中心軸のある家づくり
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大工・高橋俊和さん(都幾川木建):初原の営みに魅せられて


三宅島で学んだ民家の原型を大切に
中心と背骨のある家づくりをしたい

家づくりで一番大切にしていることは何ですか?

棟梁から学んだ「民家の原型」、これは1994年に調査(民族文化映像研究所との共同作業)した白川郷の合掌民家でもあてはまるのですが、大黒柱と向かい大黒を建て、その二本に家の背骨となる大きな梁を架け、この三本を家の中心軸とする構法を大事にしていきたいです。またそれとは違う形であっても構造の「核」となる部分を大切にして軸組を考えていきたいと思います。

現代の工法の家には中心軸がなく、機能性だけを満たした家づくりが主流です。そういう家は、どの柱からでも建つんですよ。ところが、中心軸のある家は、大黒柱を一本立てるところから始まります。建前の時に、二本の柱が立つと何か、神々しいような、ひれふしたくなるような気持ちになります。中心軸がある家には「よりどころ」がある。不動軸ですね。それは、家にとってだけでなく家族にとっても大樹の下にいるような安心感ともなるのです。

高橋さんの自邸。基礎工事が済んだところに運び込まれた大黒柱。
この一本が、家の中心をつくる。圧倒的な存在感だ。

中心軸をなくした家は
精神的なよりどころを失っている

現代の家づくりにも中心軸は必要だと?

二本の柱と梁でできる大きな空間は、「結(ユイ)」での大勢の人寄せの場が必要な時代には必須でしたが、たくさんの人が家に寄り合うこともない、個を基本とした現代では、民家の原型のようなつくりは、機能としては必要ないのかもしれません。それに、太い柱や梁を加工したり、差鴨居や貫など横差しのものには手間がかかりますから、生活設備優先、経済効率優先になってくると、筋交いや構造用合板にとって替わられます。

しかし、家に中心軸がなくなっていった結果として、住む人が精神的なよりどころを失っているように思えるのです。現代の家にも、中心性はあった方がいい。中心性があることでその空間にはじめて「宿るもの」があり、それが家族にとって目には見えないものだけれど、大切な基盤になるのではないかと私は思います。

中心軸のある家のかたちは
民族の精神性を体現している。

大黒柱を中心に組み上がっていく建て方工事。中心軸をなす材が大きくて、はたらいているみんなが小人のように見える。

家をひとつの身体としてとらえると面白いんですよ。弟子や若い人の結婚披露宴のスピーチで話したりするんですが、中心軸のある、大黒と向かい大黒と牛梁という構成は、二人して重たい荷を肩に担いでいる形ですよね。家族も、夫婦二人の力で何かを支えてこそ成り立つものではないでしょうか。

柱二本に梁が乗り、差鴨居がさされば、鳥居のようになります。鳥居は日本の建築文化を象徴しているように思えます。鳥居に筋交いは似合いません。シンとミズの世界。形態に宿る生命観、造形感が、日本人の心の中に原風景としてあると思うんです。

私自身は大阪の市内育ち。原風景と言ってみたところで、山も川もなく、自然といえば街路樹のポプラと銀杏と空ぐらいで、実体験としてはないんですよ。それでも私の中にも脈々と流れているその「何か」があるんだと思うんです。ときどき「何で俺はここにいるんだろう!?」と不思議に思うこともあります。

因果関係は分かりませんが「訓練校」という言葉を小耳にはさんで、木の世界に飛び込んで以来なのかな、その「何か」が私の中に呼び覚まされたんですね。住まいの器としての家づくりというだけでない、民族の精神性ともつながっているような家づくりをしていきたいと願っています。

「私、家の気持ちになれるんですよ。私が柱だとすると、差鴨居は、こんなふうに腋の下にかかえこむようにしてささります。」

伝統構法で大事なのは、全体性。

伝統構法はどの程度意識していますか?

たくさんある伝統構法の要素をすべて実現している「100%伝統構法」というのは、私自身そんなに多く造ってはいないんです。伝統構法の本質論になってしまって、そのへんのところは難しいんですが、大切なのは全体性なんだろうと今は思っています。

私が少し学んでいる書についていえば、一字一字うまく書けているかどうかよりも、むしろ全体性を重視しているように感じます。生命的な統一性というんでしょうか。気の流れ、バランスですね。建築と書を同じ土俵では語れませんから、あくまでイメージとしての話ですが。

昔、三宅島で宮下棟梁が言っていました。建築は力と美しさが大切だって。力と美、もちろん今は機能も大事ですが、伝統構法を用いてそれらをどう実現させていくかが私たちの仕事なんだろうと思います。

伝統構法も十割にこしたことはないけれど、それに固執するよりは全体として、そのプロセスも含めて、力と美のバランスといった観点から評価したり、アプローチすることが大事なように思っています。

高橋さんの奥さんのれい子さん作のランプ。

ここまでが在来工法、ここからが伝統構法と、剛、柔とパキッと分かれているものではなく、それぞれの現場ひとつひとつがそのグラデーションのどこかに位置づけられるんだと思うんです。具体的な話としては、伝統構法はいろいろな要素で成り立っていますが、その中でまず、大黒柱を中心とした背骨のある構法にすることが私にとっては大事です。石場建てについては今は2階建て以上は厳しい状況がありますが、本来は伝統構法の前提となるものと思っています。他に、貫、差し鴨居は大事にしたいし、内部真壁(できるかぎり外も)もはずせません。これをはずすと、もう木の家づくりとは言えなくなってくると思います。

