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日本人の暮らしと木


■木地師発祥の地で轆轤をまわす

滋賀県東部の東近江市にある永源寺という地区は轆轤(ろくろ)を使って木をくりぬき、碗や盆をつくる木地師発祥の地として知られています。ここは三重県との県境になる鈴鹿山脈の山懐に位置し、両側に山容が迫る細く頼りない道を奥へ奥へと進むと、蛭谷と君ヶ畑という2つの集落に行き着きます。平安時代、皇位継承がかなわずに都落ちした惟喬親王という皇子がここに隠れ住み、住人たちに轆轤挽きを教えました。それが木地師の始まりといわれています。蛭谷と君ヶ畑には木地師の総本山である神社と寺があり、江戸時代には各地の山を移動しながら稼業を営む木地師たちの身分を保証する書付を発行していました。それによって木地師は全国どこの山でも自由に稼業を営むことを許され、課役も免除されていたといいます。身分制度が厳しく、庶民の往来が厳しく規制されていた時代としては破格の特権を与えられていたといえるでしょう。

木地師発祥の地である永源寺にも現役の木地師はごく少数しかいません。そのひとり、小椋昭二さんは君ヶ畑集落の入り口近くで「ろくろ工房君杢」を経営しています。永源寺には「小椋」姓の家が非常に多く、これは惟喬親王を手伝って住民を指導した家来に「小椋」や「大蔵」という苗字の人がいたからだといわれます。それらの苗字の人は木地師の末裔といわれ、実際、永源寺以外でも木地物の製造に携わる人には多い苗字です。ただ、小椋さんは代々の木地師ではありません。もとは製材工場を経営していたのですが、10数年前に思い立って愛知県足助町(現豊田市)の木地師から轆轤挽きの基礎を教えてもらい、自分なりに工夫を重ねて技を磨いてきました。道具は基本的に自作のものばかりで、轆轤には旋盤工が使うものを活用し、刃物は鋼の棒を自らハンマーでたたいて鍛え上げたものです。その刃物に焼きを入れる炉もつくり、さらには工房そのものも自分で建ててしまったとか。山間部の生活では何でも自分でやるのが当たり前とはいえ、もともとが器用なのでしょう。

小椋さんが作品に使う木はケヤキやトチが主体です。永源寺の山々もいまは杉や桧の人工林ばかりなので、材料の木は主に岐阜県内の木材市場で仕入れています。ただし、仕入れたらすぐ使えるわけではなく、大まかな形に整えて(「木取り」といいます)から3年ほど寝かして乾かします。本格的に削る前にはもう一度粗取りしてそれらしい形にしてから、さらに1年間乾燥させます。そうやって木が乾ききって動きを止めてから、轆轤にかけて削ります。工房の2階には出番を待つ材料が所狭しと積み上げられていて、それぞれに木取りした日や粗取りした日が書き込まれています。それらの中から注文に合った形のものを選び出し、作品をつくっていきます。

ひとつひとつの木には個性があるので、刃物を当てるときには細心の注意を払います。木材の世界では木の繊維が乱れて現れる独特の木目を「玉杢」とか「虎杢」と呼んで珍重しますが、それは木地物でも同様です。ただ、杢のある木は繊維の方向が一様ではないため、逆目に刃物を当てざるを得ないこともあり、うっかりすると繊維がはがれて思ったより深く彫れてしまうことがあります。「そういう材は切れる刃物で上手に削らないといかん。ちょっと刃物が引っかかると、はがれたり、欠けたりする。だから切れる刃物で薄く削る」。そうやって生み出された作品は、無垢の木ならではの質感と豊かな表情を備えています。特に小椋さんの作品は、漆をかけずに木地そのものの肌合いを生かした仕上げとしているので手触りがよく、木の温かみを直に味わうことができます。使ってしまうのももったいなく、棚にでも飾っておきたくなりますが、「使ってもらえばこしたことはない。飾るにしても毎日手にとってほしい。そうしているとだんだん漆を塗ったような深い色合いになっていくから」とのことでした。1000年以上も前から続く木地師の系譜がこの発祥の地で今後も受け継がれていってほしいものです。

■本物の木は使ってこそ生きる

私たちが暮らす日本はとても緑が豊かで、さまざまな種類の木々が複雑で魅力的な森の姿を形作っています。日本人はそうした森から生み出される木材をさまざまな生活用具として実にうまく活用してきました。ところが最近はプラスチックに代表される安価で扱いやすい代替材が普及し、本物の木が使われることがめっきりと少なくなってしまいました。でも何かの機会に本物に接すると、やっぱり木はいいものだとつくづく思います。

木曽の奈良井宿で曲げ物づくりを体験した後、メンパが置いてあるのを見かけて入った漆器店で「最近、東京の蕎麦屋から碗蓋やざる受けの塗りなおしの注文がきた」という話を聞き、何とも嬉しくなってしまいました。だいぶ前から新品を納めることはなくなっていたそうですが、以前、介していた問屋のつてを頼って注文してきたのだそうです。本物を使っているからこそ、そのようにわざわざ探してでもメンテナンスをしようというのでしょう。そんな蕎麦屋ならぜひ行って蕎麦を味わってみたいと思いました。

木地師の小椋さんが言うように、道具は使ってこそ味わいが出てきます。例えば正月など特別なときに使うために本物の木製品をひとそろいだけでもそろえてみてはいかがでしょう。生活にうるおいを与えてくれますし、道具づくりの職人たちも喜ぶと思います。そうやって木の文化がこの先も受け継がれていってほしいものです


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