川越の蔵造りの町並み。この町では、人の一生より家の寿命の方が長い。
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第八期木の家ネット総会・小江戸川越大会のレポート


一般の人と木の家づくりを考える
場をつくりたい

2008年11月で第八期を迎えた職人がつくる木の家ネット。11/15〜16、埼玉県の川越市で毎年恒例の総会を行いました。春先から埼玉の木の家ネット会員を中心に「木の家ネット第八期総会・小江戸川越大会」のための実行委員会を立ち上げ、月1回のペースで川越の集会場に集まり、内容を練り上げていきました。

昨年後半から今年の1年間、伝統構法の家づくりがしにくい面も増えた改正基準法施行後のきびしい情況の中にあって、木の家づくりがしやすくなるように活動してきた木の家ネット。「確認申請の厳格化」の運用が現場にもたらしてきた不具合や建築基準に対する修正要望などについて国土交通省との意見交換をしたり、7月12日には伝統木造関係の他の団体と協働して公開フォーラム「このままでは伝統構法の家はつくれない!」を開催したり、これから3年間かけて国が行う伝統構法の位置づけのための検討事業に関わったりと、積極的な活動を展開してきました。そうしたもりあがりを「木の家づくりがしやすくなること」へと結びつけていくためには、木の家についての理解をより多くの人たちへと広げていくことが必要なのでは?ということが、課題として浮かび上がってきました。であれば、全国から多くの会員が集まる総会という機会に、多くのみなさんといっしょに木の家づくりを考える場をつくろう!ということで、「公開シンポジウムの開催」が、今回の大会実行委員会の大きな目標となりました。

人々の想いが美しい町並みを今につないできた、
川越だからできること

ちらしを見る(川越の町がなぜ今のような姿で残って来たのか、裏面で紹介しています)

今回の総会の開催地である川越は、江戸時代に商業都市として栄え、明治時代の大火後に、しっかりとした木組みに塗り壁をほどこした「蔵の町」として再生されました。明治の頃に建てられた蔵の町並みが今までに残っているのは、町の多くの人達や住まい手の連携、協力があったからこそです。さまざまな人々の想いがつながることで木の家が住み継がれ、それが町並みとなっている。そんな川越の町でこそ、木を組んでつくり上げる「木の家」がどんなものなのか、木の家が住み継がれていく想い、そしてそんな木の家が建ち並んで町並となった時の美しさを実感できるにちがいないということで、公開シンポジウムのテーマは「未来に住み継ぐ木の家づくり」としました。

実行委員会副委員長の綾部孝司さんは川越地元3代目の大工ですが、ほかのメンバーは県内に住んでいながら意外と川越のことを知らず、大会に向けて集まりを重ねるたびに、あらためて川越の良さを実感していくことになりました。蔵の町の保存再生や利活用を考えるNPO法人「川越蔵の会」、改修・修復に実際に携わった「伝統技法研究会」のみなさん、そして明治の大火以前から残る古い大蔵をギャラリーやコンサート会場として使えるイベントスペースとして再生し、今回のシンポジウムの会場として使わせてくださった茶陶苑の山崎さんなど、川越の町に関わる多くの方たちと大会メンバーとの出会いの中で、公開シンポジウムの内容はより川越の町づくりの具体的な事例に即したものとなり、シンポジウム参加者たちと午前中町歩きをするといった楽しいプログラムへとふくらんでいきました。川越の町じゅうにシンポジウムのポスターが貼られ、町歩きやシンポジウムへの参加者が集まりました。小江戸川越大会の前の週には、川越で環境イベント「川越アースデイ」が開催されましたが、公開シンポジウムの前宣伝を兼ね、大会実行委員会メンバーをはじめとする木の家ネットの有志が出展することにもなりました。

川越で蔵の町の保存再生に携わる方たち、蔵づくりの家に住み、店を使い続けている方たちとともに。そして、一般市民のみなさんとともに。今回の総会を準備してきた日々は、町並みや環境という切り口で、大会メンバーがその輪を広げ、まわりと関わり、影響を与えあいながら、自らも成長するプロセスそのものでした。そしてそのことは、当日、大蔵に集まった蔵の会や伝統技法研究会のメンバー、木の家ネットのメンバー、そしてイベントに集まってこられた一般の参加者を「木の家づくりによる町づくり」という共通のテーマで結びたいという当初の願いをかなえたのです。ここでは、プレイベントとしてのアースデイ、町歩き、公開シンポジウム、そして恒例の会員交流行事である総会というもりだくさんな二日間の一連の流れを、大会メンバーの報告でふりかえります。

プレイベント:川越アースデイ2008

木の家ネット小江戸川越(埼玉)大会の一週間前に、同じく埼玉県川越市にてアースデイという環境イベントが開催されました。アースデイとは、1970年にアメリカで生まれた「地球のことを考える」「地球に感謝する」というイベントで、ざまざまな表現で地球環境への関心をアピールすることを目的としています。現在では世界各地で開催され、規模や形態も多様に行われています。

木の家ネット小江戸川越大会の実行委員では、これを総会のプレイベントとしてとらえ、有志を募り、参加することにしました。当日は朝早くから地元埼玉のメンバーに加え、千葉や山梨からも多くのメンバーが集まり、賑やかなスタートとなりました。日ごろから無垢の木を扱い、長持ちする家づくりを実践しているメンバーにとっての「いつもの仕事」の一部を公開することで、環境に優しい素材や家づくりをアピールすることにしました。

川越でのアースデイの会場となったのは、旧市街地の中に市民運動によって保存された、「旧織物市場」という建物です。両サイドに長屋形式の建物が並び、真中の通路が中庭のようになっているこの建物は以前、織物の市場として賑わいを見せていたそうです。現在は市民団体などによって、様々なイベント等に活用されています。

