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新しい道理と古い道理? 新潟地震調査報告


■「古い道理」のコマ石基礎は免震構造?

半蔵金で印象的だったのは、「古い道理」の家では1階の床の高さが今の私たちの目からは極端に低いということです。半蔵金でも「新しい道理」の建物では、外周にコンクリートの布基礎がまわっており、内側は束石の上に束が立ち、大引を受けるという現在一般的に見られるつくりです。しかし、「古い道理」の家では、自然石の玉石の上に、この地方でコマ石と呼ばれる小さくて軟らかい切り石が乗っかり、それに大引き(あるいは足固め)を直に載せる床組となっているのです。

玉石、コマ石、そして直に上部構造となることから、床高が極端に低かったのです。今の建築基準法では、通気のために床下は45cmあけることになっていますが、コマ石の床組ではせいぜい30cm前後。地震によって上部の架構が元の位置からずれていたり、コマ石が飛んだりずれたりしていたところも少なくないのですが、地面さえ崩落していなければ、部分的にジャッキアップするなどの応急処置でも対応ができる建物がほとんどでした。地盤の変形に対してもコマ石が柔軟に追随し、力をかわして上部に無理な力を及ぼさない、一種の免震構造となったわけです。

このコマ石基礎は、はじめから地盤が強固であることを期待せず、地盤に多少不具合が生じても、大工技術で部分部分を補修しながら建物を修復するのが一般的だったことを意味しているのではないでしょうか。ここにもやたらと堅固なつくりにするよりは、うまく地震力を受け流し、修復しやすさを考えるという「古い道理」が見えるようで興味深いことでした。

■「発展途上の新しい道理」でつくられた基礎が壊れていた

一方で、半蔵金で「新しい道理」でつくられた基礎は、鉄筋の入っていないブロック積みであったり、無筋コンクリートであり、基礎そのものに一体性がなかっため、地面に引きずられて破断したり、はらんだりしている箇所が多く見られました。

建築基準法の耐震基準は戦後に「新しい道理」によって規定されたものですが、じつは、昭和56年以降「新耐震基準」という、より強固なものに改定されています。この「新耐震基準」では基礎に対する気の配り方が格段に緻密になり、基礎と土台はアンカーボルトで緊結するといったことが一般的になったのです。新耐震基準を「発展した新しい道理」とするならば、昭和25年から昭和56年までの「発展途上の新しい道理」で建てられた家が、地震被害をより受けていることになります。平成7年に起きた阪神大震災でも、新耐震以前と以降とでは、明らかに以前の建物の方が被害が大きかったのです。戦禍の後、高度経済成長時代に向かうそのころに建てられた建物はまさにそういったものが多かったと考えられます。

今回、半蔵金でコンクリート基礎が割れたなどの被害が出た家は、手抜き工事などではありませんでした。その時代の「コンクリートに鉄筋を入れるべし」という規定のまだなかった建築基準法に従って素直に建てた家が、このような被害に遭ってしまったのです。コマ石がずれたのであれば、上部構造を持ち上げておいてコマ石を元に戻し、上部構造を置き直せばそれでよいのです。しかし、基礎のコンクリートが割れたのでは、修復はかなり手がかかるでしょう。

■「古い道理」と「新しい道理」が混在する水回り

半蔵金では「古い道理」の家が大半なのですが、住みながら「新しい道理」で増築や改修をしているところがほとんどです。それらは、大壁造りで布基礎という場合が多く見られます。改修の動機は、外便所だったのを家の中にもってきたい、風呂場をつくりたい、という生活スタイルの近代化にともなう必然的なものでした。こうした改修で「古い道理」に「新しい道理」を継ぐ形となっているのですが、「古い道理」と「新しい道理」がせめぎあう部分に、地震被害が集中したように見えました。

このページの先頭の帯の写真をご覧ください。浴室のタイル貼りにひびが入っていますね。この外側にあたるところを右の図に表しました。水回りの始末をよくするために基礎のブロックを高く積んだ上に木の土台が乗っているのがお分かりになると思います。ちょうどその内側にあたるところに、亀裂が入ったのですね。ブロック基礎と木とでは、地震の時の揺れ方がちがいます。ブロック基礎は動きにくく、木は動きやすいのです。その動く部分と動きにくい部分との境目で被害が生じているように思われます。こうした風呂場のタイルの亀裂や剥落は、被害を受けたほとんどの住居で見られました。また、設備配管が脱落するなどの被害も数多く見受けられました。