伝統構法自体も、昔からハイブリッドの歴史の連続だったのだろうと思うんですよ。堀立て柱から、石場建てになり、土台敷きになり。釘が使われたり、瓦が載るようになったり。平屋があたりまえだったのが、胴差しをまわして二階をつくるようになったのは近代以降であって、その前の時代から見ればまったくの新工法でしょう。民家も変遷していくわけですが、その中でも守られるべき要素と変化していく要素があって、互いにからみあいながら、日進月歩していくんだと思います。

性能評価、建築基準法の厳格化という流れの中で、意外にも伝統構法が浮上してきて、これまで法律のことは蚊帳の外においやってこられたのが、そうは言ってもいられなくなってきてしまいました。それだけに、今は、それぞれのつくり手の考えがあぶりだされていますね。「伝統構法はかくあるべき」と原理主義に走る人もいるし、ある幅を許容する人もいる。

私自身は時と場合に応じて、六割の伝統構法もひとつの有り方だと思うのです。 あまり「かくあるべき」が強すぎると人を責めたり、裁いたりするようになり、排他的になりますから。そうなると先がないと思います。昔から大工が10人いれば10人違うといいます。自分としては、あやふやであいまいに聞こえるかもしれませんが、ひと仕事ひと仕事、一軒の家構造の全体性を考えながら、「総持ち」をどんなスタンスでやるのかを確認しながら、誠実にやっていきたいと思っています。

むずかしいことなので、
ゆっくりじっくりやってほしいです。

国が伝統構法を建築基準法に位置づけようとしていることについては、どう思いますか?

1200年を超える伝統構法の歴史の中で、初めて性能を検証しようと言っているわけですから、これは大変なことです。長い目で見るしかないと思います。私は伝統構法は東洋建築だと考えています。ですから西洋建築のように科学的に明解な答を出そうとするのは難しいでしょうね。東洋医学と似たようなところがあると思いますから。

鍼や灸って、分析できるものでないけど、効くでしょう? 伝統構法の構造安全性を検証することは、鍼灸師がやっていることを数字であらわそうとしているぐらいむずかしいことをしているようにみえます。でも、そうしないといけない流れになっているということは分かる。せめて、焦らずに取り組んでほしいですね。しかし、現在二階建ての石場建ての建物がほとんど造れない状況というのは、早くなんとかしなければならない火急の問題だと思っています。

さまざまな困難を乗り越えられるよう
心の持ち方を大事にしています。

ちょっと大きな質問になりますが、普段はどのような心持ちで家づくりに臨んでいますか?

木の家づくりはすばらしいですが、建築業界には、トラブルも多いものです。うちでも、ある仕事で問題が起きたことがあって、それをどうやって乗り越えるか、とても苦しみました。工務店や設計事務所を経営する人はみな多かれ少なかれ経験していることだと思いますが、そういう水面下の部分で困難を解決していく。これが生きるっていうことかな、と思うことがあります。結局はどんな場面においても「人事を尽くして天命を待つ」という姿勢で、できるだけのことをするしかありません。

純粋に建築的なことはもちろん、対人関係、コミュニケーション、法律、けが、天気、経営など、建築にはさまざまな乗り越えなければならないハードルがありますが、いろいろ起きると分かっていながら、だからといって尻込みするのではなく、動ぜずに、解決していかなければならないんです。

「物事は心ひとつのおきどころ」という言葉がありますけど、そのことについてひとつのエピソードがあります。仕事上でのケガで背骨を折って2ヶ月入院したことがあったんですが、家に帰ってきて「あ、ここに大黒柱があったんだ」と気が付いてショックを受けました。病室の中でいろいろなことに心をわずらわせている間、忘れていたんですね、すっかり。つまり、大黒柱も、自分の心が認識していなければ存在していないのと同じだということなんです。

「自分があんなに苦労して刻んだ大黒柱を、ないものと同じにしていたとは、なんということか」と。そして、心をどうもつかで、ものごとは全くかわってくるんだということを学びました。それが4年前。その頃から、少しずつ心の置き所が変わってきたかなと思います。日々起きることは相変わらずいろいろ起きるんですけど、目の前のことに一喜一憂したり、右往左往しなくなりました。試練は多くとも、平常心と感謝の心、協力しあう心さえあれば、乗り越えられると思えるようになってきました。

より土地と人の縁に根ざした
木造建築をしていきたいと思っています

最近「都幾川木建」と社名変更されましたが、どのような思いでそうされたのですか?

近頃は地元に縁がある建築が多くなってきて、この地に根付いていきたいという願いから、都幾川村が市町村合併で「ときがわ町」になるタイミングで、地名から消えてしまう都幾川の字をいただいて「都幾川木建」にしました。

もうひとつの理由は入院のあと、心機一転したい気持ちがありました。これまでの蓄積を誠実に活かして仕事をしていくことができれば、高橋という個人名も、研究も、もういいかなと思ったんです。

高橋という名前をはずしたら、思いがけず「こういう家を建ててほしい」というよりは「あなたに建ててほしい」というお施主さんが増えるようになってきたんです。不思議なものですね。おかげさまで、感謝の気持ちで仕事をさせてもらって幸せです。


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れい子さん作の彫刻