木の家ネットへの参加を呼びかける、加藤長光会長の直筆の手紙。全国の会員候補に郵送された。
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10周年企画:木の家ネット誕生物語


木の家ネットの代表となる
秋田の加藤さんとの出会い

MMCAに落選。それでも企画を練り上げていく中で形がおぼろげに見えて来た「次世代の大工たちがつながる」構想を諦めきれなかった中村さんは、大工塾をバックアップしていた、加藤長光さんに相談しました。

加藤さんは、秋田県二ツ井町で、戦後に植林された秋田杉の並材を、伝統的な技術を活かした家づくりに使ってもらうことで地域を再生しようと動いている「モクネット事業協同組合」の代表です。単に「材木を売る」というのではなく、戦後に植林された山の木を、木の家づくりに使ってもらうことで山そのものも地域も再生する、という循環を、加藤さんは思い描いていました。

生活クラブ生協の組合員など、環境意識の高い都市生活者、木をふんだんに使う伝統的な家づくりを推進する設計士、木を活かした家づくりの技術をもった大工がつながるネットワークが生まれ、2000年当時、それが家づくりの実践として、少しずつ形になってきたところでした。施主が自分が住む家となる木を山に見に行く、そんな秋田杉産直の家づくりが始まったのです。大工塾を始めた設計士の丹呉さんは、当時、このネットワークの都市側の受け皿となっていました。そうした循環の担い手となれるような、伝統木造の技術と環境意識とをバランスよく備えた次世代の大工を育てたい。加藤さんが大工塾をバックアップしていた背景には、こうした思いがあったのです。

「職人の応援団」になりたかった
江原さんの思い

ちょうどその頃、加藤さんは、設計士の江原幸壱さんから別の相談も受けていました。それは「職人の応援団となるようなWebサイトをつくりたい!」というものでした。丹呉明恭建築設計事務所に勤務し、独立した江原さんは、日本の職人に伝わる木造技術の素晴らしさに触れるほどに「このままでは、このすばらしい技術や知恵が過去のものになってしまう」という危機感をもいだいていました。

阪神大震災で「古い木造住宅が壊滅的な被害を受けた」と報道されたこと、一般の人に宣伝の行き届いたハウスメーカーの家づくりが年々広がっていっていること、伝統的な家づくりの仕事が少なくなり町場の工務店や職人が技術や知恵を維持できなくなりつつあること・・・。そうした厳しい状況の中で、江原さんは「木の家づくりの仕事を増やすことこそが、職人の応援団としてのミッション」だと考えました。

江原:伝統的な家づくりが消滅しかねない現実を巻き返していくには、まず、そこに「ニーズ」が必要です。伝統の知恵を活かした家づくりのよさを知り、職人がつくる木の家に住みたい!という人が増えないと、状況は変わりません。木の家のよさが伝われば、そして、住みたい人とつくれる人とが出会えれば、職人による木の家づくりは続いて行くはず。そのためのWebサイトをつくることが「職人の応援団」としての僕がすべきことなのではないかと思ったのです。

加藤さんの頭の中で、中村さんからの話と江原さんからの話とが、一つにつながりました。やがて、持留も、中村さんに連れられて訪れた大工塾で加藤さんと出会うところとなりました。2つの構想を「木の家づくりに携わるつくり手がつながる、Webサイト上のネットワーク」としてひとつにまとめた加藤さんは、このWebサイトの企画を林野庁に持ち込み、たちあげ資金源となる助成金を獲得してきました。山の加藤さん、大工の中村さん、設計士の江原さん、デザイナーの持留。立場の異なる者同士の思いが交差し、ようやく木の家ネット誕生のスタートラインに立ったのです。

発起人となるべき人への呼びかけ

似たような思いで伝統木造をめぐる状況をなんとかしようと動いている人は、ほかにもたくさんいました。加藤さんや江原さんがそうした活動を実践している人たちに呼びかけを始めました。その呼びかけに応える形で木の家ネット立ち上げの発起人となるメンバーが増えていくことで、木の家ネット誕生の道筋が開けてきました。

ここに掲載するのは、発起準備委員会が会員を募る際に用いた「主旨文」です。加藤さんや江原さんが、発起人となるべきひとりひとりに伝えたことと内容は同じなので、読んでみてください。

主旨文 (2001.10 発足当時、発起人発の呼びかけ文)

このたび、国産材を使って、職人が伝えてきた手の技を大切にしながら家づくりをすることに関わる、国産材産地・職人・工務店・設計士が集まって「職人がつくる木の家ネット」というWebサイトをたちあげることとなりました。
これは、日本全国の地域性にねざした「木の家」を次の世代に生きた形で継承していくこと、そして年々「木の家」が作りにくくなっている現在の情況を打開していくことを目的とした運動の端緒として、たちあげるものです。

今の情況をどう見ているか

もともと、家づくりは「地場」産業でした。地元の山の木で、地域に伝わる知恵をもつ棟梁が、木の家を建てる。少し前まではあたりまえだったのですが、それが今では、難しくなっています。

工業製品のような均質性を持ちにくい木造住宅に対する法律的な規制が年々厳しくなっていますし、大学教育では木造の技術をほとんど教えません。家づくりの現場には安価で使いやすい新建材が入り込み、下地に木を使うとしても、その木がどこから来るのか、気にもしません。職人の技能面でも、効率優先で技術を発揮させる必要のない仕事が多く、たまに大工が木を一本一本見て、昔からの知恵を活かして土壁や木組みで建てる機会があっても、そこに法律の壁が厚くたちふさがります。

時代がこのように流れてしまった背景には、高度経済成長期に早く安く住宅を大量生産する必要があって構法の簡略化がはかられたこと、木材輸入の自由化、住宅メーカーや建材メーカーの台頭など、さまざまな要因があるでしょう。しかし、国産材で昔ながらの職人の知恵を活かして普通の人が住むあたりまえの家づくりをする、ということに関わる私たちがまとまって声をあげてこなかった、ということにも責任があります。「木の家ネット」では、このような現状に対してどう思っているのか、本来の木の家づくりを実践していこうとしている国産材産地・職人・工務店・設計士が集まって、共同のメッセージを打ち出していきます。

住まい手に対して

日本の風土から生まれたすばらしい木の家づくりがあること、そして、その作り手が身近なところにいる、ということを伝えていきましょう。厳しい現状の一方で、環境意識の高まりや、手仕事の復権、シンプルですぐれたものへの志向は、少しずつではありますが、確実に進んでいます。思いを共有する人と出会うことがよい家づくりの基本です。この運動をそのような出会いの場にしたいと思います。

行政に対して

地域にそれぞれに伝わる経験的な知恵に裏付けられた木の家づくりは、全国一様ではありません。それに対し、均一な網をかけて共通の基準をつくってなめしてしまう法律にも問題があります。すぐれた木の家づくりがしにくくなっていくという矛盾に対して、今後、作り手側から力を合わせて声をあげていきましょう。

木の家づくりに携わる仲間たちに対して

「木の家づくり」を実践して人たちの間での情報共有、交換等の場をつくっていきましょう。また、潜在的に、あるいは個々人として、「木の家づくり」に関わっていきたいという若い大工や、設計士たちもまだまだ多くいるはずです。次の世代に木の文化を、生きた形で伝えていく広がりのある場をつくれるのではないでしょうか。


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発起人が参加している運営用のメーリングリストの記録。木の家ネットへの参加者を募るために活発にやりとりをしているのがわかる。