東日本大震災で増えた
木造の応急仮設住宅
地震、台風など甚大な災害で、住まいを失った被災者のために建設される「応急仮設住宅」。まず、鉄骨プレハブの、いわゆる工事現場や、学校や保育園、店舗などが建築工事中に仮営業するような建物をイメージされる方が多いと思います。
しかし、2011年東日本大震災後には、福島県をはじめ、多くの応急仮設住宅が木造で建てられたことをご存知ですか? その戸数はなんと、総戸数の4分の1にも上るのです。
中でも、福島県では、地元工務店公募による、木造応急仮設住宅がたくさん建てられました。木造の応急仮設住宅は、鉄骨プレハブより居住環境がよく、被災者の心を癒すものでした。供与期間終了後も、その中の相当数が恒久住宅や復興公営住宅、事務所、グループホームとして再利用され、被災者の生活環境の改善、資源活用、地域経済の活性化など、さまざまな側面から、高く評価されています。
今回のコンテンツでは連続三回の企画として、2011年に福島県いわき市で建てられた「板倉構法」による応急仮設住宅を、職人がつくる木の家ネットの会員大工たちも岡山に応援に入りながら、2018年7月の西日本豪雨災害で被災した岡山県総社市に移設した事例を取り上げます。
いわきから岡山へ
木造応急仮設住宅「7年目の旅」
移設されたのは、いわき市の板倉仮設住宅のうち、24棟48戸。7年間の被災者への供与期間の後、8月からいわきでの解体作業が始まり、第1期工事として8月中に11棟22戸、第2期工事として10月始めまでに13棟26戸が完成。現在では、それまで避難所住まいを余儀なくされていた被災者の方たちが入居されています。この解体移設工事に、木の家ネットの会員の大工が17名、弟子や記録班を含めると総勢42名が参加しました。
連続三回シリーズの第一弾として、まず、それまでほぼすべてが「鉄骨プレハブ」だった応急仮設住宅が、木造でも建てられるようになっていった流れと、いわきから総社へと旅をした板倉構法による応急仮設住宅について、リポートします。
第二弾では、全国の大工たちが結集した移設工事のプロセスを時間軸に沿ったドキュメンタリーとしてお届けし、第三弾はこれから先にどうつなげていくか考えるために、参加した大工たちの声、彼らが感じた今後に向けての課題をまとめます。
避難所から住宅への”つなぎ”としての
「応急仮設住宅」
災害で住む家を失くした人に対して、自治体はどのような対策をとるのでしょうか? まずは避難所を開設して、共同生活をするのが、第一段階。次に、避難所を出て、世帯単位での生活のスタートを切るのが第二段階としての「応急仮設住宅」です。
自治体は、「応急仮設住宅」の建設以前に、公営住宅の空き住戸や、民間賃貸住宅を借り上げて「みなし仮設」とするなど、既存ストックの活用をまずは考えます。それでもまかないきれない場合には、建設用地を確保して応急仮設住宅を建てることになるわけですが、そのほとんどは、鉄骨プレハブ製。いわゆる、工事の現場事務所や、建て替え中の学校の教室などに使われる、住宅というよりはあくまでも「仮設的な」雰囲気の建物です。
「応急仮設住宅」とは、第三段階として自力建設、復興公営住宅など、さまざまにそれぞれの住まいを得ていくまでのつなぎの「仮住まい」だからしかたない・・・とはいえ、東日本大震災では、第三段階への移行がなかなか進まず、「仮住まい」の状態が5年以上にわたるケースも多くありました。住居として良好とはいえない環境に長く生活せざるを得ないことの弊害も報道されていました。
なぜ、応急仮設住宅といえば
「鉄骨プレハブ」なのか?
