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きらくなたてものやチーム:家づくりを自分の手に!


きらくなたてものやチーム
設計:日高保さん(きらくなたてものや)
大工:藤間秀夫さん(藤間建築工房)
左官:湯田勝弘さん(湯田工業)

インタビュー実施日時:2010年6月21日
於:神奈川県横浜市
聞き手:持留ヨハナエリザベート(職人がつくる木の家ネット)

今回は「きらくなたてものや」として、湘南方面で建て主直営方式、セルフビルトの要素を取り入れた家づくりを進めている、設計の日高保さんの現場を訪ね、この10年来、直営チームで恊働してきている大工の藤間秀夫さん(藤間建築工房)、左官の湯田勝弘さん(湯田工業)もご一緒にインタビューさせていただきました。

今回の現場は、横浜市郊外の山の中腹にあります。かつては専業農家だった建て主さんのお宅の敷地には、夏野菜が元気に育つ畑や農機具小屋があり、このあたりが一面の田園地帯だった時代の名残が今も感じられます。関東大震災の直後からあるという母家のすぐ横に、藤間さんがこの現場のための材を加工する刻み場があり、練った壁土を寝かせてあるスペースもあります。母家には建て主さんのご両親が住まわれており、お茶の時間に畑の野菜でつくった漬け物を出してくださったり、工事の一部始終を見届けられています。82歳になるお父様は、セルフビルドの作業にはいつも張り切って参加し、誰よりも手際よく動いておられるそうです。建て主さんも、きらくなたてものやチームのそれぞれも、家づくりのプロセスをうんと楽しみながら進めている、気持ちのいい現場です。

公園になっている山の縁にまで新興住宅街や大きなマンションが迫っている境目に、訪れた現場はあった。

訪ねていったのは、建前から一週間ほど経った、雨上がりの蒸し暑い日でした。短パン姿の日高さんは、強い雨がベタ基礎に流れ込んだのをほうきとちりとりでかき出し、左官職の湯田さんは日高さんの事務所の所員の女の人たちといっしょに、込み栓を打っていました。笑顔の藤間さんは、母家からビニールの屋根を張り出した刻み場にいすを並べて、インタビューができるスペースを作っていて…「みんな、何でもしますよ」と日高さん。誰が大工で、誰が左官で、誰が設計で、という役割を越えて仕事しているのが印象的でした。「場所ができました。暑いですけど」と席を進められ、お話を伺い始めました。

伝統構法への「初めの一歩」を
踏み出したかった同士の出会い

日高:「きらくなたてものや」チームとして僕ら3人でやりはじめたのは10年前からです。最初のきっかけは、僕の自宅づくり。その頃、僕はまちづくりや建設事業のコーディネートを行う会社の社員で、コーポラティブなど、コミュニティーを意識した仕事はしてましたけれど、伝統構法とは直接に関係はなかったんです。けれど伝統構法のことは「住宅建築」で特集しているのを読んだり、いろいろな建物を見たりして気にはなっていて、まちづくりという立場から、今の日本にとっていい家づくりって何だ?と考えていけば、伝統構法はひとつのすぐれた方法論なんだろうな、と思ってはいました。山の問題の解決策でもあるし、職人も元気になりますしね。けれど、具体的に自分が伝統構法で、というイメージはなかなかもてないでたところ、思いがけず、自分の家を建てる機会がめぐってきて、じゃあ、まずは自宅を伝統構法で!と思い立ったんです。

今回の現場の模型

ヨハナ:はじめの一歩は、どのように踏み出したんですか?

日高:自宅の計画中の段階で、埼玉県飯能市の岡部材木店さんで自分の思いをしゃべったら「じゃあ、お前、伝統構法でやれよ!」って背中を押されました。「鎌倉でやるのに、伝統構法できる大工さん、知らないしなあ」と言ったら、藤間さんを紹介してくれたんです。

藤間:僕は僕で、当時はまだ、在来工法の家づくりしかしていなかったんです。でも、あきたらないものを感じていて、伝統構法の勉強会に出たりしていました。直営で木組み土壁の家づくりしている都幾川木建の高橋俊和さんとそこで出会って「応援に来てくれないか」と誘われて現場を手伝いに行ったりするようになって、高橋さんが木材を頼んでいる岡部さんとも知り合い、日高さんとつながることになったんです。

右から、日高さん、藤間さん、湯田さん

日高:伝統構法をやる人が少なくなっていると聞いてたし、何とかしたいなという思いはもってたんです。そこへ、岡部さんが藤間さんを紹介してくれたんですが、会ってみたら、僕と同世代。伝統構法の世界を知らないけど、やってみたい!という思いも同じでした。ぼくら若い世代が、楽しく、かっこよくやっていけば、伝統構法ももりかえしていくんじゃないかと思えて、まあ、自分の家だということもあって「やっちゃえ!」と(笑)。

求めていけば、あとはついてくる

ヨハナ:藤間さんは、もとは在来工法の大工さんだったのですか?

