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設計士・吉野勲さん(創夢舎):家族が つどう、地域が そだつ


吉野さんに飯能のまちを案内していただきながら、いろいろなお話をうかがいました。

地元に帰っての「まちづくり」が設計者としての使命

ヨハナ 吉野さんはどちらのご出身なのですか?

吉野さん もともと飯能の出身です。大学で建築設計を学んだ後、東京の設計事務所での実務経験を経て、地元、飯能に戻ってきました。東京に出る前は、天覧山に登っては「向こうにきっと何かある!」という気持ちで東京方面を眺めていました。こちらに帰って来てからは、東京を背にして桜山の展望台から、山にいだかれた飯能をよく見るようになりました。その風景を見るたびに、ここには西川材があり、人がいる、この地元に貢献できる仕事をしたい、という思いをあらたにします。

緑につつまれた街、飯能

ヨハナ どんなお気持ちで、地元に帰ってこられましたか?

吉野さん 東京にいた頃に設計者の職能を考える運動に関わったこともあり、地元に帰った私は「設計者である私に何ができるだろうか?」とつねに自分に問いかけていました。その結果たどり着いたのは、設計という仕事を通して地元をよくするために働こう、ということでした。そこで青年会議所に入り、その中でまちづくり勉強会を企画し、建築以外の地元の商店街の店主や経営者と共に、地元をどうしていったらよいかを考えました。このまちづくり勉強会はやがて「飯能フリーステーション」という活動に発展し、環境問題にかかわるドキュメンタリー上映、高層マンション計画を止めるためのトラスト運動、まちづくりにかかわる条例づくり、「天覧山・多峯主(とおのす)の自然を守る会」など、さまざまな活動がそこから花開いていきました。

地元の西川材を使った家づくりに取り組む

ヨハナ 吉野さんは木の家づくりに地元の西川材を使うことにこだわっていらっしゃいます。地図を見ても西川という地名は見当たらないのですが、なぜ飯能あたりの山から出る材を西川材と呼ぶのですか?

吉野さん 埼玉県の南西部、荒川支流の入間川・高麗川・越辺川の流域が西川林業地と呼ばれますが、西川という地名はなく、江戸時代、この地方から木材を筏で江戸に流送していたので「江戸の西の川から来る材」という意味で「西川材」と呼ばれるようになりました。

ヨハナ なるほど。吉野さんが西川材を意識されるようになったきっかけは何だっだのでしょうか?

吉野さん まちづくり活動を通して地元の山林所有者と出会ったことが、地元の山の荒廃している状況を知り、西川材を意識するようになった始まりでした。江戸に木材を供給するのがこの地域の本来の役割であったにもかかわらず、今では、地元飯能での家づくりに西川材が使われなくなっています。

地元の材を使うことで、地域が元気になり、山の荒廃も防げればと思うようになりました。しかし、私だけが西川材を使おう!と思うだけでは、地産地消は広がりません。そこで、一般の方が西川材を知り、山の現状を知る機会となるよう、山や製材所を訪れるイベントをしてきました。また、プロ同士の間で、地元の大工、製材関係者、森林組合とがともに学び、実践する会をたちあげるなど、西川材を使った家づくりの推進にも取り組んできました。最近では地元の自由の森学園で、高校生に土曜講座「森と木の家」の授業を行っています。

ヨハナ 新建材を使わず、無垢の木を使った家づくりへと向かう原点は、まちづくりにあったのですね。

一軒の呉服屋さんでしたことが、波紋となって広がった

ヨハナ 蔵づくりなんですね。

吉野さん 商工会議所の真ん前にあるこの呉服屋さんを新しくつくり直すことになり、店舗をかつて飯能のまちなみを形づくっていた蔵づくりにする事を提案し、実現しました。それだけではなく、地元の石のモザイク作家や陶芸家と話し合い、店先のコンクリート土間に、市民有志との協働作業で石やタイルを敷き詰めて、みんなで大きな絵を描きました。

ヨハナ 今、私がいるところは部分なのでよく分からないのですが、これは何の絵ですか?

左:呉服屋さんの店内の土間空間 中:全体スケッチ。渦巻く波紋 右:向かいの商工会議所の表にも、波紋は広がった

吉野さん これは、床全体を水面に見立てて、店の中央の大黒柱から一滴の水滴が水面に落ちて波紋が広がっている絵になっています。波紋の輪は呉服屋さんの店内だけでなく、店先にも広がっています。そしてこの波紋は、後日、さらに道路向こうの商工会議所の表の地面にまで及ぶことになりました。呉服屋さんの再建を通じて、コミュニティー再生を願った仲間たちの思いは、絵のモチーフと同じように波紋となって広がっていったのです。

ヨハナ こうした楽しい作業をコーディネートする吉野さん、知恵や技を出し合う作家さんたち、そして作業によろこんで参加される有志のみなさんがいて、はじめて実現できることですね。

吉野さん まちづくりで大事なのは、地元の人的資源を十分に活用することなんです。この波紋がさらに離れた場所にも広がり「この波紋の大元はどこなんだろう」と、興味を持った子どもがこの呉服屋さんに辿りつく日を想像したりすると楽しいですね。

お荷物になっているように見えるものに地元の宝がある

ヨハナ 商工会議所の東数軒先にある、蔵を改装した喫茶店にご案内いただきました。

吉野さん この蔵も、当時は農協の倉庫に貸している状態だったのですが、持ち主のおじさんと、当時、地元の蔵を調査して歩いていた私が言葉を交わしたことがきっかけとなり、お嫁さんがここで喫茶店を始める展開となっていきました。

