2008年11月から12月にかけて、国土交通省「伝統的構法の設計法作成及び性能検証の事業」の一環として、木組み・土壁の実大建物の震動実験が行われましたが、この実験で使った住宅の木材を譲り受け、愛知県名古屋郊外の東郷町に移築再生しようというプロジェクトが始まりました。その名も「アルチザン・プロジェクト」。木の家ネットの名古屋の会員でもある大工の中村武司さんを中心に愛知や三重の大工、設計士、緑の列島ネットワークが主宰する「木の家スクール」の受講生、名古屋工業大学藤岡伸子研究室や愛知産業大学宇野勇治研究室の学生たちが参加しています。
今回の特集では、この「アルチザン・プロジェクト」の7月のイベント「泥コン屋さん見学&スーパー土練りワークショップ」を訪れ、主宰の中村武司さんにお話をうかがいました。
中村武司 [ (有)工作舎 中村建築 ]愛知県名古屋市に中村建築の3代目として生まれる。大学の建築学科在学中は「カッコイイ建築好き少年」だったが、大工塾などを通して木造建築にのめりこむように。木の家ネット立ち上げからの運営委員。2005年には、愛・地球博に「サツキとメイの家」を昭和初期当初の建て方で再現するプロジェクトを仲間たちと手がけた。
持留ヨハナエリザベート [ 職人がつくる木の家ネット事務局 ]職人がつくる木の家ネット事務局。木の家ネットの全コンテンツの取材・執筆も担当。八ヶ岳南麓、築90年の民家に、木の家ネットのサイト制作を手がける夫と二人の小学生男子と暮らす。半分ドイツ人。
助成を受けています。
※2008年の実大実験で使った損傷もある住宅の木材の活用については、(財)日本住宅・木材技術センターで活用の企画提案が公募され、アルチザン・プロジェクトで応募した企画が採択され、木材を譲り受けることとなりました。
アルチザン=仕事を愛する職人=有智山
よはアルチザン・プロジェクト・・・今回のプロジェクトには、なんだかしゃれた洋菓子のような名前がついてますけど、これはどういう意味なんですか?
中村アルチザンとは、フランス語で「職人」という意味です。単に技能があってその仕事をこなすというだけでなく、仕事に対する誇りを持ち、仕事のクオリティを高めようという意識があるというのが「アルチザン」なんだそうです。
よはふ〜ん。ドイツ語の「マイスター」は遍歴修業や資格試験などを経て、一人前の親方になったよ、というステータスをあらわしますが、プランス語のアルチザンは、ちょっとニュアンスが違いそうですね。
中村アルチザンの方が、仕事に向かう意識に重点をおいている感じでしょうか。
よは仕事を愛し、より高めようという仕事への姿勢が大事、ということですね。日本語でいえば、親方というより「匠」に近いのかな。
中村そうですね。話が日本語に戻ったところで、アルチザンにはぼくなりに「有智山」という字を当ててるんです。
よは中村さん、だじゃれ、好きですものね。2005年に愛・地球博で「サツキとメイの家」を建てた時に組んだチームも「五月工務店」って、命名したんでしたよね。「カネと」のマークのお揃いの半纏着て、みんな楽しそうでした。
中村まあ、今回も前も、漢字に置き換えただけっていえばそれまでなんですけど・・・「有智山」にはもうちょっと意味があるかな・・・「智 有る 山」という思いを込めてあります。緑の山なくして私たちの生活・暮らしは有り得ないし、そして建築もないのかもしれない。ひとりひとりがそういう意識をもった「職人=アルチザン=智有る山」になることで豊かで風通しの良い暮らしが成り立つのだと考えます。
よはそんな「有智山」仲間を増やすために、またゴザ広げちゃった、んですね! 前回では中村さん、随分白髪が増えましたけど・・今回は笑いジワが増える方向で?いけるといいですね。
中村はい、どんなチームができていくのか、ぼくも楽しみです。
木の家は補修しながら住み継げることをメッセージしたい
よは今回のプロジェクトがたちあがるまでの経緯を訊かせてください。
中村ご存知のように、昨年の暮れ、兵庫県のE-ディフェンスで、伝統的建物の実大振動実験が行われました。ぼくは、当日実験後に建物のどこがどう破壊されたかを調べる「損傷観察メンバー」として、手伝いに行っていました。そこで誰とはなしに「実験に使った建物はこのあと、どうなるんだろう・・」という話が出たんです。
よはどうなるはずだったんでしょうか?
