春の息吹を感じる3月下旬、親子で左官と大工を手がける「総合建築植田」の植田俊彦さん(父親・左官)と植田俊司さん(息子・大工)に会うため淡路島を訪れた。 親子経営の会社や工務店などは珍しいものではないが、植田さん達の場合は父親が左官で息子が大工という少々変わったケース。まずその経緯が気になってしかたなかったので開口一番に尋ねてみた。
「全部やりたい」「ほな、明日からやれ」
「まず日本の家は大工がいて左官が壁を塗るのが基本だと思っている。大工仕事と左官仕事を一貫して請け負えるという強みを活かし、限られた予算の中でもなるべく良い家を建てたいという想いで、大工と左官の『職人プロジェクトチーム』として創業したんです。」(父・俊彦さん)
10代で左官職人を志し、左官界の巨人 久住章さんの元で腕を磨いた俊彦さんが「住まい手に喜んでもらえる家づくりをしたい」との想いを胸に“総合建築植田俊彦”の看板を掲げたのが昭和53年のこと。 創業当初は左官4人・大工2人の職人チームで進めていた仕事も、年々扱う業種も増えていき、建築基準法の改正なども影響し、左官としての経験だけではこれ以上はできないのではないかと感じるようになっていたという。そんな中、息子の俊司さんは淡路島で5年半修行し、木の家ネット会員でもある千葉県の村上建築工房で2年間の経験を経た後、総合建築植田に合流。そして15年ほど経ったある日、一念発起。「全部やりたい」と俊彦さんに伝えたところ「ほな、明日からやれ。俺は左官に戻るから。」と即答。こうして現在の“総合建築植田”の形になったという。
「若い人が“やりたい”時というのは気持ちが前を向いているからねぇ、やっぱりその気持ちは大事にしたい。」(父・俊彦さん)
出会って早々にお二人の人柄を垣間見た。
では、大工と左官を一手に請け負うことのメリットはどこにあるのだろうか。 現代では一般的に左官仕事は下請けになることが多く、直接その仕上げを提案する機会がほとんどない。しかし植田さんたちは一味違う。彼ら「大工と左官の職人プロジェクトチーム」は左官が仕上げを提案し大工が協力して塗りやすい土台をつくることで精度の高い仕上がりを実現している。また設計に関してはどちらも熟知した俊司さんが図面を描くことが多いのだとか。
「好みにもよりますが、木の家が好きでも内装が全部木だと重たく感じる場合もありますよね。例えば天井だけは左官仕上げにしてみたり、面白い仕上げを提案してみたり、設計の幅も広がるんです。また漆喰は調湿効果が高いので、できるだけ他の素材も湿気の通る自然素材を使って、部屋に有害物質がたまらないように設計段階から気をつけています。」(息子・俊司さん)
大工と左官のバランスを考えながらトータルに創り上げていくのだ。
「総合建築」で「クレームのない仕事」を。
俊彦さんが左官から始め描いてきた家づくりへの想いを、しっかりと引き継いだ俊司さん。現在では大工6人・左官6人の体制を取り仕切る。
「家を建てるために必要な業種がだいたい14業種くらいあるが、今ではそのうちの8業種(材木・基礎・建方・大工・足場・外壁・左官・屋根)を自社だけで完結できるまでになった。淡路島の中でここまで一貫してやれるのはうちだけじゃないかな。」(息子・俊司さん)
「限られた予算のなかで、われわれは技術を残しながら少しでも良い仕事をして、良い家を建てたい。なるべく自分達でやれば余計なマージンが発生しないので、その分手間をかけて良い仕事ができるんです。」(父・俊彦さん)
漠然としていた父の想いの核を、ガチッと具体化していっている。まさにその名の通り“総合建築植田”だ。そんな“総合建築”を掲げる植田親子の仕事は「クレームのない仕事」がコンセプトだという。
「設計士・施主・建築屋はそれぞれ立場も想いも違う。同じゴールを目指していたはずが、何か問題が生じてしまった時に責任の擦り合いになってしまうのはあまりにも悲しい。もし意見の食い違いや、問題が生じた時は必ず三者で話し合うように心がけています。そうしたらほとんどトラブルはない。トラブルになるのは、話がしっかりできていないから。やっぱり根気よく話すしかないんです。」(父・俊彦さん)
ゼロクレームを目指して、密にコミュニケーションをとる。これが“総合建築植田”の鉄則だ。 8業種を自社でまかなっているのはコストや品質へのこだわりも然ることながら、業者間の情報伝達ミスやコミュニケーション不足によるトラブルを最小に抑えるためという意味合いも大きい。
