北海道で無垢の木の家づくり
ビオプラス西條デザイン
工務店経営:西條正幸さん
1993年 伊達支店を開設
1997年 環境をテーマにした建築デザイン業務へシフト。以来、エコロジー建築の設計監理と
エコハウスの施工を請け負う。
2008年 ビオプラス西條デザインに改名
インタビュー実施日時:2011年8月17-18日
於:北海道札幌市、勇払郡安平町
聞き手:持留ヨハナエリザベート(職人がつくる木の家ネット)
ビオプラス西條デザインの西條正幸さんは、職人がつくる木の家ネットで唯一、北海道のつくり手会員です。札幌にビオプラス西條デザインの本店があり、北海道の南端、伊達で弟さんがやっている支店とあわせて道央、道南エリアで、今では年間7棟の無垢の木と自然素材の家づくりを手がけています。
森はあっても、
木の家づくりがない?
北海道というと「森林資源の豊かなところ」というイメージがあります。ウッドプラザ北海道のサイトによると、北海道の森林は5,583ha、面積の71%を占めます。人工林の割合は27%と、全国平均の41%と比べると低く天然林が多いのが特徴です。人工林の97%は針葉樹で、内訳としてはトドマツ52%、カラマツ30%の2つの樹種で人工林のほとんどを占めています。
「意外に思われるかもしれませんけれど、北海道には木の家って、ほとんどないんですよ」と西條さんは言います。「北海道の木の建築の代表例といえば、札幌の時計台ですが、これは、西洋の建物ですよね。木造建築では、港町として栄えた函館の洋風建築や、小樽のように大正・昭和にニシン漁で成功したお屋敷が残っています。道内各地には、本州からの移住者が建てたお屋敷などもありますが、故郷の大工と材料と工法を持ちこんで建てたと言われています。」
もちろん、屯田兵が開拓のために北海道に渡った頃には「室内といっても外も同然の、粗末な木の家」はありましたが、今ではそういったつくりは農村部の納屋に見られるぐらいで、あとは、高気密高断熱のプレハブ住宅が主流です。北海道の先住民アイヌの人たちががかつて住んでいた「チセ」は、木の骨組みに厚く茅を葺いた土座住まいの家ですが、本州以南の「木組み土壁の家」とはまったく質の違うものです。
道産材を使った家づくりに道をつける
また、道産材といっても、基本的には人工林からの伐採が主で50年前後の材がほとんどです。北海道の最南端の道南地方にわずかにスギの植林があるぐらいで、エゾマツ・トドマツが主な建築材料として扱われてきました。「普通に大工さんに発注を任せれば、建材店や材木店から入ってくるのは、ロシア材かカナダ材。木材は『港からやってくるもの』といった状況が近年まで続いていました」とのこと。
そこで、道産材での木の家づくりを実現するには、素材生産業者、製材所など、多くの人の理解と協力が必要となります。めざす西條さんは、山から木を出し、無垢の木の家づくりができるルートづくりから開拓、旭川の「NPOもりネット(NPO法人もりねっと北海道)」との出会いに恵まれ、素材生産業者や製材所ともつながり、ようやく年間何棟分かの構造材や下地材をキープできるようになってきたそうです。
日本の伝統の木の家づくりというものがなかった北海道において「北海道産の無垢材での木の家づくり」とは、そもそも「なかったものをあえて」つくりだすことのようです。西條さんはなぜ、そこまでの努力をして、北海道に「無垢の木の家づくり」の道を開拓しようとしているのでしょうか?
エコロジー建築として
「無垢の木の家づくり」を手がけはじめる
西條さんに訊ねると「私達は木の家を、エコロジー建築としてつくっているんです」というお返事が帰って来ました。じつは、西條さん自身、自然素材と無垢の木の家づくりを始めたのは、およそ15年ほど前、娘さんがアトピー性皮膚炎と診断されたことがきっかけでした。それまでは店舗デザインを専門に手がけていましたが、娘さん含め、自分たち家族が安心して住める家をつくる必要にせまられてのことでした。
「娘がかかった医者に『ステロイドではなく、食事に気をつけたり、免疫力を高める方向での生活の立て直しをして、じっくり治しましょう』と言われ、暮らし全般の見直しをしました。食べ物や日用品など、暮らしを構成する要素のひとつひとつが、娘の健康を崩していたのかもしれないと気付かされ、びっくりしました」そんな頃、故・高橋元さんの著書「エコロジー建築」に出会います。「タイトルがカッコイイな」と何気なく手にとった本が、西條さんの仕事を180度転換させました。
「健康な住まいを求めて」という副題のついたその本は、ドイツの消費者向け書籍「エコテスト」を翻訳したもので、建築、特に住宅分野において、化学物質が人体に与える健康被害や、理想的なエコロジー建築をどう実現できるが、具体的に書かれていました。店舗デザインの現場で使う化学物質を自分が身体に帯びて持ち帰っていたかもしれない。当時住んでいた住宅の建材も、娘のアトピーと無縁ではない。思いもよらぬことでした。
「これだけ、危険な建材が多いのかという驚きとともに、こうやって理想的なエコロジー建築が建てられるのだったら、家族の健康を守るために本気で取り組んでみようと決心しました」これまで自分が知らなかっただけじゃないか。だったら、すでにある情報や素材を探そう。そのような思いで、高橋さんが主催するドイツへのエコツアーに参加するなどして、自然素材の建材や塗料について勉強しながら、家族が安心して住める自邸を建てる計画を進めていきました。
本物とそうでないものの違いは
もとから感じていた
それまで、店舗設計に携わっていた時には、「はりぼて」しか要求されないことが多く、それにはベニヤ板や集成材で事足りることが多かった西條さん。それでもいつもどこかで「無垢の一枚板の方が断然いいのに」という思いはもっていました。無垢材に限ったことではなく、西條さんにはもともと「ビールは飲みますが、発泡酒は絶対飲みません。料理にはみりん風味調味料でなく、本みりんです」というように、本物以外には触手をそそられない感覚をもっていました。そんな西條さんが、自然素材にこだわった自邸を建てたことを節目に、店舗設計から住む人の健康や環境に配慮した家づくりに向かっていったのは、自然の流れでした。
ちょうどその頃、ビオプラス西條デザインの片腕として欠かせない監理建築士の山田明彦さんがチームに加わったことも幸いしました。それまでの店舗デザインを手がける「西條インテリアデザイン」から、環境をテーマにした建築デザインに特化した業務へとシフト、エコロジー建築の設計監理とエコハウスの施工を請け負うようなり、今の「ビオプラス西條デザイン」の原型ができていったのです。
実家を新建材の家に新築した頃の思い出が
「思えば、自分が中学生だった頃に家を新築した頃に、もうその根っこは芽生えていたのかもしれないな」と西條さんは振り返ります。西條さんの子どもの頃は、開拓の頃以来からあるのとかわりないような、断熱材のない、窓といえばピリピリいうような薄いガラスで、おそろしく廊下の寒い、冬に水道管が凍るのはあたりまえの昔の木の家に住んでいました。それを、アルミサッシ、布クロス、化粧合板の床など、出始めたばかりの新建材を用いた在来工法の家に建て替えたのです。
「それまでよりグレードアップして、最先端の家になったはずなのに、なにか違和感を否めなかったんです。構造は木造なのに、表面は木のように見えるプリント合板が貼ってあって、本物の木でないのが、さびしく、薄っぺらで、イヤでした。本物じゃない家はイヤだ、きっと当時から漠然とそう感じてはいたんですね」