工務店である建築工房・悠山想を主宰しているのは、設計士の宮本繁雄さんだ。
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工務店・宮本繁雄さん(建築工房 悠山想):古びない家


職人を育て、山とつながり、 地域のデザインをつくることをめざす

設計士が、大工を抱えた工務店を主宰

熊本から移築してきた蔵を事務所にしている。

宮本さん自身は設計士だが、宮本さんが率いる「悠山想」は大工8人をかかえる工務店だ。これだけの大工をかかえ、工場をもち、設計施工を続けていくことのリスクは大きい。「それでも、この大工ならこうやってくれる、という信頼にはかえがたいですよ」と宮本さんは言う。同じ図面を引いても、施工する人によって、まったく雰囲気が変わってしまうこともある。「雰囲気や素材感を大事にするのならば、そして架構がそのままデザインになる木の見える家には、いい大工が身近にいることが必要なんです。」

事務所に続く工房。

「悠山想」がある限り、社員である大工たちは、木の家づくりを続けて行くことができる。8人中、4人は20代の大工だ。「悠山想」の仕事の中で、彼らも育って行く。「職人のすぐれた技術をつないでいくこと抜きの家づくりは考えられませんね。」育って行く一方で、年をとっていく大工たちが生きて行く道のことも考える。「上棟の手前までを請け負う、手刻み工場を作ろうかと思案中です。」

地域のつながりで、地域のデザインを残していく

蔵の内部が設計と打合せをする事務所になっている。

「悠々として山を想ふ」の言葉通り、山とのつながりも大事に考えていく中で、宮本さんは図面を渡せば原木の木取りから考えることのできる若い「木挽き棟梁」に出会った。製材所から製品を買うのでなく、上流の山の素性の分かった木を直接使うルートをひらいていこうとする中での出会いだった。「同じ木の家づくりでも、山とつながっていくことを考えられないようではこれからダメだと思いますよ。」

図面は今でも手描きする。「手で描く方が、ぼくには問題点がよく見えて来るんです。」

「赤貝を焼いた灰でつくる漆喰が好きで、よく使っています。その漆喰をつくれるところが、有明海に一軒しかないんです。まさに風前の灯火です。でも、使って行けば、残る。なんとかまだ、ぎりぎり間に合う。」昔はそれぞれの地域に各職方がいた。それだけの需要もあった。ところが、昔からのいいものづくりをする人は減って来ている。だからこそ悲観してはいられない「せまい地域でだめなら、筑後川流域とか有明海周辺とか、もう少し広げて考えた中で地域のデザインを残して行けたらなと思います。」

吉村順三が改装に携わった京都の旅館「俵屋」の写真を見せてくれた。悠山想でも近く、湯布院に和風旅館を一軒頼まれていて、今、宮本さんはアイデアを膨らませているところ。

悠山想のメンバー

近くの山を、職人を育てながら家づくりを続けて行く。それが地域のつながりを復活させ、地域のデザインを残して行くことにもつながる。「循環型社会にあった家づくりが、この時代に生きるぼくらの使命だと思うんです。いい家をつくっていけば、家を建ててくれ、という人があらわれる。そして山や職人を含めた家づくりがまわっていく。そのためにも、古びない、いい家づくりを続けて行きたいですね。」


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「自分自身の過去の思い出は、その想像力の根源となります」ルイス・バラカンの言葉が、設計中の図面の横に貼ってあった。