志賀郷のまちなみを裏の田んぼから見る。
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大工・金田克彦さん(大┛(だいかね)建築):幸せをつくる大工


百姓も、大工も、 自分の中ではつながっています。

「自分の現場」を求めて

金田さんの家。志賀郷は茅葺きにトタンを被せた屋根の家が多い。

金田さんの大工としてのスタートは、けっして早くはない。高校時代、身近な森が切られたショックから環境にめざめ信州大学森林学科に進学。在学中から、でバイオガスプラントをつくるNGO活動に関わり、国内外13カ国まわった。一年休学して北タイで地域の自立支援の手助けをするNGOにいたこともある。やりがいのあることだったがどこかで「俺らは俺らの国でがんばるから、おまえもおまえの国でがんばれ」と背中を後押しされている気がした。「自分の現場」をもちたかった。

博子さんとタイに新婚旅行に行った時のスナップ。昔、NGOで滞在した時に世話になった友人達を訪ねた。

帰国後、埼玉県小川町の農家で一年間有機農業を学んだ。農業はやりがいもあり、楽しかった。が、それが「自分をもっとも活かす道なのか」と思うと、疑問が残った。大工修業に入ったのは、その後のこと。世界に向いていた目が日本に、地域に、そして自分が心から好きだと思える現場に収束していった。

人とのつながりの中で

黒谷和紙の職人であり、アーティストでもあるハタノワタルさん。黒谷和紙に魅せられ、綾部に移住してきた。ブログはこちら

場とは、大工の現場だけを指すのではない。農、食、子育てなどを含めた、人びとの暮らし全体の中での「暮らしの家づくり」が自分の役、と金田さんは思っている。米を8反分と自家製の大豆と麹からつくる醤油や味噌を、食べる人に直接届けることを生業とする博子さんと知合い、綾部に移り住んだ。米の収穫や茶摘みなど、大工の合間に奥さんの農作業を手伝うこともある。

金田さんの改修で、農家民宿「野良」としてよみがえった古い家。人が集まりやすい空間になった。

茅葺きにトタンを被せた、軒の低い家が並ぶ、綾部でも古い街道筋「志賀郷」に住む。家の裏は隣の家の裏とそのままつながっている。夕方、近所の友人家族が集まった。工芸や百姓をするために移り住んで来た人たちだ。その輪の中に、黒谷和紙のハタノワタルさんの姿もあった。平家の落人の家系が伝えたという、コウゾ蒸しから紙漉きまで、すべての工程を手作業で行う。絵描きでもあり、きれいな色を染めあげる。「和紙を建築に使ってもらえて嬉しい」とよろこぶ。建築現場にも足を運び、壁貼りの工程をともにする。金田さんにとっては、現場とは、人とのつながりのことだ。

「地元の大工」を生きる

「野良」では玄米菜食、身土不二の「マクロビオティック」の食事を推奨していて、食材も売っている。料理教室も時々開催している。

大阪から上林に移り住んだ齊藤 典加さん。野草料理の研究家の若杉友子さんの娘であり、三児の母でもある。自然農法で15アールの田んぼを手がける。

仕事は施工した家を見た人から頼まれることが多い。近所の仕事の割合が増えたのは身近な人の輪の中で生きていてこそだ。「地元の大工としてこの現場を生きることが、世界を幸せにすることにつながる、そう思える仕事をしよう。それでいいんだ、と今では思えてます」世界に向いていた目が、ぐるっとまわって自分の足元に戻って来た。ひとつひとつの仕事を通して、その家に住む家族を、家づくりに関わる職人を幸せにする。そんな仕事をする金田さん自身が、とても幸せそうだ。


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齊藤 典加さん(旧姓:若杉 典加さん)が主宰する綾部市上林の情報サイト「きらり上林」はこちら