木の家の良さは、五感に効く!
アトリエヌックの勝美紀子さんは、8歳の娘さんを、竣工したばかりの家に連れていきました。帰って来た娘さんはこう言った、というのです。「かあか(私のこと)、朋は大きくなって家を建てるとき、とおと(父親のこと)とかあかに設計してもらうよ。その時はマンションじゃなくて、木の家にしてよね。鉄とかプラスチックはいやなの。木はいい匂いがするし、床とか階段とかで遊ぶのが好きなんだ!」と。
いい匂い、手触り、木目、風合いなど・・・こどもも敏感に感じています。こうした五感の満足度は、数値であらわれる性能ではもちろんないのですが、そのあたりが住まい手にとっての「木の家の良さ」なのではないでしょうか。いつも気仙語でピリリと辛口のブログを発信している気仙大工の菅野照夫さん(シンタックホーム)は「木を組む「木の籠」に住む人を包む安心感が「木の家」の良さ。スギ・松・ひのきの床板、畳等の床に仰向けに寝、天井を見上げ、板の色々な木目模様、壁を横切る長押など(が目に入る)。立っての生活目線と、横になった安息の目線が知らず、知らず内に、住む人の身体にすみこみ心身に大きな影響を与えるのも、「木の家」の良さと感じる」と書いてくださいました。
「いざ何がいいのと聞かれると、いっぱいあって何を一番にあげたらいいんだろう。耐久性が高い。調湿機能がある。床が冷えない。いろいろありますが、なんといっても雰囲気の良さでしょう。私から言わせれば、耐久性の少ない今の住まいは問題外です。調湿性についても他の材料でも何とかなります。そういった性能を高めようとしたら、いろいろな構法を駆使すれば現代の住まいでも何とかなるでしょう。しかしながら、そういう性能を工業化製品で追求していくとすごく味気ない住まいになることが多いのです。すべての性能を確保しながら、生活に潤いを持つことができるのが木の住まいなのだと思います」とは、木の家づくりについてすじの通ったバランスのよいエントリーを毎日更新している三和総合設計の岩波正さん。
きらくなたてものやの日高保さんは「気持ちよいこと。それが木の家づくりに取り組む出発点です。その気持ちよさとは、刹那的に感じるものではなく、また固体物体としての人間が感じるものではなく、そこに生身の人間が春夏秋冬四季を通じて同じ土地に暮らしてみて、五感を通じて覚える気持ちよさのことです。」その気持ちよさとは「そのときに(木の伐採を見にいった時の森で)感じた気持ちの良い感覚が再びよみがえってくるのです。木の家は森の中と同じなんだという感じ(中略)人はもともと森(自然)の中で生活していました。木の家を建てることは都市に森を再生すること。」とさきほども出て来た宮越さんも言っています。人間は食べて、寝て、仕事に行って、帰って来て・・というだけの存在ではないし、家だって強度や性能だけでできているものではないのですね。五感がキャッチする気持ちよさ。自然の一部として生きている満足と安心感。木の家は人間を、やさしく包み込み、自然体に生かしてくれる器なのですね。
水分調節にすぐれている木の家
木の家のよさのひとつとして無垢の木のもつ「調温調湿機能」をあげたつくり手もいます。無垢材の表面は「ポーラス」と呼ばれる多孔質な状態になっていますので、湿気がある時にはその孔のひとつひとつに水を蓄え、乾燥してくるとその水を放出します。このはたらきによって、室内の空気が湿っている時には除湿、乾いている時には加湿してくれ、適度な潤いを保ってくれるのです。梅雨時と冬とで湿度が極端にちがう日本の風土に住まうには、木の家のこの性質がとっても利いてくるんです。
