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大工・池上算規さん(大工 池上):長崎県産材100%の家ができるまで


棄てられていた木と
現場の土を使ってつくった最初の家。

我が家の増築工事の様子を見ていて、「こんな家を、できれば地元の木で建ててほしい」と言ってくれる人があらわれました。嫁さんの友達です。現場は小江原という長崎でも山沿いのニュータウンだったのですが、予定地のすぐ近くに、なんと杉が20本ほど棄てられている!のを見つけてね。台風で倒れそうになっていたのを伐ったのが、そのままになっていたんです。

「これ、赤身だけなら使えるな」と気になって、その土地の持ち主に交渉してみたら「片付けてくれるんなら、タダでもってっていいよ」って言われてね。ちょうどその時タイミングよく九州に来ていた徳島の和田善行さんに木を見てもらって、使える分は柱や梁をまかない、足りない分だけ和田さんに材料をお願いしました。救った分の中には百年生以上の年輪の詰まったのもあって、それを無駄にしないで使うことができたのはうれしかったですね。

現場の隣に作業小屋を作るために土地を借りたんですが、整地してみたらそこの土にすごく粘りがあるんです。で、土壁に使えるかも?と思いついて、田んぼをやっている知合いから軽トラック一台分の藁と、古い家を解体した時に出た土壁の古土をもらい、土壁の材料にしました。家づくりを通して、その場にあるもの、捨てられていたかもしれないものを活かすことができた時は、喜びもひとしおです。丹呉さんの設計で、大工塾のみんなに手伝ってもらって上棟しました。

お施主さんと約束したお金や時間の中で、 実現可能性を見いだす。

その家を見た人から、こんどは宮崎でも、和田さんの木で建ててくれ、と頼まれてね、それも一生懸命やりました。それこそこの仕事をが「これが最初で最後かも」という気持ちで臨み、思ってきたことをとことん、やりました。で、持ち出してしまった部分もあります。「こんなものつくってちゃ申し訳ない、自分じゃ住みたくないなあ・・」と思いながら作って来た家づくりと、「こういう家にしたい!」ということを追求してつくる家では、同じ家づくりでも、全然違います。追求する仕事はやりがいがあるけれど、とことんやってしまうので、こちらの生活がそれで成り立つか、ということでいうと、きびしいんです。

お施主さんとは「これだけの予算で」ということを最初に契約しています。それが、やっていくうちに自分の中で「ここまでやろう」ということで手をかけていく。よけいに時間をかけた分の大工手間は、自分の持ち出しになるのはもちろん、人に頼んで仕事してもらっていたら、身銭を切って支払うことにになってしまいます。結局、よりよいものを求めるあまり、自分で自分の首を締めるように時間をかけてしまったりするんです。

そんなことばかりしていたら、続かない。いいものをつくりたい、という気持ちと現実の時間やお金の枠。そのギャップをどうやって埋めて行くか、ということが当面の課題です。「予算がこれくらいなら、この程度でいいか」という風にはどうしても思えない。だったら、なんとか折り合いをつけながら、していかなければいけない。そのための努力や工夫がいるんですよね。

大村の家 設計:丹呉明恭

どうやったら仕事の質を下げずに
うまくまわしていけるんだろうか?

経験を積んで行くうちに、手が早くなる部分もあるし、これだけのことをやるにはこれだけの工数がかかる、だから、大工手間はこのくらい、という読みもできてきます。きちんと仕事していけばどうしても、これだけの時間はかかる。そこを最初から読めないといけないです。そこを読んだ上で予算が足りない、ということであれば、家の規模を少し小さくするとか、どこかを思い切って省くとか、そういうことを事前にお施主さんと話してうまく合うようにしていかなきゃいけないんですよね。そこはまだまだ勉強中です。

プレカットには出したくないです。でも、自分の工場で電動工具をうまく使って効率化をはかるということについては、まだまだ研究の余地があると思っています。何から何まで手刻みで、となれば、膨大な予算が必要か、あるいは持ち出しをするかになってしまいます。ここまでは機械を使って短時間でやる、ここからは自分の手できっちり仕上げる、伝統構法をやっていて、そこそこの数をまわしている工務店では、そういう使い分けがきちんとできていますね。そうなりたいなと思いますよ。

最近よく、リフォームを頼まれます。悩みますね。頼んでくれる人は自分の暮らして来た家を「ゴミにしたくないから」という思いで相談しにきてくれるのですが、「何年もちますか?」と言われて口ごもってしまうような脆弱なつくりであったり、身体によくない、後でゴミにしかならない新建材が使われていたりすることが多いんですよ。特に長崎は、家がみんな原爆で破壊されつくしていますから、戦後、とにかく効率優先で建った文化住宅ばっかりなので・・。

新建材だから、材が細いから「さあ、建て直しましょう」というのも、ゴミをつくる家づくりになってしまいます。本当は建て直した方がいいんだけれど、住まい手の「まだ大切に使いたい」という思いが強く、その家族が直して住み続けることを選んだ場合には、できる限りの補強や改善をしながら、気持ちよく安心して住み続けられるように直します。

してきた仕事が
次の縁や新たな出会いを生んでくれる。

宮崎の家を見た方から、大村で一軒頼まれ、またその仕事が雑誌「チルチンびと」に載ったことが縁で、こんどは「長崎の木で家を建てたい!」という人があらわれてくれました。その時は大変でも、納得いくようにつくった家は、確実に次の縁を呼び込むんです。

思いをもってやっていくうちに、夢見ていたことがどんどんかなっていくという不思議を、ぼくはたくさん経験しています。したい仕事も、いい弟子も、みんな向こうからやってくるんです。今いる子は、長崎大学の環境科学部出身。自然農を教える奈良の川口由一さんのところで住み込みで学んだ子なんですが、その時に住んでいた古い家を修理した経験がきっかけになって、大工をやりたくなった、と言って、来てくれたんです。ありがたいことです。

次の夢は、新しい作業場の完成と
長崎での大工のネットワークづくり!

長崎市の隣の大村市に土地を求めて、まずは自分の思うような家づくりのための材料をストックできる広さのある工場をつくりはじめています。海とその向こうの半島が見える、とってもいいところです。地元の木を使って、伝統構法で家づくりをしたい、その思いを訴えたら、銀行でお金を貸してくれました。いずれ、自宅も工場の隣に建てようと思っています。これまでと同じように、その時その時は精一杯で苦しいけれど、それでも少しずつ自分の思う方向に夢はかなえていけると思います。「いやなことはやらない」というだけで続けて来たことですが、それがここまで自分を連れて来てくれました。

あとは地元で仲間づくりをしたいです。長崎の大工さんたちに仕事を見てもらうもあるんだけれど、「たしかにすばらしい仕事だけど、自分じゃここまでやらない、やれない」という反応しか、まだかえってこない。横のつながりが生まれるといいなと思ってるけれど、それもきっとこれから、なんでしょうね。これまでどおり、あまり後先考えず、今できることをまっとうしていたら、そのうちに必要なことは舞こんでくる!そう信じている以外、ないですから。いずれ長崎に、大工同士、そして大工以外にも一般の方ともいっしょになって、環境のことをトータルに考えた木の家づくりのグループをつくりたいと思っています。


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大村市にある池上さんの作業場。奥に見えるのは大村湾。この脇に自宅を建設する予定。