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製材・鈴木禎一さん(あさひ製材):山の木と住む人との縁結び


挽いた木が、木の質感あふれる家に
使ってもらえたら本望です。

山に立っていた木が、肌で木に触れられる、木の質感あふれる家の材になったらいいなあ、製材を通してそのための手伝いをしたいなあ、というのが私の願いです。日本の昔からの家って、そういう家だった。がっちりと木を組んで、真壁で柱や梁が見えていて。旭町あたりだと、新築でもまだまだそういう家を建てる割合が名古屋よりは多くて、そのための材を挽くことが多いですね。うちに賃挽きにもちこんでくるお客さんには「木を表に出して使うような材を挽いてくれ」って言う注文が多いので、うれしいんですよ。

昔ながらの技術を使って、木のよさを活かした家がいい。でも、昔のままのつくり方だと寒かったり、すきま風があったりするから、そういう点は、今の生活の要求に合った形に改良していけばいい。そのために、お客さんには厚みのある板を使うことを勧めています。24mmとかの厚みがある板を壁や床に使えば断熱性もある。前に名古屋で台所の改装に使われる材を納めたことがあるんだけど、床板にね、40mmの杉板を張って、その上を15mmのヒノキのエンコ板で仕上げた。合わせて55mm。そしたら冷暖房効果が全然違うって。下からの冷えもないし、さわった感じも違うって喜んでもらえました。

古い家に新しい人。外から入ってくる人に期待してます。

最近は新建材ばかり使って、バタバタと短期間で建てられる家ばかりになった分、家を壊すサイクルも早くなっているのが残念です。昔の家は何百年も補修しながら使っていたわけでしょ? そういう風に長く住み続けられる家がいい。そうなると、やっぱり、木と木をしっかり組んだ家がいいんですよ。そういう家がまだこの旭町にはポツポツと残っている。だから、昔からあるいい家を残していくにはどうすればいいのかな、ということも考えます。うちの両親が住んでいる母屋なんかは築100年以上.。でも、骨組みがちゃんとしていれば、直しながら住み継いでいける。人が住んでいさえすればね。

住まなくなると、あっという間に家って、荒れてしまうんです。旭町でも、昔の立派な家が無人になって、朽ち果てていっている。ほんとにもったいないですよね。その家の親族が住まないのなら、「Iターン」などで、「旭町に住みたい!」と望んで来る人が住んでいけばいいのだけれど、家を貸すってなると、なかなか、持っている人は自分が住まなくても躊躇してしまうんですよね。それも分かる。旭町の役場でも、Iターンの人たちが古い家を探すのに情報提供ぐらいはしているみたいだけれど、なかなか、話が成立するところまではいかない。

どんどん人が減っていて、数少ない地元の若者たちも、外に出て行くことを望んでいる。その流れを止められないのなら、旭町のよさを好きになって外から入ってくる人たちが、これからの旭町をつくっていくことに期待してみてもいいんじゃないかな。万博のおかげで、猿投グリーンロードもさらに整備されて、名古屋へのアクセスもぐんとよくなる。名古屋市内にいなくても仕事のできる、フリーランスの人やアーティストなどが旭町に入ってくる、そんな受け皿ができると、地元にも新しい刺激になるし、昔からあるいい家も、いい形で残っていくんじゃないかな。そのしくみづくりが必要だと思ってます。こんど豊田市に合併になるので、そのあたりにちょっと期待しています。

山の木と住む人の縁結びを、これからもしていきたい!

名古屋の設計事務所の仕事で、4本の大黒柱を使った家のための木を挽いたことがあります。お父さんの木、お母さんの木、息子さんの木、娘さんの木がそれぞれにあって、自分の大黒柱の木の皮は自分で剥いたり、家族で楽しく家づくりに参加していました。そこで使ってもらったヒノキの床板に、1カ所、抜け節ができちゃったんですよ。でも、「すぐ直して」とはならなかった。楽しいからこのままでいいって。設計士さんが木はこういうものだよ、ということをよく話してくれていたのもよかったし、やはり自分たちで木に触れて、木を好きになってきたからだと思います。

その家の上棟式にも招かれて行ってきました。家だけでなく、人間関係ができたって感じでしたね。お互いの顔が見えて、商売だけじゃない付き合いが生まれるのがうれしいし、そういうつながりのある仕事をしていれば、ウチで挽いたものがどう使われてるかを見ることができて、いいものですよ。名古屋や豊田あたりで「近くの山の木で家をつくりたい」という希望があれば、足助の原木市場には、東西加茂郡の木がたくさん集まってきますから、そこで木を買って、うちで挽く、そんなお手伝いができます。これからも、近くの山の木とみなさんとの縁結びをするような仕事をしていけたら、と思っています。


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