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林業・岡崎定勝さん(岡崎製材所):製材所からはじまる木の家づくり


家族の手の技と地域の資源で
手作りの木の家を

「地域資源と手作りで木の家を」と提案できる岡崎さんの強みは、家族がしっかりしていること。その家族とは、核家族ではなく、先祖から子孫へと世代を通じてつながる家族の力です。山には先祖が植えた木があり、家族は子孫の世代まで含めて、木の家づくりにそれぞれのパートで関わっています。

まず、経理事務など製材所を切り盛りしながら、ステンドグラスで飾り窓や照明器具などを作られる奥様の政子さん。政子さんが育った多治見には、昭和5年に建てられたカトリック神言修道会の修道院がありました。広大なぶどう畑の中に木造3階建て、赤い屋根と白亜の壁の建物。礼拝堂には、ガラスがはめこまれており、色ガラスを通した光のやわらかさに、子どもながらに感動されたことが、ステンドグラスを始める原点となったそうです。

左:ステンドグラスを製作中の政子さん 右:オシドリをモチーフにした照明器具。ガラスが透けて壁に映し出す影の色が美しい

岡崎さんと政子さんの間には、娘さん二人がおられますが、長女の恵子さんは勤めた仕事先で知り合った元(はじめ)さんと結婚、元さんと3人の子供たちとともに、家業を手伝うために八百津に戻ってきました。

「いずれ戻って家を継ぐものだと、小さい頃から自然とそう思っていました。就職、結婚で10年間名古屋に住みました。鍵一つで戸締りでき、なんでも自分の思うようにできる核家族だけの暮らしは快適で便利でしたが、なんだか私にはあっさりしすぎていて、そこで一生暮らす気はしませんでした。田舎はいろいろなしがらみがあって、面倒くさいけれど、それでいてやっぱり、ほっとします」

子供たちを連れて八百津に戻ってきた恵子さん夫妻は、一級建築士、二級建築士、宅地建物取引主任者、土地家屋調査士、測量士、行政書士と、二人でとった種々の資格を携えて帰ってきました。これまでも住宅のプランニングは設計士が入るケース以外は岡崎さんがしてきましたが、建築士の資格ををもった娘さんご夫婦が帰ってきて、万全な体制となりました。「大概のことは、家族でやれます」と、岡崎さんも心強く思っているようです。

ご主人の元さんもこれまでのキャリアとはまったく別世界の仕事を、義父の岡崎さんについて、どんどん身につけていっています。「前の仕事は金属関係。ものづくりの充実感という意味では同じですが、金属にはないあたたかみのある木の世界に、どんどんはまっています。お祭やPTA、消防団などの活動を通して、八百津のみなさんの人柄に触れ、ここにふるさとを感じるようになってきています」

左から、岡崎定勝さん、元さん、政子さん。

家族みんなでのものづくり

「ただ製材所をやっていただけでは、ここには年寄り夫婦しか残らなかったかもしれません。家族それぞれが自分の特技の手仕事を持ち寄って、家づくりに携われるのは、ほんとに嬉しいことです。」と岡崎さんも笑顔をほころばせます。

「製材所の仕事をするまでは、片道2時間かけて、会社に通っていました。家族との一日の会話が『行ってきます』と『おかえりなさい』だけ、という日々でしたね。今は、家族といっしょにいられる充実感、そして、家族でものづくりができる幸せを感じています。義父がまだまだ元気なので、いろいろなことをたくさん吸収したいですね。」と、元さんもこの暮らしの変化をよいこととして受け止めておられました。

「小回りが効くことが家族経営のよさ」と、岡崎さんは言います。原木生産、製材、建て主さんとの打ち合わせ、設計、インテリアなど、施工そのもの以外のほとんどをすべて家族の中でまかなえています。「家族経営での手作りのものづくりということで、ハウスメーカーにはできないことができるのではないでしょうか」と政子さんは言います。

ところで、家族でまわし、家族をまかなえる経営とは、どのくらいの規模なのでしょうか?「多くて年間5棟ぐらいですね。それより規模を拡大しようと思えば、家族だけではやっていけないですし、規模を大きくしたら今のようなやり方では成り立たないでしょう。」家族経営だからこそ、融通が効く部分もあるのかもしれません。

先祖が残してくれた山からの家づくり

そして、もうひとつの強みは、自分の山をもっていること。家づくりが成約すると、岡崎さんは、お施主さんをまず、山に連れていきます。「先祖が残してくれたおかげで、お施主さんに山の木からの家づくりを提案できます。ありがたいことです。」

取材の最後には、岡崎さん、娘さんご夫婦とお孫さんの定英君と一緒に山に連れていっていただきました。定英君は、地下足袋を履き、腰に鉈をさげた「山に入る」出で立ち。「ここからがうちの山だよ!」と自信をもって教えてくれました。岡崎さんにそっくりな、ご自慢のお孫さんです。

左:山に入るとますます生き生きとする岡崎さん 右:孫たちも山には慣れたもの!

山には、尾根筋から入る道がついていて、その両側の斜面に岡崎さんの年齢以上の樹齢の立派な檜や杉が立ち並びます。定英君もご両親も、歩き慣れた山のようで、すいすいと斜面をおりていきます。一本一本の木を見上げて、岡崎さんが立木の良し悪しの見分け方などを話してくださいます。お施主さんをともなって山に来る岡崎さんに同行することで、娘さんやお孫さんが木のことを自然と覚えていくのでしょう。

「お施主さんには『この中からあなたの家の大黒柱になる木を選んでください』と申し上げます。ひとつひとつの木を見て『これにします』と決めていただきます。伐採にもできるだけ立ち会っていただきます。山の木が家になることを実感できて、とても感動的です」こんなこともあったそうです。「子供さんに恵まれないご夫婦が大黒柱に選ばれた木を伐ってみたら、内側にもう一本木を抱き込んでいる、はらごもりの木だったんです。その直後にそのご夫婦は、お子さんを授かったんですよ」木のもついのちをいただいての家づくりには時には不思議なことも起きるのです。

山にはその「はらごもりの木」の切り株が残っていた。

「自分のうちの山の木で、できる限りのことを手仕事でする木の家づくりでは、家がモノではないんです」と岡崎さんは語ります。出来上がった家を引き渡す時は、娘を嫁がせるようなさみしい気持ちになるのだとか。娘に会いに行くような気持ちで、家が完成してからも度々様子を見に行くことになり、ずっとお施主さんとのお付き合いが続いていくそうです。家の完成が家づくりの終わりではありません。むしろ、つくり手と住まい手の家族ぐるみのつながりの始まりなのでしょう。


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