「古い道理」の家が建てられたころの生活スタイルと、現代の生活スタイルが合わないことは時代の流れです。家の中では特に水回り、設備周りに顕著に現れています。昔は井戸で水を汲み、薪で風呂を焚いていましたが、今では蛇口をひねり、スイッチを入れるだけです。しかし、水道管やガス管が部屋の床下や場合によっては壁の中を這い回ります。土壁は水、湿気に弱いので、配管の結露についてよくよく考えなければなりません。また、50年、100年という家の寿命のスパンで考えると、水回りはどうしても故障がおきやすいところなのでは、メンテナンスや補修が必ず必要になります。「古い道理」と「新しい道理」がぶつかり合わずに共存することを考えるのであれば、水回りは母屋とは構造的に切り離された下屋に集める、あるいは、母屋の構造には触らない形でその内側に別ユニットとして置く、といったことが考えられます。

風呂場をつくる場所の柱だけを切ってしまってコンクリートを打つなどはしてはいけないのです。「古い道理」に「新しい道理」をもちこむ場合には、もともとあるものに配慮しながら行うことが必須です。古いものと新しいものをどう調和させていくか、ということもひとつの技術といえるのです。

■半蔵金から学んだもの

私たちの2回の調査は11月半ばと12月初旬、雪が降り始める直前に行ったものです。私たちが帰ると、すぐに雪の季節。年を越して元旦には、集落の中心にある諏訪神社の樹齢400年の大杉が、初詣に訪れる地元の人たちの目の前で倒れてしまいました。伐るか、補強するか。いずれかの手だてが必要であると認識されてはいたのですが、その対策をする前に倒れてしまったのです。この里のご神木でもあり、地元の方のショックはいかばかりか、はかりしれません。今回の地震は別の言い方をすれば、400年に一度という規模の地震だったのです。

「古い道理」には、人知を越えた天災が起きたらこう逃げる、という大工の知恵がはたらいているように思えます。コマ石が飛ぶ、土壁が落ちる、建具がはずれる・・何段階にも地震の力に「負ける」部分をつくっておいて、最終的な架構を守る。あるいは、架構が限界まで傾いて倒壊するとしても、それまでの時間をかせぐ。補強することで固く抵抗できる限界値を高めようとする「新しい道理」とは、発想がまったく別のように思えます。「古い道理」は「自然とは人知を越えたものであって、抗い難い」という前提から、「新しい道理」は「自然は人間が克服するもの」という前提からしぜんと生まれてきたように思うのです。

そして、そこにどういう自然があるかということは地域それぞれに違います。半蔵金のような豪雪・地滑り地帯とほかの地域では、なににどう備えるかという構えはちがってくるでしょう。建築基準法では人が幸せに暮らして行ける建物の最低条件として全国一律の「新しい道理」をもうけました。ほんとうは地域それぞれの道理があったはずなのに、です。半蔵金で見てきたた「古い道理」と「新しい道理」とがうまくかみあっていない状況も、「新しい道理」が地域の道理を吸い上げることなしにつくられたことの無理としてあらわれているのかもしれません。

建築基準法における伝統構法の見直しが進められています。それと同時に耐震性能の向上についてもさまざまな試みもなされています。その際に、「古い道理」はダメと片付けてしまうのでなく、その地域に伝わる技術を拾いおこし、そのすぐれた合理性を発見することも大事なのではないでしょうか。第一回目の相談会で新潟県建築士会の人たちと一緒に廻ったのですが、その時に「どうしてこんなに壁が少ないのに地震に持ったんだろう」と言う声が士会の若い人から聞かれました。また、激震のあと、またもとに戻る、ということが不思議に映るようでもありました。現在の建築教育では「新しい道理」しか教わることがありませんからね。今回このようなことを目にしたことが「古い道理」があるんだ、ということに気づくきっかけになるかもしれません。

環境、人心、国際平和など、さまざまな面でのひずみが噴出している今の世の中では、がむしゃらな経済発展や科学信仰への疑問、環境との対立よりは共存を願う気持ちが人々の中に生まれて来ています。「新しい道理」を支える価値観そのものを見直す時期にさしかかっているのかもしれません。「古い道理」が無条件によいというのではありません。「古い道理」「新しい道理」それぞれの本質をよく見つめ、未来につなげていくことのできる道理を探し続けていきたいと願っています。

「半蔵金を応援するページ」より転載させていただきました。

神社のかつての石段の写真も>石丸さん兄弟のサイトより転載させていただきました。


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