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漆職人・小林広幸さん(春野屋漆器工房):木の家づくりにも関わる漆塗り職人を訪ねて


漆は、木を水から守る最高の自然塗料

なぜ、漆塗り職人である春野屋さんが木の家ネットのつくり手会員なのか? それは春野屋さんが木の家づくりに積極的に関わっているからだ。「木は水に弱いでしょう? 漆は撥水性の高い、丈夫な塗膜をつくる、すぐれた自然塗料なんです」春野屋さんが漆塗りを特に勧めるのは、トイレや台所の床、キッチンカウンターの板、そして浴槽などの水回り。「漆を塗ることによって、木が腐らないといったら言い過ぎですが、少なくとも木が腐っていくサイクルをより長くすることは確実にできます」

春野屋さんの店と住まいの間に立てられてた障子の枠は黒漆塗り、柱は朱漆りだ。「親父が塗ったそのままですよ」という表面は、美しくツヤを帯び、長い時間の経過を感じさせない。木曽平沢の塗り師の家では、柱や建具を自分で塗るのはごくあたりまえのこと。床の間の塗りを人に頼まれることもある。ところが、木の家づくりに乗り出そうとした時、先代は反対した。「床に漆を塗るということが、親父にはゆるせないんですね。足で踏むものに漆を塗るなんて!と」

「そういえば、小さい頃、座卓を傷つけてもそんなに怒られないのに、上に乗るとものすごい剣幕で怒鳴られましたね。『漆で塗った面は足で踏むものでない!』というのは、塗り職人独特のプライドです。今となっては親父の気持ちも分からないでもないです」それでも、自然な家づくりをする仲間たちとのネットワークの中で漆のよさを広めていくということで、何とか父を説得した。「俺が工房で家づくりの現場におさめる材を塗っていても、3年間はまるで無視でしたねー」

 (左)漆塗りを施した床板。天井が映り込んでいる。(右)乾きを待ちながら繰り返す現場での塗り作業。
 詳しくは春野屋さんのサイトのこのページへ

家づくりで漆を塗るのでも、工程は同じだ。一回塗っては最低でもひと晩ずつ時間をおいて、最低5回は塗り重ねる。「時間がかかるんですよ。現場塗りを頼まれることが多いんですが、本当は状態を確かめながら十分に乾かしたいので、材をお預かりして工房で塗りあげてから納めたいというのが本心です。現場は埃も多いしね」と言いながらも、普段は工場にこもっての仕事なので、たまに現場でほかの職人さんたちと一緒に仕事をするのは楽しいし、刺激になるようだ。「塗り上げた材を納品するのだと、傷つけては大変、と大工さんが気にするのでは?」と質問すると「万一傷がついたら、ちゃんとこっちで補修するから、大丈夫!」と心強い返事がかえってきた。

長持ちして手入れが楽。漆塗りの浴槽が大人気

最近春野屋で人気なのが、漆塗りの浴槽だ。木地師に特注した浴槽のすべての面を漆で塗り回す。「全部塗る、というのが防水上大事なんです」キッチンカウンターの依頼で「表だけでいいから」と言われても、必ず両面と側面も塗る。塗っていないところから水が入っては、漆を塗った意味がなくなるからだ。「浴槽もそうです。排水口や追い炊き口の木口に至るまで、塗ります。現場取付で穴をあけるのは論外!」

 漆塗りの木の浴槽。樹種は木曽産のヒノキ、コウヤマキ、サワラから選べる。
 詳しくは春野屋さんのサイトのこのページへ

木の浴槽の耐用年数は樹種や使い方によりさまざまだが、木と木の合わせ目や釘目から水が入って腐っていくことによって取り替え時を迎える。木に漆を塗りまわしておけば、ぐんと長持ちする。「最初に浴槽を手がけたのが20年前。この間久しぶりに見に行ったら、まだ大丈夫でした」つくり始めて以来、ダメになったという話はまだ聞いていない。木の浴槽をただ買うよりは漆を塗り回す分値は張るが、もつ年数を考えればけっして贅沢ではない。手入れといっても、木のお風呂のように湯垢がつくことがないので、水を抜いた後、タオルでやさしく拭くだけ、と簡単だ。傷つくことにもそんなに神経質になることもない。「ある旅館のおやじさんがデッキブラシで掃除しようとした時だけは、さすがに止めましたけどね」

「ただ、漆かぶれだけは困りますので、浴槽が欲しいという方にはあらかじめテストをしていただきます」サンプル用に造った漆を塗った板に、下腕の内側など目立たないところで触ってみてもらって、かぶれ症状があらわれないか確かめてからしか、塗りの浴槽は売らない。じつは春野屋さん自身が、塗り師でありながら漆にかぶれる体質。液体状の漆でかぶれることはあっても、できあがって3ヶ月以上おいて完全に乾いている漆器でかぶれることはあり得ないのだが、それでも自作の漆塗りの風呂に試しに入った時は、おっかなびっくりだったとか。「いや〜さすがにお尻を底面につける勇気はなかったですねー」

漆塗りができるのは、材料や道具があってこそ

前向きで明るく、進取の気に富んだ春野屋さんは、木曽平沢の組合でも木曽漆器の将来を切り拓く役を担っている。話していると小林さんのアイデアがどんどん広がっていく。「トイレの洗面ボールなんてどうですかー?」と提案すると、「う〜ん、そうなると山の問題がからんでくるんだよな」と顔を曇らせた。「そうだな、木取りの話からしないとな。塗りに使う木地は、割れたり狂ったりしにくいように、芯や外縁(白太部分)を避けて、縦に取るんです。洗面ボールは丸みがあって、しかも直径が大きいでしょ?芯から外縁の内側で、洗面ボールの直径分をとるとなると、相当な径がいる。木曽の山でも、それだけの径の木はなくなってきてるんですよ」


お勧めの新商品「つくんぼ」は、漆塗りの細身のタンブラー。
「冷酒を飲むショットグラスとしてお使いください」と春野屋さん。

材料だけではない。「もうひとつこれから大変になってくるのが、道具です。ヘラなんかは自分でつくるけれど、塗りの刷毛は人の毛から、専門の職人がつくるものです。ところが、漆刷毛職人は、もう日本に数えるほどしかいない」その方が亡くなったら?「だからこそ、昔の名人の刷毛が問屋さんにあれば迷わず買うようにしているし、塗り師を廃業する方にもらうこともあります。そうやって集めておかないと」以前、木の家そもそも話「道具と大工」で、鑿をつくる左久作さんのことを紹介した。手仕事が未来に続いてくためには、材料と道具の問題が常に背後にある。


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 漆塗りの道具。上から1本めのヘラは、自分でつくるもの。
 下の2本は専門の職人が女性の毛からつくる漆刷毛。漆でギトギトにかたまっている。