そもそも日本の家は、太陽と大地の恵み、つまり自然素材だけでできていたのものです。これは日本にかぎらず、人はみなそうやって家をつくってきました。それが、今では、あたりまえなことではなくなってしまっています。なぜなのでしょうか? これからどんな方向に向かえばよいのでしょうか?
■そもそも家とは 身近な自然素材でつくるものだった
「地球生活記」というすばらしい本があります。副題は「世界ぐるりと家めぐり」。写真家の小松義夫さんが、世界各地の、その気候風土の中から生まれた「ふつうの家」を取材してまとめた大判の写真集です。それを見ると、世界中の家々が「身近で調達できる材料でつくられている
」ことがわかります。ページを繰っていくと、家をつくっている材料はおよそ、土、石、木、草や葉、動物の皮に分類されます。人は大地そのもの、そして大地に生え、太陽の恵みで育つ動植物をうまく使って、家をつくってきたのです。 そしてどの地域の家も「その気候風土に暮らすのにもっともよく合った工夫」をしています。湿度の高い、暑い地域では、床が高く、開口部の大きい風通しのよい家をつくっています。直射日光のきつい、乾燥した地域では、日干し煉瓦や土と石で、太陽光から身を守るしっかりしたシェルターを確保します。寒い地域では、石や氷、あるいは横に積んだ木でつくった強固な壁で室内を外気から閉ざします。それぞれの地域での自然の理にうまく添う、人々の知恵と技とが、長年にわたって連綿と伝えられてきたのです。
■日本の家は 木と土、竹、草、石でつくられてきた
緑豊かな日本では、古来から木が主な建築材料でした。何世代か先に家を新築する可能性を見越して、自分の山で木を育て、子孫に残す習慣もあったようです。その木を、礎となる石の上に、木がもともと生えていたのと同じような向きに、柱として立て、梁や桁を渡して組み、「木造軸組」(詳しくはそもそもの壱参照)とよばれる構造をつくりました。柱と柱の間は、あるいは土塗り壁や板壁に、あるいは木と草の繊維からつくられた紙でつくった建具(そもそもの参参照)を入れ、開口部と壁とをうまく組み合わせて暮らしたのです。 屋根の素材には、地方ごとに、さまざまなバリエーションがありました。藁、萱などでつくる草屋根、土を堅く焼き締めた瓦屋根、杉皮や檜皮で葺いた屋根や、鉄平石のような割石を使った屋根もあります。村の共有である入会地で採った草や、稲刈りの後の藁、製材途中に出る木の皮、身近な割りやすい岩からとれる石など、材料の調達がたやすいものが選ばれました。瓦は、粘土を練って、さまざまな形に成型し、焼き締めた、古代からあった最も古い建材です。 夏の暑さや湿気に対しては開放的なつくりで構える一方、冬の寒さや台風に対しては閉じるための工夫をしていました。四季のはっきりしている日本では、季節によってしつらえを変えることで、環境の変化に対処しきたのです。今では「メンテナンスフリー」がいいように言われますが、昔は季節毎に畳をあげたり、雪囲いをしたり、縁の下を開け閉めしたり、まめに気働きしたものでした。それが、生活のメリハリとも、歳時記ともなったのです。
■現代住宅に使われる新建材や木質系材料
木を挽いて、削り、組む。土と水を混ぜ、練って、塗る。一昔前までは、自然にある素材を一次加工することで家の材料としていました。今の家は、どうでしょうか。何回も塗り重ねてつくた土壁や無垢板の壁は、合板や石膏ボードの上にビニールクロスを貼った壁に、無垢の板を何枚も張っていた床は、広い面をカバーする合板類や積層フローリング材、板目模様の塩ビのフロアーシートなどに、取って代わりました。柱や梁は外材の集成柱。それを覆う壁の仕上げは、一見タイル風、石貼り風のパネル状になったサイディングを張り、部分的に一点豪華な輸入の石張り。これらはみな量産工場で生産されたものであったり、商社経由で輸入された建材がほとんどです。特に工場生産されたものを「新建材」と呼んだりします。 