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設計士・吉野勲さん(創夢舎):家族が つどう、地域が そだつ


まずは、ハウスメーカーの展示場に行ってみた

ヨハナ ご家族の家を建てようとなった時に、まずどうされました?

福田さん 地元の工務店さんに頼むという選択肢もあり得なくはなかったんですが、このあたりの工務店が建てた家を見ていると、南側のいい場所に普段使わない法事のためだけの和室が2つ3つある割に、家族の寝室は北側の日の当たらない所など、今の生活様式に合ってない形になりがちなんですね。で、まずは、ハウスメーカーの展示場に行ってみました。

ヨハナ 展示場に行ってみて、どう思われましたか?

福田さん 生活はしやすそうだと思いました。動線がよく考えられていて、合理的に無駄無くできているな、と。しかし、ここまでしなくてもいいのに、というような機能がもりこまれていたり、間取りも今の家族構成には合っていても、将来もそうとは限らないのでは?と思うようなものであったり、応用がきかない感じなのが気になりました。建てる時点でいえば何も考えなくてよくて、手っ取り早くてラクかもしれないですけど、長い目で見れば自由さがないな、と

社務所を北側から見たところ

ヨハナ それで、ハウスメーカーに頼むのはやめたんですか?

福田さん それにはもうひとつ大きな理由がありましてね。

新建材や集成材を使わない家を建てたかった

福田さん ハウスメーカーさんの建てる家って、所詮、新建材でしょう? それがいいとは思えなかったんです。氏子さんが家を新築するとお清めやお祓いの仕事で呼んでいただくことが多いんですが、新築の家に一歩足を踏み入れた瞬間「なんだ、この匂いは!?」とういような家もあるんですよ。新建材のにおいがするし、そもそも空気の流れも悪くて、なんかこう、気持ちよくないんです。実際に住み始めて、体調を壊されるケースも少なくないんですね。新築祝いからほどなくして「何かおかしいから、お祓いに来てくれ」と呼ばれることもありました。

ヨハナ シックハウス症候群ですね。せっかく家を新築してそんなことになったら、悔やまれますよね。

福田さん もうひとつ、新建材の家は長持ちしない、ということも自分の経験から、分かってたんです。というのは、40年ほど前、私が中学生の時に両親が新築した家が、新建材がでてきた当時に建てた家でしてね。年とともに床のフローリングがふかふかしてきたり、合板に雨がかかってはがれてきたりしてくるんですよ。建てた時が最高で、後は劣化していく一方。味わいがましていくこともないというのを見てきましたからね。

ヨハナ その前は、どのような家だったのですか?

福田さん 無垢の木と漆喰壁の、このへんでは昔ながらの、あたりまえの家です。石の上に柱を置いただけの床下で遊んだ記憶もあります。そういう家はメンテナンスしながら長く住めるんですよね。腐った柱をそこだけ取り替えたりするのなども子どもの頃、見てました。合理的ですよね。ところが、いざ新建材を使わない無垢の木の家を建てたい!とは思っても、ではさて、どこに頼めばいいかとなると、見当もつかないんです。

家は「買う」ものではなく人生設計をよく考えて「つくる」もの

福田三千代さん

福田さん ちょうどその頃、家を新築した友人がいましてね。それが昔ながらの無垢材に漆喰の家でありながら、今の生活にも合った「これだ!」というような家だったんです。で「こういう家を建てたいんだけど、誰に相談したらいい?」と尋ねたら「飯能に無垢の木を使った伝統の家づくりにこだわっている吉野さんという方がいますよ」と言われましてね。で、吉野さんの設計事務所へ出かけてみたんです。

ヨハナ 設計事務所を訪ねるって、敷居が高くなかったですか?

三千代さん そうですね。正直に言うと、設計士の方々は芸術家肌で、家は作品という感じかな、好みが合わなかったらどうしよう、という不安はありましたね。

福田さん 新居祝いに伺う家で「ほんとはこうしたくはなかったんだけれど、設計士に言われて」という話を聞くこともありますよ。でも、吉野さんは、最初にお会いして二言、三言、言葉を交わした時から「この方なら」と思いましたね。・・・ところがね、吉野さんはなかなか図面を描いてくれないんですよ。

三千代さん ハウスメーカーの営業さんなんかは、すぐ描くんですけどね。

福田さん こんどこそ図面を見せてくれるだろう!と期待して行くんですが、逆にこちらの方が、生活のパターンはどうだとか、今後どういう生活をしたいのかとか、吉野さんにいろいろ訊かれるばかりなんですよ。

吉野さん

吉野さん 建て主さんの希望を100%かなえるつもりだからこそ、そうするんです。

福田さん 今にして思えば、いろいろ訊かれることで、自分たちの人生を考えるんですよね。一体、ぼくらは、これから建てる家でどういう生活をしたいんだろう・・・って。これは新鮮でしたね。ハウスメーカーで「家を買う」のだったら、そこまで考えることはまずないでしょう? けれど「家を買う」のでなく、「つくろう」とすれば、そうやって積み上げていくほかない、早道はないんです。設計に必要十分な時間をかけ、自分の生活や人生設計をつくっていく。それを面倒ととらえるか、おもしろいととらえるか、そこが分かれ道ですね。

ヨハナ そのプロセスに時間はかかりますけどね。

福田さん ハウスメーカーの家っておどろくほど短期間に、考える間もなくできてしまうでしょう? このあいだ地鎮祭で行ったお宅が、もうあと3ヶ月で竣工だというんですよ。図面を見せてもらったんですが、東側にほんのわずかな、細長い窓しかないんです。「これだと朝日が入らないのではないですか?」と尋ねると「そんなこと考えてもみなかった…」とおっしゃるんです。「家を買う」という意識でいると、ほんとは必要なことであっても家づくりの過程であれこれ悩んだり考えたりしないんですね。その結果、後から「ああすればよかった」と思っても、遅いんです。「光の入り方や風の通りをよく考えられた方がいいですよ」と、その方には申し上げましたが。

