お母さん仲間で
お店を始めたい!
北上町白浜に住んでいたのですが、地震直後、消防団員として動いていた夫はいまだに行方不明で、捜索を続けています。現在は、小中学生の子ども3人と、避難所ではなく実家に帰って暮らしています。仕事は桃生町の設備会社に通っていますが、いずれ家を建て、夫の両親といっしょに住みたいと希望しています。
地元の約200世帯が、北上中学校に隣接するにっこりサンパークにできたプレハブの仮設住宅に住んでいます。今、北上には食料品を買えるような店が一軒もなく、いちばん近いスーパーのある河北町飯野川までにっこりサンパークからだと車で片道30ー40分、十三浜のいちばん奥の小滝からだと片道1時間もかかります。車のない年寄りは、人に買い物を頼むしかなく、気おくれを感じています。
被災してからこれまでは日用品も支援物資としてまわってきてもいましたが、これからはそういうわけにもいきません。なんとか被災はまぬがれた小さな商店も、震災後再開のメドがないようなので「私達で八百屋でもはじめようか」と、子どものいるお母さんたち同士で雑談していたのが、私が今、仲間たちでやっている「We Are One 北上」というグループの誕生のきっかけとなりました。
産直販売所を通して
本当にやりたいのは地域づくり
話しているうちに、いろいろ、やりたいことが広がってきました。「町場から仕入れたものを売るのでなく、地域でできたものを地域で売る、地域の振興につながる店を作りたい」という考えに至りました。たとえば、農協に出荷するほどでもない、けれど自家用よりはたくさんできる畑をやっている小さな農家がたくさんあります。
今までは、野菜などを作っても卸す先も特にないので「玉ねぎあげて、わかめをもらう」という具合に、知り合いと交換していたのが、震災後そうしたこともままならず、荒地化していきそうで心配です。私達が直売所を作れば、そうした零細規模農家がやる気になるんじゃないかと思うのです。
震災から一年、海に出始めてる人もいます。あわび、うに、ホタテはまだまだですが、わかめやひじき、フノリなどはもう始まっています。昆布の養殖も置きたい。個々の漁師の家ではやるのは無理でも、私達がまとめて仕入れてホームページで販売すれば、ネット販売も可能なのではないでしょうか。
そんな、地域の人がつくったものを出品する窓口となって、避難所暮らしの人が歩いて買いにこれる店を作りたいんです。北上のお母さんたちは働き者ですから、みんなで畑をつくってもいいよね、とか、加工所も併設して「We Are One 北上」特産の農産加工販品売ともできるね。そのためには厨房もほしいね、などと夢が広がりました。
最近では、これは地域づくりなんだ、ということを実感しています。これからの北上町のまちづくりのキーマンである町役場の地域振興課の今野さんの依頼で、北上町にボランティアで入ってこられる方と行政や地元との間のパイプ役としても動いています。毎晩のように開かれる集落ごとの高台移転のワークショップにも立ち会っています。
子どもハウス
地域の未来を育む場所
もうひとつ欲しいのは、子どもたちの勉強場所です。仮設は4人家族だと2DKが割り当てられ、子どもが落ち着いて勉強するのが難しい家庭も多いのです。これまでは自分の部屋があり、そこで勉強していたのが、親に遠慮したり、寒い台所で勉強していることもあります。聞いた話では、受験を控えた子どもの中には希望校を諦めている子もいるといいます。高台移転の合意ができている地域ですら、あともう2年近くは仮設暮らしとなることを考えると、落ち着いて受験勉強ができる、そんなスペースが是非欲しいのです。
地元の年寄りが作ったものを持ってきたついでに買い物もでき、学校帰りの子どもたちがじっくりと勉強できる場が仮設住宅から歩ける範囲にあれば、そこは、いろいろな年齢層の人が頻繁に出入りして、おしゃべりしたり、笑い合ったり、自然と交流できる場にもなります。ちゃんと事業としてまわっていけば、お母さんたちの雇用の場もなります。
ここが好き。被災して家も人も失った今も、これからも、ここに住み続けたい。そのためには、この地域で暮らしていけること、経済をまわしていくことがどうしたって必要です。「不便だからお店があればいい」だけではない、自分たちの未来をあきらめずに、これからも住み続けられる地域をつくりたいのです。避難所や仮設住宅からこの地を離れる家族にはそれぞれの理由があります。しかし、このふるさとに残ることを決めた私たちは、子どもたちのためにも、ふるさとを住み続けられる地域にしていかなくれはならないと思うのです。
お地蔵さん脇の土地を
提供してもらえることに!