木ですら、そのまま製材して用いるのでなく、工業製品の原料となることが多くなっています。大根をかつらむきするように剥いで、糊で貼り合わせた合板。建てれば家の壁になってしまうパネル。細かい木を集めて接着した集成材。みな、工場から規格品として出荷される製品です。これら木の加工品は、無垢の製材品に対して「木質系」などと区別して呼ぶこともあります。木の持つバラツキを減らし、構造性能の高い木質系材料は建材として優れている点もありますが、接着剤や廃棄時の処理など環境に対する問題も指摘されています。また、木の家をつくるのでも、仕口継手などによらず、簡単に木と木をジョイントしていくことのできる「接合金物」も登場し、経験と技術を必要とせず、だれが施工しても住宅として造り上げることができるようにはなりました。 第二次大戦後は、焼け跡からの復興、大都市への人口集中への対応といったことから、たくさんの家を短い間に大量供給することが急務でした。しかも日本の山も荒れ果て小断面の木しか得られない状況でもありました。その過程で、家をつくる工業技術や生産のしくみは、いかに工事内容を簡略化し、大量生産に適応させるのかが必要な時代でした。それが戦後復興に引き続く高度経済成長を支える重要な工業生産分野となっていきました。寸法の整った、狂いの少ない、品質管理が行き届いた規格部品で組み立てる家づくりが、一軒一軒、木のクセを見ながら刻み、組み上げていく家づくりよりも時代のニーズに合っていたのです。木を見極める眼や手の技がなくても簡単に造れるつくり方つまり、木の家といっても木をすべて隠してしまうようなつくり方であれば、経験の浅い人でも、短い工期で家を完成させることができるようになってしまいました。その結果として、材料は分厚いカタログの品番ですべて決めることが可能となり、家づくりは品番の集合体になってしまいました。お隣との違いは、メーカーと品番の違いだけということになってしまったのです。こういう家づくりを私たちは求めていたのでしょうか?
■今、ふたたび注目される自然素材
ところが、ずっと右肩上がりで進んできた高度経済成長にも、はっきりと眼に見える形で、かげりが出てきました。経済成長が停滞しただけでなく、環境問題をはじめ、工業化にともなうひずみも、目立ってきました。住の分野では、新建材で建てた家に住むと、眼がチカチカする、動悸がひどくなるなどの健康被害が起きる「シックハウス症候群」が話題にのぼるようになってきました。製材した木を使っていても、防腐剤や防蟻剤がそのような症状を引き起こす例も報告されています。 大量生産は大量消費をともない、その結果として大量廃棄の問題も、深刻になってきています。今の家は平均寿命がせいぜい、30年そこそこだというのです。新建材でできた家は住まれなくなると、どうなるのでしょう? 解体された後の建築廃材の大部分は、土に還らないゴミとなります。昔ながらの家であれば、木を再利用することもできたし、そうできなくても、木や土は、土に還るのに・・・。今ある家々が、数十年以内にはみなゴミになるのだと想像してみたら、末恐ろしくなりますよね。 もう一方で、川の上流に目を向ければ、植林されたものの、手入れされずに荒れた山が目立ちます。新建材の台頭と外国産材の輸入自由化により、国産材が使われなくなっているからです。緑に覆われたこの日本で、身近な山の木を使わなくなったために、森林の保全・育成のサイクルが崩れ、治山治水の要である山々が荒れているとは、なんともおかしなことです。空気中の炭酸ガス濃度があがることにより地球温暖化が進んでいることが国際的な問題となっています。CO2濃度の削減を国家間で約束する「京都議定書」を守るためにも、健全な森を育てること、建築資材になってもなおCO2を蓄え続ける木を使った家を建てることには、とても重要な意義があります。 このようなさまざまな文脈で、国産材をはじめとして、身近なところで手に入る「自然素材」が、ふたたび注目を集め始めているのです。