ヨハナ そんな具合に、よく考えず、てっとりばやく家を買ってしまうケースが多いのかもしれませんね。

福田さん 吉野さんと出会って、新居に入居するまで、10年。長かったですが、想像をはるかに越えたいい家ができて、満足しています。設計士に頼むと、余計にお金を払わなきゃならなって損なのでは?と思う人も多いようですが、問われなければ気づけなかった人生設計を考える機会を得られ、とことん話し合いながらつくれたのはよかったと思います。家は「買う」ものではなく「つくる」ものであるはずです。それぞれのライフスタイルや考え方もありますが、長い目で見れば、十分に考えて、つくった方がよいですよね。

ヨハナ で、福田さんは、ご自身の人生をふりかえられ、人生設計を考えられた上で、どういう家を望まれたのですか?

福田さん 家相も見ますので、人様の家の図面を拝見することも多いんですが、子どもが生まれていなかったり、まだ小さいうちから6畳や8畳の子どもたちの個室を作る家がかなり多いですね。私自身、家が新築になった中2の時に個室を与えられましてね。当時の自分は嬉しかったのですが、家族と会話しないで済む結果になったんですね。自分が親になってみると、我が子にはそういう子ども時代をおくって欲しくなかったので、子どもに個室を与えることよりも、家が家族の交流の場となることを希望し、なるべくオープンな、家族がひとつところに集うような家を希望しました。子ども部屋として越屋根風の2階をつくりましたが、こもりっきりになることがないように、ロフト、屋根裏的な空間にとどめ、基本は平屋にしたのもそのためです。

ヨハナ で、個室的な用途はできるだけ最小限にされたわけですね。

吉野さん 福田さんがおっしゃるように、子どもたちは個室を与えられると、どうしてもそれぞれにこもってしまいがちになるんです。それよりは、親子全部がそこにいられるような、家族がばらばらにならずにまとまれる部屋を家の中心につくりました。そして、家族の中心のよりどころとして、八角の大黒柱を据えました。洋風にいえば「居間」、昔ながらの日本の家では「お茶の間」と言うのでしょうが、私はこれを「家族室」と呼んでいます。

ご主人がよくいらっしゃる小上がり、お母様がいらっしゃる台所から、つねに家族室に集まっている子どもたちが見えています。特に、福田さんのお宅は4人お子さんがいらっしゃるので、子供部屋を小さくすることで、家族室を大きくとれた面もあります。お子さんたちが成長していけば今はあまり使われていない2階にそれぞれのスペースをつくるようになるでしょうが、そうなっても、家族室を通らなければ、2階にあがる階段にはたどりつかないわけです。家族が集まる場所というだけでなく、親子が出会える動線計画まで含んで、家族室なのです。

ヨハナ 家ができてみて、奥様はどうですか?

三千代さん この家に来られる方が「木の香りがする」とおっしゃってくださるんです。住んでいると気づかないんですけれどね。遊びに来た子が服を忘れていったのを返してあげると「木のにおいがする〜」なんて言うんですよ。

自然の中に人がいて、生きた木の家に生きた人が住んで

福田さん もうひとつ嬉しいのは、この家に私たち家族が住むようになって「いつも誰かしら子どもが遊んでいる」昔の神社の風景が復活したことですね。境内で野球したり、かくれんぼしたりするようになり、家も含めた境内全体が近所の子たちの遊び場になっています。自然があって、その自然の中に人がいて、人と人も交わりの中にいて…。家も外界と内部を遮断するものではなく、つながっているものである方がいいと思います。

ヨハナ そういった感覚は日本の気候風土の中で育まれて来た民族性なのでしょうし、家は本来、そうした感覚にもとづいてつくられるものなのでしょうね。神社で育ってこられたという福田さんだからこそ、そうした生来の感覚を保たれているのかもしれないですね。

福田さん さきほどの木の香りの話ではありませんが、私にとってはあたりまえの感覚で、考えというほど意識してはいませんけれどね。日本は木の文化であり、生きた無垢の木を使って住まいをつくってきました。にもかかわらず大事な柱や梁にまで集成材を使うのは、あとから割れたり動いたりクレームを未然に防ぎたいからということもあるのでしょうか? 「木も生きているのだから」と許容するのではなく「狂いはクレームの対象」ととらえる風潮があり、つくる方もそれをこわがっているようなところがあるように思います。世の中全体が、大らかでなくなってきてるんですね。

建築途中の福田邸。中央に見えるのは八角形の大黒柱

吉野さん そんなこと言ったら、木の家づくりはクレームだらけですよね(笑)。

福田さん 木は一本一本違う。それは人間も一緒。ひとつひとつの存在が違う。いのちある木の家に、木と一緒に、自然の一部として住んでいる、という感覚がなくなっているんですね。

吉野さん 家は買うものでなくつくるものなんだ、とか、木とはこういう素材なんだということを、学校教育で教えないでしょう? 衣食住という大切なことのひとつであるにも関わらず、大きな買物としてしかとらえられないのは、教育の問題もあると思いますよ。そこは取り戻して行かないと。

福田さん 家づくりは買物ではなく、自分の人生がそこにかかることなんだ、どんな家をつくるかで人生の質が、子どもたちの感覚が育つ環境が、決まるんですよ!ということは、伝えていきたいですね。

ヨハナ 福田さんのお子さんたちや、遊びに来てる子どもさんたちの中には、すでにそういう感覚が育っていると思いますよ。


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