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建具職人・有賀恵一さん(有賀建具店):ちがっているから、おもしろい


夢を会う人、会う人に伝えていたら、 形になってきた

「山のいろんな木を活かす仕事をしたいんだ!」と思い立った頃、まず、山形の独立学園時代の同級生で、山仕事している友達に話しました。すると、伐った木をチップ工場へもっていってしまう前にいいのをとっておいてくれて、連絡をくれたんです。で、さっそく4トントラックでかけつけると、栓やブナのいいのがゴロゴロしている!これがみんな紙になるなんて、もったい!本当にそう思うぐらい、ありました。直径が1メートル以上なんていう大きいのもあったのですが、有賀製材所の機械に入る60〜90センチの丸太だけ譲ってもらいました。今でもこの友達との関係は続いています。

当時、伊那への帰り道は4トン車に6トンから8トンは積んでいましたね。過積載で日に2回も3回もとめられたこともあります。「重量計にのってみろ」と言われて・・あきらかにオーバーです。「すみません。おろしますか?」と言うと「こんなところにおろされても困る、もっていけ」となりますけれど。同じ日の別のところでつかまった時には、切られたばかりのキップを見せたら「ああ、いいよ、いいよ」で通してくれました!

その山仕事している友達に「いろんな木、使いたいんだ」と話した時には、すぐにそれをどうこうする、というあてがあったわけではないんです。「いつか、なにかに使えるだろう」ということで、持ってきて、製材して、桟積みにしておく。どうせ5年以上は寝かせておくのですから、今、すぐ仕事につながるんでなくていいんです。そうすると、その積んである木のことをつねに意識しているから「次はあれを使って仕事しよう」となるんです。そういう風にして、だんだんに言っていたことが実現してきたのかもしれませんね。

有賀建具店のまわりには、何年も前に製材したいろいろな樹種の材木がストックされている。伊那谷の風にさらされての天然乾燥だ。

自分で木を探してきて、製材して、自分のところにストックしておく、という建具屋は少ないだろうと思います。「よく乾燥した、すぐ使えるようなの持ってきて」と言って、材木屋に持ってこさせるのが普通です。外国から入ってくる製材品は、人工乾燥で7〜8%までさげた状態で来ますからね、材を寝かせておく必要もないんです。それでも、後から狂いが出ることがある。そうなると、それが乾燥具合のせいでなくても「材木屋が持ってきたのがよくなかったからだ」となる。「仕事は自分の責任でやりたい」という思いがあるから、木を入手して、挽いて、乾燥させて、というところから、自分のところでやりたいですね。木を手に入れるルートがあったり、従兄が製材をやっていたり、ストックする場所があったり、いろいろな意味で恵まれてもいますけれどね。やはり、自分がつくるものに使うものですから、自分でしないと、と思っています。

心を動かしてくれる人が増えていって・・

私にどのように強い思いがあったとしても、私のつくるものを求めてくださる人がいなくては、仕事はできません。それが不思議と、いろいろな人と仕事しているうちに出会いが生まれ「そういうものが欲しいかったんだ!」と言われるようになっきたんです。はじめのうちは同級生が頼んでくれたり、知り合いが頼んでくれたりという感じでした。でもその人に「こういうわけで日本の里山の木を使いたい」という思いをきっちり語っていくと「ああ、そういうことがあるんだ、知らなかった。なるほど、それなら自分も応援したい」って納得してくれるんです。そういう「なるほど」が少しずつ広がってきたんですね。それにしても材木の仕入れ、製材、製作、販売、アドバイスなど、いろんな人にめぐり会えて、私は本当に恵まれていて、ありがたいです。

森世紀工房では展示会も頻繁にしています。そうすると、見に来てくださる人の中から「私の欲しいのはこれだ」と思う方が少しずつでもでてくるんです。いっぺんにたくさん売れるのでなくても、日本の木や山を大事に思う気持ちの動いた人がじわり、じわりと増えて行くことが、結果的には、上からものを変えて行くよりも確かなんじゃないかな、と思います。「お客さんのもちこみ以外は、外材は使わない」「フラッシュ建具の仕事はできないと言ってことわる」それでも、なりたっていくようになりました。製品を見せるだけでなく、思いを伝えていく。思いに共感した人がそれを求める。それがいちばん確実なんです。

材木に印をつけるための道具「毛引き」。ひとつひとつに「2分2枚」「8.5分弱」などと書いてある。持ち手の裏側には釘が二本出ていて、ものさしなどで測らなくても二点間の距離の印つけができるようになっている。

人を育てる。

経営を引き継いで10年ぐらいはずっと親父と二人だけでやってきたんですが、それでは仕事がまわりきらなくなり「こういう人がいるけど」という紹介で、人をいれました。それまで「人を育てる」なんて、考えてもいなかったんですが、今では「素性のいい木だけでなく、どんな変な木だって使える職人を育てていかないとな」と思うようになりました。

今、私の仕事場には、40代1人、30代3人、20代1人、計5人います。伊那の木工の技術専門校から来る人が多いですね。まず、事務所で使う机や棚、仕事場でみんなで使うものをつくらせます。寸法のメモ書きだけ渡して、自分で考えて図面を書かせ、つくらせてみるんです。できたものをみんなで使っていくことで、「ここはこういうふうにしたらいいんじゃない?」と意見も言い合えるし、年月が経ってどう変化していくか分かります。「あ、そんなふうにつくるか!」という新しい発見があることもあります。

木のどの部分をどう使うか、という木取りはいまだに自分でしています。いちばん大事なところですからね。狂う、狂わないがそこで決まるのはもちろん、どう木取りするかでできあがりの印象もかわりますし、無駄にならない取り方も考えなくてはならない。それができるようになる頃には、独立していってしまうんですね。職人は独立志向が強いですから、それはそれでいいんですけれどね。ということで、仕事場の中では、ベテランが新人を補いながら、なんとかやってます。

その木が狂うかどうか、といった感覚は、教えられるものではないですね。手押しがんなをかけた時の重たさや軽さ。削った後の肌の具合。どれも、ことばにならないですね。だから、あえて、教えません。「この木は狂うよ」と言いはしますけれどね。本人が何回も削って、何回も使っていると分かってくるんです。量をやらないとね。どれだけ木にさわってるかで決まって来ます。だから、木にさわってる時間が多くないと。 フラッシュ建具なんかやってる場合じゃないんです。私の仕事場から、里山の木を、細い木でも、曲がった木でも、ちゃんと使える職人が生まれて行くことに期待しています。

子どもが変わって行くのがいちばんの早道

長野県下の小学校で使ってもらえるよう提案を重ねている子ども用のいす。

本当は長野県の公立学校でカラマツを使った椅子や机が使ってもらえるといいんですけれどね。同じデザイン、同じ大きさのものでもひとつひとつがちがうということも分かるし、こどもが本物の木の感触やこれがふるさとの木なんだ!ということを実感として身につけていけば、その子たちがおとなになっていった時のものを選ぶ目がちがってくるでしょう? 長野県内で家を建てる時に県産材を50%以上使えば補助金を出す、という政策もあります。それはそれでよいのですが、里山の教育に力を入れるというのも効果的なんじゃないかと思いますよ。こどもがおとなになるまで、というと長い時間がかかるように思えますが、じつはそれがいちばんの早道なのだと思います。


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仕事場のすぐ隣の有賀さんの自宅のベランダからのながめ。里山の風景が広がる。