が落ちたりするのでも困る。柔軟に変形するけれど、戻る軸組。大きな地震力を受けて柱が浮き上がったり、その場でカタコトと動くことはあっても、礎石からは踏み外さない足元。落ちても塗り直せるけれど、落ちない土壁。そのあたりのバランスを知りたい。
今の時代だから、科学的にもそれを検証したい。地震が来て初めて分かるのでは、失われるものが大きすぎる。研究者と協力して、解明していいきたい。それが、伝統構法を先につなげていく。そうしなければ先はない、と肝に銘じて。
宮本 繁雄
設計者として感じたこと
熊本地震と建物の被災状況の特徴
木造建物の被害を大きくした「キラーパルス」
今回の熊本地震は、平成7年の阪神大震災と同じ内陸直下型地震で、前震とそれを上回る本震との2度にわたって、強い揺れを観測しました。筑波大学の境有紀先生のホームページに「加速度応答スペクトル」が掲載されています。これは、地震動がどの程度の揺れの強さを生じさせるかと地震動の特徴を示すものです。
周期が1〜2秒の揺れが特に大きく、阪神・淡路大震災の記録で最大だったJR鷹取波を大きく超えているのが分かります。この周期の揺れは内陸直下型地震で出やすいもので、低層の木造建物に大きな被害をもたらすため「キラーパルス」と呼ばれています。
揺れの大きさを示す震度が同じ6強や7であっても、建物が地震動とが「共振するかしないか」で被害の程度は大きく違います。今回はこの地震動の周期特性が、建物被害を大きくしたのです。
「キラーパルス」の出方はごく局地的です。震源にもっとも近い益城町役場にある震度計(グラフの赤い線)の周辺半径200m以内では、建築年代や工法を問わず、50%以上が全壊していました。ところが、役場の震度計から650m離れたkik-net益城(グラフの黒い線)周辺では全壊率は7%に下がります。グラフからも、kik-net益城ではグラフの山がキラーパルスからはずれていることが分かります。実際に現地に行ってみると、ほんの少し離れただけで、被害の度合いが随分ちがっていることに驚かされます。
新耐震以降の建物の被害率は低い
日本建築学会の現地調査によると、阪神大震災の反省を踏まえて耐震基準が強化された2000年以降の新耐震基準を満たす建物でも51棟が全壊したとのこと。キラーパルスが発生したり、地盤が崩壊したピンポイントでは、致し方なかったのではないかと思います。
このような結果を受けて「建物の耐震等級をもっとあげるべき」という声高な議論もあるようですが、そのように単純なものではないと私は思います。
地震動に対する建物の耐震性能には「耐力:かたくもちこたえる」「減衰:地震エネルギーを吸収する」「変形:大きく傾きはしても倒れない」の3つがあり、耐震等級ではそのうちの「耐力」しか評価されないからです。同じ耐震等級であっても、筋交いと構造用面材とでは、被害のあらわれ方が違うのも目の当たりにしました。耐震等級の数字だけを見るのではなく、それぞれの建物のメカニズムに応じた評価をするべきではないでしょうか。
地震被害を少なくする方法
さて、伝統的な建物は、耐震等級でいえば、高くはありません。耐力よりも変形性能が卓越していることで、地震力をやり過ごすというメカニズムをもつのが特徴です。
偏心していても無事だった小屋や土蔵。軽微な被害で済んだ築200年の建物。曲げ破壊はしていても、生命維持空間は確保された文久年間の建物。石場建ての小屋で、束石から柱が落ちていたのを大工さんが上げて直したところ、翌日の応急危険度判定では緑(調査済)のシールが貼られたという例もありました。
変形性能を発揮しながらよく保っていた、あるいは地震の影響を受けてはいても修復しやすい伝統構法の事例に「建物に被害をもたらす地震力を低減する」特徴を学び、これからの建物の地震被害を少なくする方法を私なりに考えてみました。
1. よい地盤に建てる
今回の調査で、断層がずれたり、地盤が軟弱だったりする立地では、建物以前にどうしようもないということを実感させられました。立地を選べるのであれば、地震動が伝わりにくい「第一種地盤」に建てる。それがかなわない場合、地盤改良や地中杭を打つなど、しかるべき手だてを施します。
2. 瓦は「引っ掛け桟葺き」に
古い土葺きの屋根瓦が落ちた様子から「瓦は地震に弱い」言われています。だからといって、瓦そのものが悪いのではありません。ガイドライン工法にのっとった引掛け桟葺きの瓦の被害はほとんどありませんでした。
瓦には、台風などで傷んでも一枚ごとに取り替えがきくメンテナンス性のよさ、土から生まれて土に還りゴミにならない、美しい家並みを形づくるなど、良い点がたくさんあり、屋根材として使い続けたいものです。
新築の場合には桟葺きを、これまで土葺きだった家も、これから起きるかもしれない地震を考えて、桟葺きに葺き替えることをお勧めします。
3. 木組み、貫構造のめりこみに期待