なぜこのような鉄骨プレハブが多いかというと、国が定める「災害救助法」で、一般社団法人プレハブ建築協会(以下、プレ協)が被災地都道府県からの要請に応じて、1万戸までを建設し、自治体へのリースまたは買取対応で、供給することになっているからです。プレ協では、災害に備えて、つねに一定以上の部材のストックを確保してます。
ところが、津波被害が東北の沿岸部の広範囲に及んだ東日本大震災では、岩手、宮城、福島の3県で、それぞれ1万戸を上回る仮設住宅が必要となりました。1万戸を越える住戸をどうするか。その対応は、県ごとに異なりました。宮城県では、公営住宅の空き住戸やみなし仮設ではまかないきれない戸数分の仮設住宅を、プレ協に追加発注。岩手県、福島県でも不足する戸数をプレ協では供給しきれない事態に陥りました。
福島県での「地元公募型」が
木造応急仮設の端緒を開く
津波被害に原発事故が加わり、家そのものは失わずとも多くの人が自宅に住めなくなった福島県でも、1万4千戸の仮設住宅が必要となりました。4千戸を、別の方法でまかなわなければなりません。そこで、震災から31日後、福島県土木部建築住宅課は県内の工務店に、応急仮設住宅の提案の公募を開始しました。福島県が木材産地であること、県産材を活用した住宅建設に関わる業者のネットワークからの申し出がこの後押しをしました。
各工務店からのプロポーザルを経て、地元27業者が採択され、当初目標とした4千戸を上回る6819戸がこの公募で建設されました。「板倉構法」による木造応急仮設住宅、いわき市高久第十応急仮設住宅(76棟162戸)、会津若松市城北小学校北応急仮設住宅(17棟36戸)は、この地元公募で採用された佐久間建設工業が、福島県産材と徳島県産材を使って建てたものです。木の香りのする木造応急仮設住宅は、鉄骨プレハブ製にはないあたたかみ、ぬくもり、住み心地のよさがあり、入居者から「気持ちがやすらぐ」と評判です。
地元材・地元工務店による仮設住宅は
地域の雇用を生む
多くの住戸が失われた場合、そのすべてを木造で供給することは、工期やコスト、供給できる数量といった面で現実的ではないかもしれません。それでも、東日本大震災後の福島県では、1万戸を越える6819戸が地元工務店の公募による建設の対象となり、そのうち6319戸が木造。つまり、福島県全体の応急仮設住宅の3分の1以上が木造で実現したわけです。住み心地のよい木造応急仮設住宅を多く供給できたことは、被災者のみなさんにとって好ましいことであったといえるでしょう。
コスト面や工期で、プレ協が供給する鉄骨プレハブには太刀打ちできない面もあるにせよ、地元の林業地、製材業、工務店の雇用創出になったことはたしかでしょう。災害後の仮設住宅建設需要の一部を、地域の住宅・木材産業雇用の機会とした福島県の決断は、評価されてよいことでしょう。
全木協のたちあげと
木造応急仮設住宅の供給体制
東日本大震災から半月後、国土交通省は、一般社団法人工務店サポートセンター(JBN)、全国建設労働組合総連合(全建総連)、日本建築士会連合会に、被災地に仮設住宅を供給するための協力を要請しました。それを受けて、3団体では「応急仮設木造住宅建設協議会」を急遽、設立し、福島県の公募に400戸の木造仮設住宅建設を受注しました。建設にあたる職人は、地元の工務店と、全建総連の各地支部の呼びかけに応じて集まった、組合員大工たちです。
プレ協が各都道府県と「災害発生時には、一万戸を迅速にリースする」内容の協定を順々に締結していったのは、阪神大震災以降のことでした。それにならう形で、災害時にすみやかに木造応急仮設住宅建設のための人材・資材を確保し、供給できる体制をつくろう。ということで、東日本大震災後から半年後の2011年9月「応急仮設木造住宅建設協議会」が福島や岩手で実現した取り組みを継続する形で、JBNと全建総連との2団体で、一般社団法人全国木造建設事業協会(全木協)を設立しました。2018年6月現在、33の都道府県が全木協と災害協定を締結しています。