随所にみられる職人魂
実際に手がけた住宅や店舗を案内してもらいながら、さらにお話しを伺った。
まず訪れたのは、西洋の香水と東洋の香木の素晴らしいハーモニーにファンも多いお線香屋さん「㈱大発」のコミュニティースペース。2014年に竣工したギャラリーと研究所を兼ねる建物だ。全体の設計は別の設計士さんによるものだが「植田さんに頼んだら内装も外装もしてもらえるんちゃう?」と紹介され、得意の内装は「好きなようにしてほしい」と一任されたという。
まず、扉を開けて目に飛び込んでくるのが、壁から天井にかけて繋がる漆喰、通称「天の川」だ。大工と左官が一緒に作り上げるからこそできる、技の光る仕上がりだ。
天の川を含む壁と天井の仕上げに使っているのはなんと軍手。 軍手仕上げは表面積が広くなり、普通の漆喰塗りに比べて実に3倍もの調湿効果があるとのこと。見た目にも居住環境にも良い、俊彦さんオススメの仕上げだ。凹凸が多いのでよく埃がつかないのか心配されるが、漆喰の性質上、静電気が起きないのでその心配はないという。
他にも随所に「総合建築植田」ならではの職人技が見られ、素人の筆者が見てもとても面白い。
「会話」が技術や素材を活かす
次に案内してもらったのは陶芸作家Uさんのお宅。地元の人でも迷うほど深い山奥にひっそりと佇む。ご夫婦と2人の息子さんの4人で住まわれている。おばあちゃんの家を2009年に改修した住宅だ。
少しの間お邪魔して拝見しただけだが、設計の面白さ・職人の技術力・住まい手の暮らしやすさが伝わってくる。しかしさらに話を伺うことでさらに理解が深まる。
例えば漆喰や土壁に関しては、化学糊などは使用せず天然の海藻の糊を使っているとのことだが、そういった話になると黙っていないのが俊彦さんだ。調湿・消臭・抗菌・有害物質の吸収などメリットの多い漆喰について、俊彦さんの口からは興味深い話が次々と飛び出す。
「とあるお客さんが『うちは窓を閉めている方が空気がいいので窓を開けないんです。』と言っていた。」「漆喰を塗った家だと室内にある植物の葉っぱの色が外と同じだけど、クロスの家だとトーンが下がる。」「焼肉をしても次の日には匂いが消えている。」(父・俊彦さん)
漆喰の話をする俊彦さんは本当に嬉しそうだ。
また、設計士さんや施主さんとのやりとりについて、俊司さんはこう話す。
「図面を別の設計士さんが描く場合は、ただ図面通りに手を動かすのではなく、一旦咀嚼してから、納め方や見た目はもちろんのこと、経年変化でどうなるかなど、施主さんがどこまで理解納得しているか、大工目線で思ったことは全て伝えています。あとで実際にメンテナンスしていくのは自分たちですので。」
「施主さまとは、半年から1年かけて話し合いをゆっくりとすることからスタートします。その中で性格や趣味嗜好・要望や想いなどを聞いていきます。さらに、その年に建てた家、建ててから5年・10年・20年経った家を見てもらうようにしています。経年変化でどうなるのか、さまざまな事例を積極的に公開しています。建ってからが本当の付き合いですので、お互いを深く理解して、末永く心地よく住んでいただけるものを建てていきたいです。」(息子・俊司さん)
総合建築植田の仕事の真骨頂は「国産の材木」や「本物の漆喰や土」を使った安らげる空間にある。太古から日本で用いられてきたこれらの素材が現代でも残っているのは、人にも環境にも良いものとして認められ、世代を超えて伝えられて来たからだろう。そして植田さんたちもまた、素材や設計の意味や良さをしっかりと伝え、それぞれの想いをしっかり聞く。さらにゴールを全員で共有する。その「会話」と信頼関係こそが全てを支えている。U夫妻とのやりとりを見ているとそう強く感じた。
技術に惚れない。客観的に見る。
所変わって淡路島北東部の人気エリア東浦。その東浦の海岸沿いに見晴らしのいい住宅を新築中だ。水や湿気に強い高野槙が外壁に使われている。
通常、植田さんたちが使用する材木は主に高知や徳島の杉材。中温減圧乾燥させたものを手で刻む。6人の大工のうち刻みができるのは4人。若手の職人にも積極的に技術を伝え次世代に繋いでいこうと努力しているとのこと。
若手の職人とのやりとりについて俊司さんはこう話す。
