漆塗り職人
春野屋漆器工房 小林広幸
1958 長野県木曽郡楢川村平沢に生まれる
1980 学卒業後、父貞治の経営する春野屋漆器工房に入る
1988 紅柄錆地塗を考案
1996 紅柄錆地根来塗を考案
2004 伝統工芸士認定
木曽平沢に在住しながら、全国各地で個展を開催。
近年では漆塗り技術を建築に活かす試みもしている。
於:春野屋漆器工房(木曽平沢)
聞き手:持留ヨハナエリザベート(職人がつくる木の家ネット)
店と工房が一体となった漆器屋さん
諏訪湖西端の岡谷から大きく南へとまわりこむ中央自動車道から分かれる長野道の二つめ、塩尻ICでおりる。国道19号線(旧・中山道)を名古屋方面に走って行くと、ぶどうやりんごの畑の広がりが次第になくなり、道の両側に山がせまってくる。空が狭くなったなーと感じ始めた頃「これより木曽路」という看板が出て来た。中央西線の線路と19号線が並走する中山道筋に長く家並みが延びる集落を二つほど過ぎると、漆塗り職人の工房や店が軒を並べる旧・楢川村、木曽平沢の集落への入り口にたどり着いた。雪が少し、舞っていた。
約束の時間に春野屋漆器店を訪れると、店の奥へと通された。間口はそう広くないが、京都の町家のように建物が奥へと続いている。細長い土間を抜け、うるしの入った紙製の丸箱や木地のままの大皿などが積まれているつきあたりの左手前の板戸をがらりとあけると、塗りの注文品が積んであるややガランとした部屋。そこから急勾配の階段で2階にあがると、工房だ。階段を登りきったところには上げ板がある。工房が2Fの奥まった狭いところにあるのも、上げ板で下と遮断しているのも、漆塗り作業が埃やチリを嫌うためだ。
黒や赤の漆のたくさんついた大きい作業台に向かって春野屋さんこと小林広幸さん(伝統工芸師)が座り、鉢の中のどろどろ黒い液体を木のヘラでかきまわしている。手を止めることなく「すみません、急ぎでこれ、やんなくちゃなんなくて」と、忙しそうだ。米飴のような深いツヤのある、どろりと重たいその液体が、漆だ。隣の作業机ではベテランの女性が木地に漆を下塗りした表面を、サンドペーパーで磨く「研ぎ」の作業をし、事務机では若い女性がパソコンで図面を描いている。3人で切り盛りする、小さな工房だ。
小林さんは先祖代々「春野屋」という屋号の、塗り職人の家に生まれた。家内制手工業のため、小さい頃から家の手伝いでお椀やお盆に漆を塗るのはあたりまえのことだった。大学は法学部に進学したが、卒業後、父の意思で家業を継いだ。はじめのうちは専ら父の作品を売り込む営業に携わったが、父が元気なうちに父の技を受け継がないと、ということで筆をもつようになった。「ほとんど教えてくれなかったですね。見て覚えたり、同じ町内で『師匠』として尊敬する先達に教わったり。外での修業はしていなくて、ずっと春野屋です」先代が亡くなって春野屋を継ぎ、9年になる。
漆の木の樹液が黒光りする漆になるまで
「最初っからこんな風に黒光りしているわけじゃないんですよ」と、春野屋さんは別の鉢のラップをめくって見せてくれる。そこには白茶けたカフェオレ色の液体があり、空気に触れただけで、わずかに色が濃く変色していくのが分かる。「これが漆の木を傷つけて掻き取った樹液を漉した生漆(きうるし)。これをヘラで掻き回して空気に触れさせたり、熱を加えたりするうちに、酸化還元を繰り返し、水分も抜けて、こんな感じに黒くなってくんです。黒目漆っていいます」
とろーりとろとろと黒光りする液体を、春野屋さんは時折はけでガラスに塗って光にかざす。褐色に透けるその具合で乾き加減を見る。「これで、よし」となったところで、鉢の中身を和紙にすっかり受け、和紙の両端をねじって止める簡単な道具にかけた。和紙の繊維を通して、不純物を漉し取るのだ。とろん、とろん、と滴り落ちる汁を、また鉢で受ける。この鉢一杯で、100以上ものお椀が塗れるという。
塗っては乾かし、研いでは塗り・・・
「塗り作業に入る下地として、錆び土を使うのが木曽漆器の特徴なんですよ」と、こんどは春野屋さんは錆び土に漆をまぜてパテ状にしたものを、木地のままの小皿につけていった。木地表面のちょっとした欠けや歪みもこの工程で修正していく。漆器の産地の中でも、下地に使える「錆び土(さびつち)」とよばれるこの鉄分の多く含んだ土は、木曽にしかない。輪島漆器では地の粉と呼ばれる珪藻土を使う。「昔から漆器の下地は主に京漆器で使われていた砥の粉(とのこ)をつけるが、砥の粉は風化しやすい。木曽や輪島の漆器が堅牢で使いやすいのは、錆び土、地の粉下地だからです」
下地がついたら、乾いたらサンドペーパーで磨いて面を平滑にして、いよいよ漆を塗る。漆は数回重ね塗りするが、塗りの一工程ごとに、室(もろ)で乾かす。乾かすといってもいわゆる乾燥ではない。湿度85%、温度24度という高温多湿な環境のもとで硬化させる。塗っては乾かし、乾かしては研いで、また塗る。すべてがコツコツとした手作業だ。「仕上げ塗りはみんなが休む日にまとめてしたりしています」仕上がりを決める上塗りは、息を詰めて、神経を使いながらの作業。そばを人が歩くだけでも空気が動いて仕上がりを左右してしまうからだ。
日常使いに耐える堅牢さが、木曽漆器の魅力
「一般に漆器というと、蒔絵など、きらびやかな加飾の技術が見せどころなんですが、木曽は塗りに専念してきた産地なんです」なぜそうなのか。輪島塗り、会津塗りなど、中央から離れていても漆器で有名なところはその昔、殿様がお抱えの職人衆を連れていったところだ。ところが木曽は、そうではない。街道筋を往来する旅人に、豊富にとれる木曽の木を漆で塗りあげた食器などを売り、生計を立てる、いわば街道筋のなりわいとして発展したのだ。木曽のお椀、お盆、箸などは、旅のみやげものとして京大阪で評判を呼んだ。
「素朴さ、堅牢さ」が持ち味の木曽漆器は、食器として、座卓として、茶の湯や晴れの場というよりは、日々の生活に用いられてきた。「漆というと贅沢品と思われがちですが、そうではない。使いやすく、長持ち。このへんの小学校では、学校給食に漆食器を使ってますよ」光沢、手触り、口当たり、そして軽さ。繊細な感覚を呼び覚ましてくれる本物の道具に日々触れる日常の、なんと豊かなことか!