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大工・金田克彦さん(大┛(だいかね)建築):幸せをつくる大工


決まりごとの多い京都の仕事は緊張しますけれど、 勉強することが多く、やりがいがあります。

つくった人の手の跡を探りながら

左/ミセニワからあがったミセ(表通りに面している)からダイドコ、オクを見る。

「暮らしの文化研究 創芸の会」を主宰し、京都と札幌を行き来しながら衣・食・住・道具・技術の研究をする河村通夫さんは、手放されることになった由緒ある古い町家を買い取った。建てられた当時のままに直し、なるべくその形で暮らすことを通して、京の暮らし文化を体得することが、河村さんのねらいだ。金田さんに改修工事の白羽の矢が立った。

「暮らしの文化研究 創芸の会」を主宰する河村通夫さん。北海道のSTVラジオで暮らしの文化をテーマとした人気ラジオ番組「桃栗サンデー」のパーソナリティでもある。

「数寄屋専門の工務店は京都にいくらもあるけど、金ちゃんに頼んでよかったと思ってるよ」建築にも造詣の深い河村さんが「こうしたい」と簡単な図面に描き、言葉で表現することに、金田さんは手仕事で応えていった。

梅見門の根継ぎの様子。

「どうして、こうなっているんだろう、元はどうやってたんだろう、ってきちーっと考えるよね、彼は」蔵と庭との結界を築く垣根につく「梅見門」の柱の足元が腐っていた。元の柱をできる限り残し、木を継いでおさめた。「一本まるまる取り替えた方が断然、楽でしょう?でも、金ちゃんはそうはしないんだな。古いものを残して、根継ぎしてくれる。その心意気が、嬉しい」

もとあったよりも、よいものをめざして

梅見門の軒裏。材料選びには、とても気を遣った。

門にかかる屋根も、茶道の宗家をはじめ数寄屋関係の事例を参考にしながら、この家の雰囲気に合ったものを検討し、工夫した。「いいものをつくろうとすれば、材料選びにも気を抜けない。選ぶ目をもつには、勉強もし、感覚も磨いていないと」と河村さんは言う。

2階の広縁。4間半の長さを、尾州檜の柾の、継いでいない一本ものの板で張ってある。突き当たりに「ながもち」

金田さんが大工修業に入った京都の工務店では、数寄屋から一般住宅まで経験した。修業中には木の家ネットの多くの若き棟梁たちが学んだ「大工塾」に通った。自分たちで作る試験体を実際に壊す実験は、構造を考えるのに役立った。京大防災研の鈴木恭之先生が手がけた京町家の実物大振動台実験から学ぶもの多い。ほかの職方の話が聞ける京町家の勉強会には今も通い続ける。金田さんの中に蓄積が、仕事にフルに役立っている。

家に手を入れる主の楽しみ

細かいパーツにまで、そぐうものをこだわって選ぶ。ぴったりなものが見つかると、うれしい。河村さんが古道具屋で見つけて来た真鍮の引手。

「で、金ちゃん、いつ手があく?」今度はここを直したい、次にはあそこと、河村さんの改修計画に終わりはない。長い年月、その家の主が交替しても住み継がれる家は何度もの改修を経て存在するが、改修は必ずしも不具合や不都合を解消するためのことだけではなかったかもしれない。

主人のめざす洗練を、職人が手仕事で返す。その心地よい緊張感の中に施主にとっても「普請道楽」とでもいうべき至上の楽しみがあったに違いない。名工のつくる建物には、必ず目の高い施主がいて、両者の共同作業の結果としてその家がある。「金田さん、いい仕事ができて、いいね」と言うと、「お蔭さんで、出会いに恵まれて」という言葉が返って来た。


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職人に「手がかかりすぎるから無理」と言われ、河村さんが自分で貼った風呂場のタイル。 タイルも機会をとらえては集め、いつでも使えるように種類別に保管してある。