そのような夢を描いた中心メンバー5人でたちあげた「We Are One 北上」。私達の夢をいろいろな人に語っていくうちに、ある土建業者さんが、土地は無償で提供してくれることになりました。津波が遡上して北上川沿いを襲った中、座っている向きが多少は変わったものの、江戸時代から座ってきた台座から落ちなかったお地蔵さんがあります。そのすぐ横の土地です。
ちょうど、にっこりサンパークにある仮設住宅にあがっていく道ののぼりはじめの角。北上町内にあった3つの小学校のうち、相川小と吉浜小は校舎が全壊したので、2校の生徒は、内陸にある橋浦小の校舎に間借りしています。橋浦小から仮設住宅に子どもを送り迎えするのにも、必ず通るところでもあります。
AfHの助成金に応募中
夢を実現するにも、自己資金だけでは足りません。いくつかの助成金に応募はしてみたのですが、固定資産にはお金を使えなかったり、これまでの実績がないのがネックになったり、営利目的の店の事業と農業の組織づくり、地元の雇用、イベント企画といった地域づくりの活動との線引きがむずかしかったりと、なかなか応募できるものがなくて、困っていました。
佐々木さんと北上町のこれからのまちづくりでご一緒するご縁で、相談にのっていただいたところ、AfH(Architecture for Humanity)というアメリカの建築系の助成金に応募しないかと勧められ、私達の夢を直販所+加工所+子どもハウスという2階建ての複合施設の建物として、基本プランにおこしていただきました。現在、結果待ちです。
仮設店舗でもいいから
早く営業を開始したい
「We Are One 北上」でこのような夢を持ち始めたのが昨年の9月。もう2月というのに、プランをつくってAfHに応募したところまでで計画は止まっています。高台移転の話も進んできていてそわそわもするのですが、「もういい加減、一日も早く店を始めたい!」とメンバーは焦れてきていました。
そこへ佐々木さんから「木の家ネットの仲間で、埼玉の大工の杉原敬さん(以前から彼を知っている人は、親しみを込めてマイケルと呼んでます)が、作業場に9坪の落とし込み板の仮設住宅を作っていて、被災地で活用してもらいたがっている」という話を聞きました。AfHの結果が出て、建設が始まったとしても、竣工して営業を始められるようになるのにかなりの時間を要します。だったら、その杉原さんの9坪ハウスを提供してもらえるのなら、店の営業だけなら、すぐにでも始められるかも・・という希望が湧いて来ました。
ちょうど、3.11の一周年企画ということで、木の家ネットの事務局が佐々木さんや相川子育て支援センターの避難所の鈴木所長さんに取材に来るという予定があったので、杉原さんも一緒に来て具体的な打ち合わせをすることになり、今日に至っています。
※取材後の状況の変化については、このページの最後に書いてあります。
大工として何かできないか?