全木協の全国の支部では、国交省の補助事業として「応急仮設住宅建設講習会」を実施し、来るべき災害で木造応急仮設を建設できるノウハウをもった人材を育成しています。また、各都道府県の建設業協会が、それぞれの都道府県の自治体と独自の災害協定を締結する例も増えてきているようです。このように、地域木材、地域工務店による木造応急仮設住宅の供給体制は、少しずつ整備されつつあります。
再利用を見据えた
木造応急仮設住宅
供与期間を経過した応急仮設住宅を、安く払い下げたり譲与したりするしくみも、各地でできてきているようです。地元公募で6810棟の木造応急仮設を建設した福島県では、木造応急仮設住宅の多くが、そのまま現地で、あるいは別の場所へ移築して、復興住宅として再利用されています。住宅として再利用するとなれば、鉄骨プレハブより、木造であるメリットは、大きいといえるでしょう。
東日本大震災での経験や反省を踏まえて2013年に国交省が作成した「応急仮設住宅建設必携 中間とりまとめ」では「“応急仮設住宅を建設すること”ありきでない、被災者の居住確保に向けた別のアプローチも可能」と記しています。被災直後に仮住まいとしての応急仮設住居を建設する時点ですでに、被災後の恒久的な住宅を確保することまでを想定した選択肢を用意するという意味で「木造応急仮設住宅」も十分あり得ることが示されました。
参考資料
平成20年:応急仮設住宅設置に関するガイドライン 日本赤十字社
必要量の把握、供給、入居、生活支援、解消、撤去・再利用までのガイドラインが示されています。各自治体でマニュアルをつくるべきと結んでいます。http://www.jrc.or.jp/vcms_lf/oukyuu_guideline.pdf
平成24年:応急仮設住宅建設必携 中間とりまとめ 国交省
東日本大震災後の反省を踏まえ、自治体が応急仮設住宅建設マニュアルをつくっていくために国が提示した骨子。これをもとに応急仮設住宅の建設主体となる各県の担当者と、国土交通省等で今回の応急仮設住宅の建設において生じた課題等について、今後の災害に備えた検証を実施するワーキンググループが開催され、各都道府県でのマニュアルづくりにつながりました。https://www.mlit.go.jp/common/000211741.pdf
平成23年:応急仮設住宅建設にかかる対応報告会資料 福島県
再利用まで見据えた、福島県での応急仮設住宅の供給実態をレポートしています。プレ協での供給がむずかしいと分かり、県内の工務店に依頼した経緯などが分かります。https://www.mlit.go.jp/common/000170083.pdf
各都道府県でのマニュアルの例:長野県(平成29年改訂版)
(一社)全国木造建設事業協会及び(一社)長野県建設業協会と締結した「災害時における応急仮設木造住宅の建設に関する協定」に基づき、応急仮設木造住宅の標準仕様も新たに作成した。https://www.pref.nagano.lg.jp/kenchiku/kurashi/sumai/tokei/jutaku/documents/170130manual00.pdf
東日本大震災後の福島県で「地元工務店による木造応急仮設」という選択肢が登場したことを、概観してきました。次に「木造応急仮設」のひとつとして福島県いわき市に建設され、岡山県総社市に移設されるという形で再利用されることとなった「板倉応急仮設」事例をご紹介しましょう。
木の厚板を多用して
組み上げる「板倉構法」
「板倉」とは、日本古来の神社や穀物倉庫を造ってきた優れた木造建築技術です。この構法で木造応急仮設住宅をつくることを提案し、実現したのが、この構法の普及をめざしてきた、安藤邦廣筑波大名誉教授です。柱と柱の間のスリットに厚板を落とし込んで建物の構造をつくる板倉構法は、木材のすぐれた特性を活かす伝統的な木造技術のひとつです。
