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民家実測


どうやって生活していたのだろう?

とてもシンプルで、複雑なところのない、分かりやすい形の民家ですが、いったいここで、どのように暮らしていたと考えられるか。実測から帰ってきた翌々日、民家修復の仕事を多く手がけてきた風基建設の渡邊隆さんにうかがってきました。 大ざっぱにいえば、東側の土間部分、中央の板敷き部分、西側の畳部分の3つのパートで構成されていたと考えられます。

【東側/土間部分】

土壁がまわっている馬屋には馬がいて、飼い葉をやっていたでしょう。今でもまぐさの名残が見られます。奥にはへっついがおかれ、煮炊きが行われていたでしょう。黒々とした天井がそのことを物語っています。農作業から帰ってきて土足のまま室内に入り、中央板の間部分の框に腰をかけて下足を脱いだのかもしれません。

【中央/元板敷き部分】

今では畳敷きになっていますが、元は床上の東側2部屋は板敷きであったと考えられます。囲炉裏が切られている奥の部屋(中3)が、家族の食事や団欒の間であったでしょう。土間上ほどではありませんが、ほかの部屋と比べると、天井がやや煤けています。夜なべで縄をなったり、農作物を加工したりというちょっとした室内作業もしていたでしょう。炉の生火以外には特に暖房もないのですから、火に頼らずにいられない季節が長いこの家では、家にいるほとんどの時間をここで過ごしていたのではないでしょうか。家族を守る神棚もこの部屋の北側にあります。

【西側/畳部分】

冠婚葬祭や祝い事などに使う、接客空間だったと考えられます。西奥(西1)と西手前(西2)の2室は長押付き、2室の間の鴨居上は欄間(が取り外された跡)があり、襖にも(そう古いものではなさそうですが)書が描かれていたりして、家族の生活空間よりもあらたまった感じになっています。西奥(西1)が、天照大御神の軸がかかった床の間付きの座敷。手前(西2)は山水が描かれた紙襖の客間だったのではないでしょうか。南と西に縁側があり、日当たりもよく、いい部屋です。

【中間地帯】

板敷き部分と西側2室の接客部分をつなぐ、縦に並んだ6畳の2室はどのように使われていたでしょうか? 囲炉裏の部屋に隣接し、かつこの家のもっとも内側にあたる、日当たりのない中央奥の部屋(中1)は納戸か主夫婦の寝室に使われていたかもしれません。手前(中2)はふだんは部屋、もてなしの際には客用布団を用意したり、客間とつなぎでつかったりと、次の間的に使われていたのではないでしょうか。

軸組構造だからできること

平面図だけを見れば「同じような部屋がただ並んでいるだけ」。でも、それぞれの部屋にハレとケ、接客と身内などといった、意味的な違いをもたせて使い分ける。そして、壁で仕切られていないおかげで、臨機応変に空間の大きさを変えることができる。このあたりが、軸組み構造の家にあって、壁式構造の家にない、大きな特徴でしょう。


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