勢いでつくってしまった9坪ハウス
震災発生直後に、被災地に対して、大工として何ができるか?ということを考えたんです。山があり、木があれば、自分は家を建てられる。応急仮設住宅はほぼ全てが鉄骨プレハブで、設置は基本的に大手プレハブメーカーのみです。だけども日本中に大工さんはいるし、行政や大手メーカーの手の届かないところでできることもあるのでは? そして木組みの板倉構法ならば比較的安く早くできるし、地域の木材活用にもなる。しかし一般にはあまり知られていない構法だし、低予算にするには試作を作ってみようということで、仲間と共に作業場に落としこみ板壁の9坪の仮設住宅を、勢いで作ってしまいました。建物の材積坪あたり1.4立米、9坪で材料費は100万円ぐらいです。建前は1日で済みます。波板程度の簡単なものだったら、屋根までやっても3日ぐらいでかけられます。
もう一つの提案としては、今後の災害時に、自分の住む飯能市のような林産地が主体となって応急仮設住宅の供給ができないかということ。市の災害対策課として近隣の市町村と連携した形で今後進めようと言う動きになり、現在検討を進めてくれています。
その他にも沢山の方に提案し、なかには被災したお寺の仮のお堂としてどうだろう?というお話もありましたが、残念ながらいずれも実現に至るまでにはなりませんでした。 被災地の人と具体的につながることがなかなかできず、つくった9坪ハウスは作業場に眠ったまま1年近くが経ってしまいました。佐藤さんとの縁ができて、ようやく、生きる時が来たのかなと嬉しいです。
ふるさとを自立した形で再生したい
という願いを応援したい
「We Are One 北上」の思いは、ふるさとを自立した形で再生したいということなんだと思うんです。好きなふるさとに住み続けたい。それには、そこで生きていく基盤が必要です。佐藤さんが地元の物産を買える場所を地元に作りたいというのは、その基盤のひとつだと思います。
復興していくにあたって、木の家が建っていくことを望むのも、同じ気持です。地元の木で、地元の職人が復興に向けて木の家づくりをしていくことができれば、それは、地域の中で経済をまわすことにつながります。そこにあるもので、そこにいる人が生活できる。買い物はスーパーで、家づくりはハウスメーカーで、となっていくと、そのような自立をどんどん奪われていってしまうと思うのです。
木造で簡単にできる9坪ハウスが仮設住宅の入り口に建っていることで、もしかしたら自力再建は無理と諦めていたお年寄りが「この位の小さな木の家なら建てられるかもしれない」という希望をもつ人が出てくるかもしれません。
ふるさとを愛していて、そのふるさとが持続していくことを願って、何かをつくりだしたいという人がいる。そうした人たちと出会えた。その出会いの中で花を咲かせたいです。
その後のいきさつ
We Are One 北上の仮設店舗は
リースのプレハブでオープンすることに
佐藤さんと杉原さんとの打ち合わせの中で、9坪ハウスをもってくるにしても、基礎屋さん、屋根屋さん、設備屋さんなど、さまざまな業種がからんでくるので、工期や見積もりなどを佐藤さんの方でとった上で、いつまでにそのくらいの金額で建てられるかをあたってみよう、その上で、実現可能性を判断しよう、ということになっていました。
ところが、被災地ではどの業者もいつ来てくれるか日程が立たず、9坪ハウスを採用すると、店をオープンするのが随分と先になってしまうことが分かってきました。「元から仮設のつもりなら、リースのプレハブの方が、持ってきてもらえばすぐに営業を始められる。撤去する時も簡単」という意見もあり、仮設店舗に9坪ハウスを用いることはなくなりました。
「やっぱりプレハブリースという決断をしました。時間を優先せざるを得ませんでした」と、佐藤さんから、悩み抜いた上でのメールが杉原さんに届きました。
とはいえ、元々のプランで建てるためのAfHの助成金がおりるとは限らないし、おりたとしても、店舗兼子どもハウスが竣工するまでには時間がかかります。小さなプレハブの仮設店舗には、子どもたちの場所まではありません。「設備や基礎のいらない子どもハウスとしてなら、依然、9坪ハウスは魅力的」と佐藤さんは言います。杉原さんとしても、せっかくあるものを使ってもらいたいという希望があります。なんとかならないものでしょうか・・・。