安藤邦廣さんは、壁にも、床にも、屋根にも厚板を多用する、材積の大きい「板倉構法」を一般の住宅に応用することが、日本の山の木材資源の有効活用となり、山の健全で持続的な循環につながると考え、早くから「板倉構法による住宅」づくりを手がけてきました。
板倉構法普及のために
大臣認定を取得、講習会を開催
安藤さんの考えに賛同した(社)全国中小建築工事業団体連合会、NPO木の建築フォラム、全国建設労働組合総連合の3団体は、「板倉構法による住宅」をつくりやすくするために、標準化した仕様をつくって大臣認定を取得しようと、共同で事業を立ち上げました。
性能検証実験を重ね、まず、耐震性能については「木摺りタイプ」で壁倍率最大2.2倍、「桟付きパネル式」で最大3.4倍の耐力壁として、2005年に国土交通大臣認定を取得。防火性能についても、2007年「木摺りタイプ」で外壁の防火構造の国土交通大臣認定を取得。これで、2階建てまでの住宅において、準防火地域、法22条区域の延焼のおそれのある部分の外壁を、木材だけで構成した落とし込み板壁で設計・施工することも可能となりました。
福島県が地元工務店に公募する応急仮設住宅建設事業として、いわき市と会津若松市に建設された板倉構法の応急仮設住宅も、上記の大臣認定仕様を踏襲して造られました。
その後、2014年には安藤さんが代表理事となり、 日本板倉建築協会(以下、板協)を設立。大臣認定を取得した「板倉構法」の施工マニュアルを作成、板倉講習会を各地で開いて普及につとめています。また、温熱環境実証実験、次世代省エネ基準に対応する高断熱板倉構法の研究開発、板倉小屋キット等の商品開発など、さまさまな研究開発も進めています。
板倉構法木造応急仮設住宅の
住み心地
仕上がった板倉の応急仮設住宅の内部は、こんな感じ。それぞれの住戸にキッチンセット、板張りのトイレ、ハーフユニットの風呂がついています。建坪は住戸タイプに応じて7〜12坪。大きくはありませんが、気持ちのいい木の空間です。鉄骨プレバブ住宅の内部とはずいぶんちがって「仮設」という、わびしい感じはなく、木のぬくもりに満ちています。
そう広くはないとはいえ、木組みの構造材が真ん中にあり、はしごでのぼれるロフトがあり、空間的には、平屋のプレハブ鉄骨住宅のような狭苦しさはありません。実際に、いわきでこの板倉構法の応急仮設住宅に住んでいた人の「癒されました」「出て行くのがさびしい」という声も多かったそうです。
安藤さんは、この板倉応急仮設住宅がいわきから総社に移転することについて、そうなると予感していたそうです。「本設住宅なり、次の木造応急仮設住宅として再利用することは、最初から考えていました。ボルト以外の金物や接着剤を使わない伝統的なつくり方だから、解体移設には向いているしね」
「仮設に住まなければならない状況だからこそ、木のあたたかみのある空間でほっとしてほしいと思います。そして、板倉構法というのは、伝統木造のわりに構造がシンプルで、建てるのは簡単なんです。だからこそ、被災地に板倉を建てていきたい」という安藤さんの願いは、いわきでの応急仮設住宅としての供与期間が満了となって間もなく、西日本豪雨で被災した岡山県総社市からの要請で実現することとなるのでした。
といっても、解体した材だけが岡山県総社市に行って、板倉構法の家が建つわけではありません。そのノウハウをもつ大工たちが行って、総社市の大工チームにつないではじめて、移設は実現するのです。
ここに登場するのが、木の家ネットの会員でもある大工、杉原敬ことマイケル。東日本大震災発生後、さまざまな縁で安藤さんと出会ったことから、7年前にいわき市での板倉仮設住宅建設にどっぷり関わったマイケルに、安藤さんは「総社への移設工事の人集めに協力して欲しい」と依頼します。こうして、人から人へ、マイケルにつながる大工たちが、総社での移設工事にかけつけることになるのですが、その詳細は、次回、板倉応急仮設住宅移設特集の第二弾にゆずります。どうぞお楽しみに!