喫茶 銀河堂

ヨハナ 地元に昔からあるものがよい形で生かされましたね。

吉野さん ポイントは地産地消です。この蔵の例のように、地元のお荷物になっているようなものの中に、もしかしたら、地域の宝があるかもしれないのです。そういったものを探し出すのも、設計者の仕事だと思います。

ヨハナ これが地域の宝だよ、こう活かせるよ!という提案をするということですね。

吉野さん 小さな提案がきっかけとなり、人と人とが結びついていくことで、さびれかけていた蔵の町並みを少しずつ再生していける。コミュニティーアーキテクトをめざす私としては、そんな場面が生まれることが、何よりのよろこびです。町並みに影響を与え、まちの資源の活用にもつながる。そんな家づくりが広がることが、まちづくりにまでつながるのだと思います。

中学生とつくった公衆トイレ

飯能市中央公園の公衆トイレ「あまやどり」

ヨハナ 飯能市中央公園の公衆トイレ「あまやどり」にご案内いただきました。日本瓦の切妻屋根の軒下に西川材の太い丸柱が周囲に立ち並び、能仁寺の参道につながるロケーションになじんだ建築です。緑の芝生に面していて、とても気持ちがいいですね。

吉野さん これも、まちづくり活動のひとつとして手がけました。丸柱と丸柱の間は芝生広場に臨むベンチになっていて、犬の散歩の途中に、あるいはお弁当やおやつを広げての休憩場所として市民に愛用されています。

通常は「暗い、汚い、臭い、危険」の4Kのレッテルを貼られがちなトイレですが、それをいかに魅力的な、市民に愛されるものにするかというのが、私に与えられた課題でした。トイレの個室は安心できるコンクリートで固めた空間にしつつ、個室に至るまでの動線には列柱とトップライトから光を入れ、風が抜けるよう、開放性をもたせるよう工夫しました。換気扇をまわさなくても、臭くないですよ!(笑)

ヨハナ こちらもワークショップ形式でつくられたんですよね?

吉野さん 雨落ちの石並べ、砂利の洗い出しなど、トイレのまわりの外構工事は、多くの市民の手作業でつくりました。参加したのは、飯能市立西中の生徒たちと、伝統の木組みで木の家をつくる住まいとつくり手からなる「素木の会」の仲間たち。ところどころに「ここはぼくが創ったんだ!」という証が潜んでいます。

一時、このトイレにも落書きがされたことがありましたが、それも、トイレが完成してからも定期的にボランティアで掃除に来てくれていた中学生が丁寧に消してくれました。

左:野球ユニフォーム姿で石を置く子どもたち 右:ボランティアで掃除をしている中学生

ヨハナ 自分たちで手をかけてつくったものだからこそ、愛着がわく。あたりまえのことですが、まちづくりにとっては大切なことですね。

木の家づくりをしたい人、できる人の裾野を広げる

ヨハナ これまで地元でいろいろな活動をしてこられた吉野さんですが、これからどんなことをしていきたいと思っていらっしゃいますか?

吉野さん 木の家づくりをやっていける職人集団を育てるための「人と木の建築を結ぶ会」という職人さんたちとの勉強会を充実させていきたいです。この勉強会では、なぜ無垢の木の家づくりなのか、どのように実践していくのかをともに学びます。勉強会に来て育った職人さんたちとチームをつくり、各職方が施主と直接契約する「直営工事」方式も、私がコーディネーターとして責任をもてる、車で30分圏内限定で始めています。これまで工務店の「下」にいる立場として、指示を受けて動いていた面のあった各職方が、施主やほかの職方と対等に話し合いながらものづくりする関係性の中で、成長してほしいと考えています。

中には、跡継ぎのない、腕のいい、年輩のひとり親方もいます。そうしたひとり親方が力を発揮し、できればその技術を若い大工に受け継いでいけるような場をつくれたら、とも考えています。ひとつひとつの現場が、技術継承の機会となるようなコーディネートをするのも自分の役目かもしれません。

ヨハナ 地元材を使った無垢の木の家づくりの意味をしっかり理解して動けるチームづくりですね。

吉野さん もう一つは、木の家づくりだけでなく、食や住まいの安心・安全、自然、環境との共生を広く考えるための、一般の人を対象に行う「くらし彩考塾」です。将来的には飯能市のかかげる「森林文化都市」の実現につながっていけば、と期待しています。地球環境、伝統技術の継承、町並み・・・さまざまな角度から、なぜ無垢の木の家づくりがいいのかをともに考え、それを理解できる人が増えていってほしい、というのが、この塾のねらいです。

日本は森林国。だまっていても、木が育つ風土です。これは実は全世界的にみても、とても豊かなことです。それなのに、工業化、石油文明・・・の波の中、「木の家離れ」が進み、木の家づくりをしようにもしにくい状況となっています。ところが、木の家離れの後、ほんとに心地よい空間ができたの? というとそうでもない。もういちど、なぜ、木の家づくりから離れてきてしまったのか? どうやったらふたたびそれを手にすることができるのかを考えています。

ヨハナ 木の家づくりが広がるには「木の家に住みたい」という人、「木の家をつくれるよ」という人、双方の裾野を広げることが大切です。吉野さんはその両方での人育てをされているんですね。

吉野さん 「100年もつ木の家」を提言している私としては、やがて私がいなくなっても、その仕組みだけは健全にまわっていけるように、取り組んで行きたいと思います。


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「人と木の建築を結ぶ会」でともに学ぶ職人集団で施工する直営の現場。ひとりひとりの職方が明示された看板