木の家ネット事務局のある山梨の築80年の古民家。2007年秋、寒いので縁側をやっと改修した。(古い写真がページ中程にあります)
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このまちにずっと残っていてほしいあの家も「既存不適格」?


それぞれの言い分

あるつくり手の意見だ。『増築をする際には、既存不適格建物は耐震改修せよと。ある意味正論だとは思う。ただ、経済的理由、などで、施主が望んでない場合、近隣への倒壊による被害予測が顕著でなければ、自己責任ではいけないものか』『補強を義務にせず、その家の持ち主に選択肢を与えてあげることが大事だと思うのです』

やや強い言い回しでこう表現するつくり手もいる。『どのような家に住むかは、住む人の自由。これは基本的人権であることをまず認識する必要がある。耐震住宅を推進する一方でバラックに住む権利を奪ってはならぬ。結果生じる益、不利益を住人が我がものとして享受・甘受すればよい』

国土交通省にこの老夫婦の今代限りの増築事例を投げかけてみると『増築するお金がかけられるのであれば、まずは耐震改修にまわしてください、というのが大原則です。暮らしやすさ以前にいのちを守ることの方が大事ですから』という答がかえってきた。

常日頃、建築申請をおろす立場にある建築主事は、既存部分の耐震性が確認できない建物については確認をおろせなくなり、こう漏らしたという。『大きい声では言えませんが、古い建物は増築とか改築などしないで、建て直しなさいと国が言っているようなものです。環境、環境と騒ぐのならば、古い建物を壊さず手を入れて大事に使うように法律を整備するべきですよね』

大黒柱の足元を直し、新しい土台に継ぎ直す。
基礎はベタ基礎にしたが、束石は古いものをそのまま使っている。


過去のことが「分からない」場合は取り壊し?

古い建物であればあるほど、建物の図面や完成検査済証など、法適合性を証明する書類はない場合は多い。手続きとして過去の法適合性を証明できないと、増築部分についても確認がおりない、という滞りがでてきている。

『既設部分にある擁壁のことで困りました。鉄筋コンクリートでできた、今の基準にも適合すると思われるようなしっかりしたものでしたが、今回は売買にて購入した中古住宅であり、建設当時の土木の完了済証が保存されてないか、あるいは完了を受けていないのか、完了済証がない。「完了済証がなければ受付ができません」とのことで、受け付けてもらえませんでした。最終的にはその擁癖を1m以下に埋めて対応したのですが、以前であれば、建築士の判断で「これは大丈夫」でよかったものが通らなくなり、難儀しています』

擁壁が安全なものかどうか? 目の前にある擁壁を建築士が見て「大丈夫でしょう」と判断することすらゆるされない。完了済証がないから「危険なものかもしれない」。だから「壊してやり直し」をしなければならない、というのだ。この例では、擁癖を埋めることで危険性を吟味されない高さよりも低くすることで切り抜けている。「危ないかもしれないのだから」正論だが、「かもしれない」としたら壊さなければいけないというのは、どうだろうか? 「厳格化」を徹底していくと、残るものの方が少なくなりかねない。既存の住宅を中古住宅として売買するためにもそれが「適法」であるか、建築確認を取得しているかどうかが今後重要な問題となってくるだろう。


木の家ネット事務局がある築80年の古民家。2007年の改修前の縁側の写真。薄い、隙間だらけの薄いガラスで冬はとても寒かった。

「増築の凍結」は最終的には「建て替え」につながりやすい

ガラス戸の下の腰板。こんなに隙間が…

いよいよ、改修。古い建具を全部外してブルーシートで養生。

住みながら改修中の真っ青な屋内。毎朝のごとく剣道の素振り。

西の縁側。もらってきた立派なペアガラス戸を横使い。その下は板壁に。

改修後。左が西、右が南の縁側。

西側のペアガラス戸はヒンジで開閉。

完成後の南の縁側。木製建具は古い家に合わせて神代ニレに。有賀建具製。

今まで、破れた建具の穴から出入りしていた猫用に出入り口を。

今回の「既存不適格」の増築が厳格化でしにくくなった今、もっとも多いのは、諦めて「増築を凍結」する例だろう。「もっと住み良くしたい」という気持が叶えられないと、家への愛着よりも不便であることへの不満が上回るようになってくる。それはいずれ「建て替えたい」という気持へとつながる。「どうせ耐震改修でも多額な費用がかかるのだから、いっそ新築した方が安いですよ」という住宅メーカーのセールストークが聞こえてきそうだ。当代の住まい手がなんとかその家を維持して持ちこたえたとしても、次の世代に引き継がれにくくなるのは目に見えている。

古くから残っている日本の木の家は、「凍結的に」残って来ているのではない。民家を解体してみると、何度にもわたって改修、増築を繰り返した結果として今の姿があるというのがほとんどだ。いたんだところをメンテナンスし、使い勝手の悪いところを壊して増築し、その時々のライフスタイルに合わせて来たことによって、家がもってきているのだ。そうしたことを可能にするのが、間取り変更を可能にする架構であったり、木という「型番のない」部材であったりする。新建材や金物は何年かすれば「廃番」になるが、木はその建物に必要な部材に加工できる。職人技術がすたれたり途絶えたりしなければ。基本構造を破壊することなく、部材を更新しつづければ、その建物はもつ。それが日本の木造建築の知恵だったはずだ。

家は「耐震性」だけでできているのではない

「既存不適格」とは、耐震性だけで家をはかる言葉だ。しかし、家を構成する要素は、耐震性だけではない。文化の産物であり、職人技術の結晶であり、人間形成の場であり、ずっと住んで来たかけがえのない思い出の場でもある。山で育った木の第二の生でもある。「古い建物を大事にしたい」という言葉の中には、「耐震性」という一点で失ってはならないもの、一度壊してしまったら取り戻せないものが含まれている。そこをどう見るか。

それも家の大切な要素だと措定するならば、「耐震性のない」建物は「既存不適格」であり、生活し続けるためにいじることすら許されないというほどの扱いであってはならないのではないか。人は「いのちがある」ということだけで生きているのではない。どのように生きているかという人生の質も大切なものだ。「お金がないから耐震改修できない」という消極的な一面だけでなく「耐震性が低くても、なんとかこの家に住み続けたい」という愛着や親しみといった数字でははかれない側面を無視してはならない。

ものを大事に、次の世代につなげていくこと

「既存不適格建物の増築ができない」ことは、どこへつながるのか。耐震性の向上にも寄与するかもしれない一方で、「ダメなものは建て替えるほかない」という風潮につながっていきかねないという方向に向かいはしないか。

職人がつくる木の家ネットは、日本の木の家を直しながら住み継ぐ文化を次世代につなげていきたいと考えている。木の家のただずまい、歴史、意匠、季節感、雰囲気、環境性…。耐震性以外に大切したい要素がたくさんある。それを大切にしたいという住まい手のニーズにこたえ、木の家の専門家であるつくり手として、木の家の構造特性に合わせて必要な補修や補強はしながら、現代の生活スタイルに適応できるように工夫して直しながら、維持していく手助けをしたい。住まい手とつくり手とが恊働して、これまで引き継がれて来た財産であるすぐれた古い建物を未来に残せるストック型の社会をつくっていければと思う。日本の木造建築の長い歴史の中で培われて来た知恵と精神を、未来に向けて生かすべき時が、今、来ている。


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(下)縁側の改修は、1キロ上に住む大工の横山さんにお願いした。敷居、鴨居からのやり直し。古い家をよくするための相談ができる大工さんが近くにいるというのは、本当に心強いこと。