左/伝統構法の継ぎ手仕口模型をつかって、子どもに木組み体験をさせている、木の香の松田さん 中/来た人たちと楽しそうに話しながら、込み栓ストラップなどの木工品を販売した小町さん 右/のみを扱う子を教える綾部工務店の若い大工さん

いくつかの団体が参加している中で、木の家ネット有志メンバーでは、木の家ネットのパネル、木の家の巨大模型、継手仕口模型の展示、部分実大模型の建方、鉋削り体験、チョウナ削り実演、込栓ストラップ製作・販売など、実際に目で見たり、手で触れたりできる内容を中心に用意していきました。

開始直後から、子供たちや家族連れが多く押し寄せ、木の家づくりのひとつひとつの要素を楽しみながら知ることで、地球環境を考えるきっかけになっていただけのではないかと思っています。もちろん翌週に控えた公開シンポジウムの宣伝も積極的に行い、多くの皆さんにアピールできたことは大きな収穫となりました。

※アースデイの告知記事はこちらへ。

(けやき建築設計 畔上順平)

15日午後のプログラム:
蔵の町川越 町歩き

公開シンポジウムに先立つオプションプログラムとしての町歩きには、木の家ネット会員と一般参加者を合わせた約70名が参加。定員の設定をしていましたが大幅に超えてしまい、川越の町への関心の高さがうかがわれました。

案内役は、川越蔵の会と伝統技法研究会の合わせて11名の方々。人数が多い事もあり、5つの班に分かれて、川越の象徴である蔵の立ち並ぶ「一番街」を中心に歩きました。コースは各班の案内役に任されましたが、ここでは、川越の町の生き字引といわれる、蔵の会の会員の荒牧さんが案内してくださったコースを紹介します。

亀屋山崎茶店 茶陶苑。 左/左から店蔵、袖蔵、レンガのアーチをくぐると中庭になっている。
右/中庭に面して立つ大蔵。明治の大火にも焼け残った貴重な建物だ。

集合&出発地点は、午後のシンポジウムの会場でもある山崎茶陶苑の中庭です。店蔵と袖蔵を中庭から見たあと、煉瓦蔵の門を潜って、一番街の仲町交差点から西にのびている通りに出ました。まずは、茶陶苑の並びにある原田家住宅の豪壮な蔵、そして島崎藤村の定宿であったという登録文化財の佐久間旅館を外側から見学した後、一番街と平行している裏通り(同心町)に入りました。道すがら洋館造りの歯医者さんやステンドグラスの入った大正時代の建物を見ながら、川越の町のシンボルである「時の鐘」をめざします。

「時の鐘」付近は、都市計画街路事業によって道路も石畳になり、近年とみに観光客でにぎわうようになっているところです。と「時の鐘」は今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝によって創建されて以来ずっと、川越の町に時を告げてきました。木造3層のやぐらで高さは約16メートル。創建当時はほかにない高層建物として、目立ったことでしょう。度重なる火災で、今残っているのは明治26年の川越大火直後に再建された4代目にあたります。午前6時・正午・午後3時・午後6時に鳴る鐘の音は「残したい日本の音風景百選」にも選ばれています。後から聞いた話では、ある班は正午ちょうどにここに来て、鐘の音を聞いたそうです。

上/蔵の会の荒牧さん
中/太陽軒
下/大正時代の洋館ドーム、りそな銀行

※川越の町歩きガイドはこちらへ。

ここから伝統的建物保存地区「一番街」に出ると、蔵の立ち並ぶ様子が美しく、輝いているように見えました。一番街に面する重要文化財、大沢家住宅は川越で一番古い蔵です。明治26年の大火にも消失せずに残ったため、復興時に大沢家のような蔵造りで町を再建することになったということで、今の川越の蔵の町が形成されるきっかけとなった、重要な建物です。大火後に新しく建てられた蔵に比べて、屋根は軽やかです。大火後の蔵は、江戸日本橋に対する憧れから、派手になっていったようです。ここで案内の荒牧さんは「一番街はいつでも見れるからね」と言って、大沢家の脇から再び静かな路地に入りました。修復された洋食屋さん「太陽軒」、NPOにより運営されている映画館「スカラ座」、懇親会の会場である「初音屋」の前を通り、長屋にたどり着きました。蔵の会は、この長屋の一軒を借りて、事務局として使っているのだそうです。

再び一番街に戻り、蔵の街並みを歩き、埼玉りそな銀行の堂々とした洋風建築を眺めました。蔵と洋風が混在していることが、街並みを一層楽しいものにしていると感じられます。りそな銀行の隣の小林家住宅では、近年、傷んで崩れていた外壁の修復工事が行なわれました。設計監理は伝統技法研究会、施工は風基建設です。店蔵の奥の文庫蔵前に施主の小林さん、伝統技法研究会の遠藤さん、左官工事の加藤さんが揃って出てくださり、詳しい説明をしてくれました。施主の小林さんは美しい姿を取り戻した蔵の収蔵品をひとつひとつ整理し、きれいに展示し、機会をつくっては、蔵を公開してくださっています。一時は取り壊しを考えていたという蔵がこのように再生され、私たちの目に触れることができるようにしていただいているとは、ありがたいことです。ここで、1日目の街歩きは終了、10時半からたっぷり2時間、川越の町歩きを楽しみました。

※川越の町歩きガイドはこちらへ。

(千尋建築事務所 奥隅俊男)


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左/小林家の文庫蔵の外観。フックが何カ所か出ているのは、改修工事の際に足場をかけるためのもの。改修を見越したしくみが新築時に組み込まれているのだ。 右/文庫蔵の中には、生活用品、工芸品などが展示されている。