「お客さんの立場に立って仕事をするようにいつも言っています。『大工が自分の技術に惚れてしまうとお客さんがついて来れなくなる。客観的に見て自分がやってることを説明できるようにならないといけない』と言っています。それから、仕事から逃げないこと。チャンスはどこにあるかわからないので、いつでもそれを掴めるように、新しいことにどんどんチャレンジしてもらいたいですね。」
技術に惚れない。客観的に見る。どんな業界にも当てはまる言葉だろう。
土は面白い。無限やもん。
最後に俊彦さんが「左官の研究所」にしている倉庫を訪れた。日夜ここで試行錯誤を繰り返し、いろいろな素材が配合・環境によってどう変化していくかなどを実験しているという。高度な技術と経験が必要とされる黒漆喰磨きをはじめ、ミダスメタルという金属の塗り壁やイタリア磨きなど、あらゆる左官材や手法のサンプルが置かれテストされている。
倉庫では左官仲間への講習会も開かれることもある。豊富なサンプルや名人技に触れられるとあって大盛況だそうだ。
「誰もがやったことのないことをやりたい。今は土の押さえものをしてみたいと思ってテストをしています。土のテカリを壁に表現したいんです。いろんな土があって未知の世界だから面白い。無限やもん。」
実にハングリーに左官と向き合う俊彦さん。その理由についてこう語る。
「左官に使う土は本当は家の周りにあるものを使って、壁を塗れるようになったらいいかなと思う。そこら辺で採ってきた材料をどうやって壁材にするかということを、弟子の子にも教えていこうと思っている。10人の職人を抱えている左官屋と1人の左官屋だと、どうしても10人の左官屋の方が単価が下がるので、価格競争をするとどうやってもそちらに負けてしまう。そこと戦うためには、いかに独占した材料を作れるか。独自性を打ち出せばその人の価値・価格は下がらない。木と漆喰の家は基本なので永遠と続いていくと思うが、生き残るためには、さらにそこから本物を見極めて次の一手を考えていかなければならないと思う。きちんと学んで練習して、自分で材料を作って技術を磨いていけば必ず強くなる。」
家の周りにあるかもしれない無限の可能性をモノにできるかどうか。それは各個人の戦いだ。
ここで俊彦さんの作例をいくつか紹介しておこう。
偽物に手をつけるな。ほんまもんをさわらなあかん。
漆喰・土・新しい素材など日夜研究し、技術も知識も豊富な俊彦さんのもとには、仕事の発注や講演の依頼などが全国から舞い込み、精力的に飛び回っているが、現在66歳。あと4年できっぱり引退するとのことだ。それまでの間に、企業秘密と思われるような技術や材料の配合など、左官に関する全てを次世代に伝えるために資料をまとめている最中だという。
「秘密にしていても仕方ない。土と漆喰は日本人にはずっと使ってもらいたいので、きっちり後世に伝えていかないと。若い子には『偽物に手をつけるな。ほんまもんをさわらなあかん。』とずっと言っている。時代の変化や世代間の考え方の違いなどもあり、なかなか人を育てていくのは大変だが、技術を次世代に継承するために、根気強く教えていかないと。」
そう言って一冊の冊子を見せてくれた。
これは植田さんの作品集ではあるが、あくまでも「左官仕上げの見本帖」。若い左官さんに自分の名刺を入れてお客さんに配ってもらって、左官というものを広く知ってもらうツールとして考えているそうだ。
あと4年。自分の利益よりも、左官界にとって有益になるようにと様々な活動をしている。
バトンを次世代へ
俊彦さんと俊司さんのそれぞれの確かな技術・経験・想い、そして人柄がぎゅっと濃縮した「総合建築植田」の仕事は、そのほとんどが紹介によるものだという。単に「お客様は神様です」というような表面的な付き合いということではなく、施主さんとも、設計士さんとも、職人間でも、師弟間でも、考えや想いをきちんと伝えあい、最大限に良い仕事をする。
総合建築植田では、年に二回OBのお客さんを呼んで、一日木工教室を開催しているそうだ。左官職人と泥団子を作ったり、かまどでご飯を炊いてみんなで食べたりと、大変賑わうとのこと。若い職人とお客さんとが直接意見や感想を交換できる貴重な場ともなっている。こうした積み重ねが次世代の縁と和を作っている。
俊彦さんから俊司さんへと繋がれた思想のバトンは、さらに今、次世代へと繋がり始めている。