中村実験を取り仕切った住木センターとしては、損傷のあった部分だけは切り取って保存し、あとは廃棄処分という予定だったんです。「それは、もったいない」という声が、損傷観察メンバーや実務者でこの検証事業の委員をしているみんなからあがりはじめたんです。
よは一度実験に使われただけで、長い時間かかって山で育った木が廃棄処分されるなんて、しのびないですよね。
中村それもそうだし、実験とはいえ地震で損傷した建物です。それでも、俺たちにはちゃんと直せるんだ、と示したい気持ちも大工たちにはありましたね。
よは補修しながら、ダメなところを取り替えながら住み続けられるんだということを示せたら、それはメッセージ性をもちますよね。
中村
まだ直しながら使えるものをゴミにするのか、木の家の再生可能性のメッセージとするのか、と選択肢があるのであれば、やっぱり、直したいですよね。
ここ四半世紀の間でも、地震は定期的におきており、兵庫・新潟・石川・宮城と、日本各地で大きな被害が出ています。被害の惨状自体はメディアで目にしますが、その後の復興がどのようにされているかということは注意しないと見えてきません。まだ充分住めるような住宅が次々と解体されて新しい現代風の家に建て変わっているのが多いとも聞いています。
何十年と住み続けてきた愛着のある家を簡単に壊してしまうのか、それとも壊れた部分だけ取り替え補強して住み続けていくのか、どちらが住まい手にとって幸せなんでしょう。また日本の風土に合った家々が形づくる家並み・景観といったものが地震を境に味気ない風景に変えてしまって本当によいのでしょうか。そういった現状に立たされたときのひとつのより所としてこの再生プロジェクトがあればいいなと思います。
木の家づくりの醍醐味を経験できる場をつくりたい
よはで、中村さんが手をあげた?
中村いや、ぼく自身は、最初からすごく積極的だったわけでもないんです。というか人ごとだったですね。誰のところで引き取れるか、という具体的な話になっていくうちに「そういえば、親父が東郷町に土地持ってたな」ということを、思い出しちゃったんです。
よはで、ひょっとして、できなくないかも、と?
中村仲間の大工たちだけでなく、いろいろな職人さんに協力してもらいながらつくった「サツキとメイの家」みたいなことが、もしかしたらできるかも?という思いがフツフツとわいてきて、気がついたら手をあげていました。
よは実験で損傷した家でも再生できることを証明したい、という以前に、人が集まってものをつくる場をつくりたかったんですね。
中村それこそが、木の家づくりの醍醐味ですからね。ぼく自身も、人との出会いがあり、いろいろな場できっかけをもらって、今やっている木の家づくりに行きつきました。木の家づくりの意義や優位性という以前に、多くの人の手の技や知恵が結集してものができあがっていく楽しさを知って現在に至ってます。そうやって今の自分があるのだから、自分がそういう場をつくる側にまわる機会に恵まれ、誰かにとってのきっかけをつくれるかもしれないんだったら、やった方がいいな、と。
家づくりにまつわるストーリーを取り戻そう
中村こういうプロジェクトでないとしても、ひとつひとつの家づくりには、個別のストーリーがあるはずです。うちに使われているのはあそこの山の木だ。あの製材所で材になり、あの大工さんが刻んで、大勢の応援が来て建前をして、家が立ち上がった、とかね。
よはおうちによっては、土壁塗りなど、ご家族が手伝ったりね。一軒一軒に、そのご家族と職人さんたちとのストーリーがあるんですね。
中村昭和30年〜40年ごろまでは家づくりは人々の生活の一部であり、地域のコミュニティー(結い)の中で成立してました。近くの山の木を樵・木挽きとともに下ろして製材した木材を組上げ、周辺の野の土を稲藁とともに練り上げられた荒壁土で塗り上げ、田んぼの下にある良質な粘土を松葉でいぶした瓦で屋根を覆い、近くの海で採れた貝類の殻を焼き上げて作る漆喰で壁を仕上げて。そういうストーリーがちゃんとあったし、そうやってできた家が日本の風土に合った景観をつくり上げ、人々の生活の舞台となっていたんです。
よはまさに、地域の循環の中で家づくりが行われていたのですね。
中村ところが、昭和40年以降、大資本主体の住宅産業が台頭してきて、「祭り」でもあった家づくりが単なる「消費財を買う」といった性格に徐々に変化してしまった。そこには物語性なんかあるはずもないですよね。ぼくが大工になった頃には、もうすでにそうなっていました。
よはけれど、いろいろな出会いがあって、中村さんは本来の家づくりがあること、その楽しさを知ってしまった。
中村だからこそ、家づくりが生活から切り離され、商品化していく過程で失われたストーリーを、もういちど取り戻したいんです。「サツキとメイの家」では、最先端技術の見本市である愛・地球博で、われわれ大工や左官をはじめ、職人たちの知恵と技術がぎっしり詰まったその当時ごく普通の住宅を建てさせていただき、それが何万人もの人たちに感動をもって受け入れられた。失われたストーリーを感じる心は、まだみんなの中にいきづいているんだと思うんです。
よは失われたものを感じる心はある、と。それをもうひとつ、推し進めて、取り戻すところまでいこうよ!と今回のプロジェクトのねらいですね。
中村なつかしい、いいなあ、という感慨にとどまるんでなく、主体的に一歩踏み出すきっかけをつくれたらと思っています。