木と木を仕口で組んだ木組み、貫構造からなる軸組は、金物でかたく接合するのとは違って、木同士がめりこみ合う余地があり、地震のエネルギーを摩擦の熱エネルギーに変換し、吸収することができます。
木組み、貫構造には、多くの接点があります。いわば、地震力を減衰させる効果をもった架構造といえるでしょう。
4. 建物の固有周期をのばす
1〜2秒の地震動の周期が建物に大きな被害をもたらすなら、建物の固有周期を延ばすのも効果的です。伝統構法の建物では、まず、相対的に剛性の高い土壁に地震力が入ります。土壁が部分的に落ちはじめると、建物はよりやわらかい状態になり、固有周期が長くなる方向に変化し、キラーパルスに共振しなくなるというメカニズムがはたらくのです。
土壁が落ちるのは一見すると大きな被害に見えますが、建物の固有周期をのばすことで、構造を守っているとも言えます。土壁は、塗り直せば、また使えます。
土蔵壁の外壁が大きく落ちたことも「防火のための外装材」と捉らえれば、深刻さは薄らぐのではないでしょうか。
5. 地震動の入力を絶縁させる
今回、柱を礎石に置いたたけの伝統構法の石場建ての建物では、地震力の入力を受けて礎石の上で柱脚が浮きあがったり戻ったりしました。柱脚が礎石から浮いた瞬間、地震動の建物への入力はなくなります。地震力を絶縁させるしくみといえるでしょう。
古い伝統構法の建物では、石場建ての柱脚は礎石からずれて落ちていることはありませんでした。上部構造がやわらかく、礎石から浮いても踏み外すことがないのは、見事でした。
伝統構法の定義を見直そう
ところで今回、国交省の報告でも、伝統構法らしい外観を持つ「現代工法の家」が「伝統構法の家」の被害と報告されていました。「検証委員会」の報告書で、伝統構法の定義はきちんとなされているはずなのですが…。
伝統構法の定義
「丸太や製材した木材を使用し、木の特性を活かして日本古来の継手・仕口によって組上げた金物に頼らない軸組構法」(2012年12月「伝統的構法の設計法作成及び性能検証実験」検討委員会による)
詳しくはhttp://green-arch.or.jp/dentoh/へ
在来工法との相違点
- 柱や土台は基礎に金物で緊結しない場合がある
- 柱に、貫・差物・梁・桁などを、木の特性を活かした継手仕口加工による「木組み」の技術で組上げる
- 壁は小舞下地の土塗り壁または板壁
- 主な水平抵抗要素は、軸組の曲げ抵抗、木材のめり込みによる接合部の回転抵抗、壁体の剪断抵抗により、高い変形性能を有する
伝統構法と現代工法の混在は危険なことも
変形性能重視の伝統構法と耐力勝負の現代工法とを安易に混在させると、地震被害が大きくなってしまう例が、今回の熊本地震でも見受けられました。
ある築200年の石場建ての家の内部に風呂場をもうけるために一部、コンクリートの基礎を高くもうけた事例がありました。そこで建物と地面とがとめつけられる結果となり、ほかは柱脚がフリーになっている上部構造が、とめつけられている反力で大きく動いてしまっていました。
一部をとめつけていなければ、礎石の上で柱脚が浮き上がってロッキングすることはあっても、礎石を踏み外すほど大きく動くことはなかったはずです。現に、一部をとめつけたりしていない伝統構法の建物の多くは、石場建ての伝統構法の古い建物の多くは、柱脚がフリーになってはいても、今回の地震の揺れで足元が礎石から落ちるほどにずれたり滑ったりすることはありませんでした。
こうしたことは、現代工法とは違った地震への構えをもつ伝統構法の性質を考えることなくしてしまう改修の結果として、よく起きることなのです。伝統構法の定義で指し示されている事柄を、個別の要素としてでなく全体像として理解し、改修にしろ新築にしろ、ふさわしいやり方を選択することが大切だと感じさせられました。
変形性能をさまたげずに耐力をあげる道を探りたい
今後の伝統構法を活かした新築については、ある程度までの地震ではこわれないよう、耐力を増すことも考えていく必要はあると思います。「変形性能を妨げない方法で、耐力をあげる」道があるはずで、それを切り拓いて行くことが今後の大きな課題だと認識しています。今回の地震から学んだことを通して、伝統構法が地震にもちこたえるメカニズムへの理解を深め、今後に活かしていきたいと思います。
過去の地震の履歴に学ぶ
地震が起きてみてはじめて、土地の歴史を知る
地盤工学会の調査により、今回の一連の地震で、熊本市内陸部の長さ約5km、最大幅100mの範囲に地盤の液状化による被害が集中していることが分かりました。ここはかつて川が流れていた「旧河道」であったと見られています。
また、熊本市で今回と同じような強い地震が約400年前にも、明治22年にも起きていたことも分かりました。今回の地震が起きたことで「ここはこういう土地なのだ」という履歴が、あらためて意識されたのです。
自然に逆らわない耐震設計を