内田工務店の阿部さんは次のように書いています。「私たちの造る家は真壁工法により、壁を板や左官で仕上げることにより、家全体が自然の調湿器になるのです。たとえば、4寸の柱一本でビール瓶2本分の水分を調整してくれます。一室に柱10本、床・壁・天井に板を貼れば20リットル以上の湿度調整をしてくれます。私たちの造った家に伺うことがありますが、加湿器や除湿器といったものは見かけたことがありません。」 すごい量の水分が調節されているのですね。
恒河舎の寺川千佳子さんは、水道管が破裂して水浸しになった家が「木の家だから」助かった!という経験談を紹介しています。「(床上10センチも浸水してしまって)どれだけ修理にお金がかかるだろうと持ち主は心配していましたら、畳や布団をベランダに干し、窓を開けて風を通し、壊れた配管を修理してお仕舞い。構造材は勿論の事、床材、天井、建具も全て無垢の木材でつくり、壁は荒壁の上に漆喰塗りだったお陰で“乾かせば終わり”で済みました。これが貼り物のフローリングだったとしたら、壁も石膏ボード下地ビニールクロス貼だったなら大変な出費になったことでしょう。」
2004年夏、福井での大水害の時におだ住研の織田清さんも、インタビューで水害に遭った家屋について似たようなことを話しておられました。「新建材の家は、水には弱いですね。合板、石膏ボード、グラスウール、どれも、水に浸かるとぼわぼわになって、使い物にならない。部屋の高さの3分の1ぐらいまで川水に浸かった家が多いから、取り替えるしかない状況になっています。」04.07.18の福井水害についての詳しいレポートはこちらで!
時が経つほどによくなるのが木の家
林材ジャーナリストとして林業や製材の世界のことをレポートしている赤堀楠雄さんがずばり、木の家のよさを時間軸でとらえてくれました。「コンクリートもプラスチックも、あるいは壁のクロスも、人工的なものは、仕上がったときはきれいだが、それがピーク。そのときだけの美。それからは光に焼けたり、色褪せたり、堅く締まって冷たさを増したりと、どんどん魅力が失われていく。あとは下り坂を歩むばかりで、美しさが崩れていく。木の魅力はけっして色褪せない。むしろ時を経るほど良さが増す。明日もあさっても1年後も10年後も、100年後になってもピークが訪れ続ける」
そのピークとは、木目、色合い、風合い、風格・・。樹音建築設計の往見寿喜さんは古民家の再生工事に携わった時のことをこう書いています。「無垢の床板は美しく輝きはじめ、大黒柱でさえ、なんとも言えない光沢を帯びてきます。おばあちゃんちの式台の心地よさが、今でも忘れられないなあ。これは工業製品ではなかなか味わえないでしょうね」
どんな木をどう使うかによって、時とともにどんな風格が出てくるのかも変わってくるという例をあげているのは、吉田晃建築研究所の吉田晃さん。「どのような材を使うかで品格が決まる。どのような納まりにするかで秩序、格式が決まる。どのくらい使うかでしゃんとした背骨、骨格が決まる。そんなすべての要素が素直に出るのが木の家の良さでは」
お洒落者のけやき建築設計の畔上順平さんは、ヴィンテージジーンズにはまった高校生の頃の感覚と木の家の仕事をしていることとはつながっていると感じています。「使いながら味わいの出るものが、昔から好きだったようです。建築を学んでいく間に、味わいのある古民家に出会ったのが、「木の家」を好きになったきっかけだったように思います。擦り切れたジーンズのような民家には、様々な歴史があり、変化があり、言葉では表せない奥深さと存在感があります。やっぱりかっこいいです。」
では、なぜ、時を経るごとに味わいが増していくのでしょうか? 赤堀さんはこう推測しています。「山で育ちながら何世代もの人や自然の息吹を吸い続け、高く太く、大きくなった木が、伐り倒されて、製材されて、柱や板になったとき。今度はその息吹を少しずつ吐き出しているのかも。木がずっと生きているから。」木は家になっても、生きている。そして、その精気を放ちながら住まう人を生かす、のですね。