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設計士・徃見寿喜さん(樹音建築設計事務所):設計×環境=木の家づくり


ホームレスの人たちと関わって

設計とは関係ないことなんですが、友人の縁で、仙台市内のホームレスの人たちと関わるボランティアをしています。具体的には毎週月曜の朝、炊き出しのおにぎりをもっていって、一、二時間ほどホームレスの人たちといっしょに街のごみ拾いをするんです。

いっしょにタバコの吸い殻とか空き缶、弁当の箱なんかを拾ったホームレスの人は、おにぎりとみそ汁を「おかげさまで、ありがとう」って受け取ってくれる。それだけの関係です。でも、毎週行けば、顔見知りにもなる、ちょっとした会話もする、路上の暮らしも見えて来る。世間では「ちゃんと勉強して、ちゃんと仕事しないとああいう人になっちゃうよ」と言われるような人たちだけれど、生活力だってすごくある。段ボールとかブルーシートがあれば、雨露をしのぐ場所を自分でつくれる。生きて行くのに必要最小限の荷物は何か、ちゃんと知っている。捨てられているものを拾って、ちょっとのお金を作り出す仕事もしている。

新潟で地震があった時にそのホームレスの人たちの何人かが被災地にボランティアに行ったんです。彼らはアウトドアでサバイバルするプロ!ですから、家を失って混乱している被災地で、仮設のテントを張る時なんかに、ものすごく彼らの知恵が役立つんですね。そして彼らも「誰かに必要とされる」手応えを感じて、生き生きしていくるんです。そうやって相手が見えてくると、やめられなくなるんですよね。で、いつのまにか4年も続いてます。

居場所のある家をつくりたい

ホームレスの人たちと関わることが設計の仕事に影響しているかどうかは、よく分かりません。でも、家に住んでいない彼らとつきあっていると、家づくりの本当の目的ってなんだろう? ということをかえって考えさせられますね。耐震性、バリアフリー、環境・・大事そうなことはいろいろあるけれど、家は家族が仲良く暮らせるのが一番なんじゃないかな、って。

いろいろな事情があって、彼らは家族と共にいないけれど、彼らの多くは「居場所がほしい」とは思っています。ゴミ拾いに出て来てくれるのは、炊き出しだけが目当てなんじゃないということを、いっしょにいて感じます。彼らは家族と住む家に彼らの居場所があったのだろうか? どんな家に住んでいたんだろう? 設計に携わっているぼくは、ついそんなことに想いをめぐらしたりしてしまいます。

そんなこともあってか、ぼくが設計する家には、名前のつかないような目的のない空間をつくっています。ちょっと分かりにくいんですが、誰のものでもない家族共有の場所をあっちこっちにつくるんです。キッチンのカウンターや、ちょっとしたコーナー、少し広めにとった階段の踊り場とか、縁側とか・・つまり、滞留できる空間、居場所ですね。家族団らんの場でも自分の個室でもない、そんな空間を考えるようになったのは、もしかしたらホームレスの人たちと関わってきたからかもしれません。

もうひとつ、町を歩いている時に、知的障害者や老人、こどもなど、ホームレスに限らず社会の中心にいるのでない人たちの存在が目につくようになりました。彼らから見たら、この町はどんななんだろう・・そんな視点が自然と身についてしまっているのです。そういう視点はおそらく、家づくり、まちづくりと関わる時に影響しているんでしょうね。

今、ぼくは商店街の並びにある小さな一戸建ての2階を借りて事務所にしているんですが、そこも自分もかかわっているまちづくりの拠点でもあったところでね。去年までは、ぼくも関わっていたまちづくり事業で起こしたNPO法人が運営する町のアンテナショップみたいなことをしていたのですが、今は精神障害者の人たちが働く喫茶店になっています。そんなことにいつのまにか関わってしまっている自分が、いますね。気が多いと言われますが、やはりぼくがぼくの人生に求めているのは、手応えとかやり甲斐なんだと思います。

なぜ木の家づくりは広がっていかない?

木の家づくりをしたいという人は全体から見ればまだまだほんの一部の、特殊な人たちです。どうすればその裾野を広げていけるんだろうか、ということをよく考えます。

仙台あたりだとまだまだ「木の家=田舎くさい家」というイメージがあります。田舎の金持ちが見栄で建てているような屋根がゴテゴテと重たい外観。玄関が妙に広くて、銘木を床の間に使った続きの和室があって・・それにお茶の間と台所がくっついている。そんな家では、核家族のライフスタイルに合わない、家を新築する時に描いていた夢がかなわない。だから、地域の工務店に頼むのはイヤ。ハウスメーカーの家の方がいい・・・そういう流れってあるんじゃないかと思うんです。

昔ながらの木の家と、今建ってる家とくらべてなにかを「いいな」と思ってみんな選んでるんですね。それを「美意識がない」とか「ハウスメーカーの営業にだまされている」とか言っていてもしょうがない、昔ながらの木の家を現代風にするというだけでなしに、今どんどん建っている家よりいい、というものを見せられないとだめなんじゃないかな。

現代風の木組みの家でも、なんか「シンプルな田の字プラン、吹抜けあり」「梁がどーんと見えていて、真壁づくり」「二階はフリースペース、こどもが大きくなってきたら個室に分ける」など、あるパターンにはまっているように思えます。ほんの一部の伝統構法ファンになら、それでもいいんでしょうけれど・・絵をかけられるすっきり真っ白な壁面が欲しいとか、木が見えすぎていると山小屋みたいでイヤ、とかそういう嗜好にだって対応できるような木の家があっていいと思うんです。

「感情を動かすデザイン」をめざしたい!

環境にいい、長い目で見て耐久性があるなどと「見た目以外」についての理解を住まい手に求めて「やっぱり木の家がいいのかな」と思わせるのではなく、直感的に「あ、こういう家、ステキだな」と感じさせる、わかりやすい魅力が必要なんじゃないでしょうか。若い人たちに「これなら自分たちのライフスタイルに合う」とくどくど説明しなくても、直感的に思ってもらえないと、山の木も待てないし、すぐれた技術をもった職人さんもいなくなってしまいます。木造における設計者の役割は調整役、とさっきは言いましたが、木の家づくりのこれからを考えると、ぼくも一設計者として「感情を動かすデザイン」をめざしてがんばらないとな、と思いますよ。

「伝統構法」の「伝統」という言葉は、木の性質を熟知した技術の蓄積の部分にかかっているものであって、意匠は新しくていいはずなんです。「現代風の民家」もそんなスタイルのひとつかもしれないけれど、もっとほかの意匠があったっていい。独立したてでそんなに多く実績があるわけでもありませんが、これからのひとつひとつの仕事を通して「あ、あんな家、いいな」と思ってもらえる「感情に訴える」木の家づくりをがんばっていきたいと思っていますので、期待していてください!


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