藤間:学校を卒業してから初めての就職は住宅会社で、設計や現場監理をやってました。でも、手を動かして物をつくることの方が好きだったんです。で「今から大工になれないですかね?」なんて、まわりに相談したりして「やめた方がいいんじゃないの?」なんて言う人も結構いましたけど、まだ自分も20代前半だったんで「いいや、やっちゃえ!」って(笑)。で、会社やめて、仕事でつきあいのあった親方のところに見習に飛び込みました。普通の在来工法の親方でしたけど、それでも「つくる」ということが新鮮で、すべてがおもしろかったですね。なにしろ、2次元の図面しか扱ってなかったのが、3次元の原寸大ですからね。体力的には朝から晩までの肉体労働できつかったけど、一週間が二日ぐらいに感じられるぐらい、刺激的でした。

親方のところには5年半ぐらいいて、所帯をもつことになったので、飛び出すような形で独立しました。ところが、当時は、景気どん底で仕事がなくて…自分でやっていくなら、せっかく自分が仕事した後が覆われてしまう在来工法でなく、木の仕事が見える伝統構法がいいな、と魅力を感じていたので、仕事がなかったその時期、伝統構法関係の勉強会などを自分で探しては、せっせと出かけていきました。シティの高橋さん、都幾川木建の高橋さん、岡部さん…。大平塾などの勉強の場でいろいろな人と知り合ってこそ、今の自分があります。木の家ネットで今ご一緒させていただいているメンバーとも、そこで随分出会いました。

ヨハナ:では、日高さんの自宅が、伝統構法で初めての現場となったわけですね?

日高さんの自邸

藤間:たまたま自分の仕事をしていなかった時期でしたから、伝統構法関係の勉強会で知り合った人の応援にあっちこっち行ってましたから、伝統構法の現場は少し経験してはいました。けれど、まるっきり自分でやるのは、初めて。これはチャンスだ。自分への挑戦状かな、と思って受けました。

ヨハナ:独立してすぐ、在来の仕事がみっちり入ってたら、そうはならなかったかもしれないですね。

日高:伝統構法は、ぼくも藤間さんも初めて。学校でも、仕事でも、伝統構法に触れる機会がなかったのも、そして、伝統構法への強い関心があるのも同じ。分からないけれど、とにかくやってみよう!と、勉強会で知り合った人をつかまえては、分からないことをどんどん聞いて、始めてみました。伝統構法の世界を広げようという思いのある先輩たちが、細かいことまでほんとによく教えてくださり、とても感謝してます。

藤間:日高さんの自宅、5層ぐらいのスキップフロアで、木組みも大変だったんです。最初は在来の図面が3枚しかなかったところからのスタートで、分からないことだらけだったけど、お互い、勉強しながら、まわりにもたくさん助けられながら進めていけた感じです。

湯田さんも加わって
木と土壁の家づくりが実現

日高さんの自邸、子ども部屋の竹小舞

ヨハナ:で、土壁は湯田さんに?

日高:伝統構法だったら土壁にしたい、と思っていたので、シティの高橋さんに湯田さんを紹介していただきました。

湯田:僕は日高さんや藤間さんと違って、もともと家が左官業でした。父は在来工法から市の文化財の土壁まで、幅広くやっていましたから、どちらの世界も知っています。在来工法だと僕らの仕事はボードに薄〜くモルタル塗るだけですが、土壁は小舞を編んで厚み全部が土で、やりがいがあるなと思ってました。土壁の家づくりの勉強会に出てシティの高橋さんと出会い、一緒に仕事するようになって、しかたなく継いだ家業が面白くなってきたところでした。

ヨハナ:3人がそれぞれの流れで、出会うんですね。不思議ですね。

藤間:かぎつけるんですよね、きっと。「これでいいのかな」って思ううちに、「こっちかな」と勘がはたらいて…。

日高さんの自邸のなかにそびえるケヤキの木と、それで遊ぶお子さん二人

ヨハナ:で、その日高さんの自宅以来、ずっと一緒にやってこられてきたわけですね。

日高:やれるか分からないけど、やってみよう。やってみたら、できた。だったら、これでいけるんじゃないか、ということで、会社を辞めて、今の形をはじめました。気がつけば10年経ってるんですね。


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取材に訪れた現場