このような歴史に学び、自然と人間の力量との境目を見きわめながら、自然に逆らわない耐震設計を講ずべきだということを教えられました。
杉岡 世邦
材木屋として感じたこと
熊本県南阿蘇郡西原村
南阿蘇観光の玄関口
西原村は熊本市から東へ約20km、阿蘇外輪山の西麓に位置し、原野と森林の多い緑豊かな地域。人口は6,867人(2016年2月)で、長年増加傾向にある。
特産品はサツマイモ(甘藷)。熊本テクノポリス計画に基づく「鳥子工業団地」や「小森工業団地」があり製造業も多い。また、阿蘇くまもと空港から車で10分、九州縦貫自動車道インターに近いという立地から南阿蘇観光の玄関口となっている。
職住一体型の兼用住宅が多い
阿蘇ミルク牧場、白糸の滝、俵山温泉、俵山交流館「萌の里」など、観光・交流施設が整備され、観光客も増加傾向にあった。移住者による個性的な飲食店・菓子店・ペンションなどが多いのも特徴。西原村は、1・2・3次産業が共存する恵まれた地域であったといえる。
西原村の住まいは、専用住宅もあるが、農業や建設業、観光・サービス業といった職住一体型の兼用住宅が多い。5/11に副村長からヒアリングしたところ、被災した建物は、全壊5〜600棟、半壊1000棟以上、7割に及ぶ建物が大きな被害を受けたようだ。
地割れ被害のおそろしさ
建物自体の損傷は軽微であっても、地面に大きな亀裂が入っていたり、そこに至るまでの道路が地割れによって寸断されていたりする。また、裏山の地割れによる崩落が深刻で、今後、雨による土砂崩れなどの心配が絶えない。
この建物の近くには他にもペンションや店舗、別荘などが多く見られたが、建物そのものの被害は大きくなかった。しかし、職である観光地としての復興は、見通しが立ちにくいように思われる。
1階と2階、壁配置などバランスが大事
南面は大きく開口していても無事だった平屋
和風の住宅では、日当りのよい南面に縁側と掃き出しの窓があり、東西方向に耐力壁が少ないことが多い。それを補う意味からか、南面する座敷まわりの柱には5寸角を用いた家が多く見受けられた。平屋では、それが一定の効果をもたらしたように思われ、被害は比較的軽微な事例が多かった。
東西方向に大きく傾いた2階建ての家
平屋に比べ、2階建ては地震に不利となる。2階は窓が少なく壁が多いので、通し柱が「く」の字状に折れてしまうからだ。
この写真はある2階建ての家の1階部分。大きく傾いており、柱のホゾだけで持ちこたえて倒壊を免れているような印象を受けた。
この家には、玄関周りに大きな吹き抜けがあり、そこには通し柱が用いられていた。かなりの座屈は見られたものの、折れてしまわず粘っており、柱の太い建物が丈夫という感覚はあながち間違いではないように思えた。しかし、あらためて、壁の配置や1階2階のバランスが大切さだということを痛感させられた。
2階建てでも、被害が少なかった例
2階建てのなかにも被害がの小さいものがあった。激震地に立つ事例を2つ紹介したい。
ひとつめは、西原村布田地区の、築160年の2階建ての通し柱構法の家。
貫に土壁という伝統的な成り立ちの建物。室内にものが散乱している状況からも揺れの激しさが見てとれる。三方差し、四方差しの柱に多少の座屈が見られるものの、構造的な被害は少なく、石場建ての足元もほとんどずれていない。修復して住むことは十分可能だと思われた。しかし、背後にある山の土砂崩れの危険があり、住み続けることは難しいという。
次は、大切畑地区にある、築50年ほどの家。黒土で岩が少ない阿蘇特有の地盤であることもあり、集落の多くの家が壊滅的な被害を受けていた。しかしそのなか、最も高台にあるこの家は原形を保っていた。
土壁ではなく、ラス下地の上にモルタル塗りの外壁。柱などの骨組みは大きいわけでもなく、基礎も無筋の布基礎である。
大壁に塗り籠められる柱には要注意
熊本市南区にある土蔵。土壁が落ちたため、大壁に塗り籠められている構造があらわになった。
黒く変色しボロボロになっているのは、雨漏りで水が侵入したことによる腐朽のためだと思われる。蟻害も見られた。大壁は壁の中の柱が見えないので、こうした事態になることは少なくない。
気をつけて状態を観察し、メンテナンスをすることが大事だ。また、当初の材料選びにおいて、スギやヒノキの赤身材などのような、耐久性において安心感のある素材を使いたい。
思い出と愛着がいっぱいの家での
暮らしを再び
この柱を見たのは2016年5月4日。「柱の傷は おととしの 五月五日の 背くらべ・・」という童謡(作詞・海野厚、作曲・中山晋平『背くらべ』)が思い出された。
かなり大きな被害を受けてはいるものの、この家の住まい手は「費用が多少かさむようでも、この家を修復して住みたい」と話していた。
住まいは、家族の暮らしの記録そのもの。人命を守るのはもちろんだが、被災後、家族の暮らしがいち早くリスタートできるような住まいであることが望ましいと思った。