1 2 3 4

大工・村上幸成さん(村上建築工房):チームで大きな木の仕事がしたい!


南房総に移住してくる
暮らしへのこだわりをもつ家族の家づくり

独立して1件目は親のリタイア後の住処、2件目は親戚の家のキッチンの入れ替えと、縁故による仕事が続きました。その2件目の家を見た人から「いとこが家を建てるからやってくれないか」という依頼があり、3件目でようやく自分の仕事を見てくれて頼まれる仕事にめぐりあいました。それ以降は、ずっと知り合い経由ではない仕事が続いています。

南房総地域では、手刻みでやる大工が少ないので「南房総で木の家を建てたい」という人が、インターネットなどで調べて、うちにたどり着くようです。南房総に移り住んで来た人、これから移り住んで来る人からの依頼が多いですね。

大きく言うと、子育て中の40代の夫婦か、60代のリタイア組ですね。40代夫婦は予算が限られている場合が多いので、セルフビルドの要素を取り入れたり、壁を塗らないなど、完全に仕上げない形で引き渡すケースもあります。僕自身が一級建築士の資格をもっていますので、設計施工もしますが、設計士と共同での仕事を受けることもあります。

白浜の家。海はすぐそこ。

無垢材があたりまえ
千葉県産材は積極的に使っている

うちに頼んでくる施主は合板や集成材は最初から選択肢に入れていない方ばかりなので、無垢材があたりまえという感じで仕事できています。自然な暮らしをしたいという生活設計や環境意識がもともとあって、「木の家に住みたい」という結論にすでにたどり着いている人が、自分でインターネットでうちを探し当ててくる。そんなパターンが多いので、始めからある程度「こんな家づくりがいい」という志向性が絞り込まれている感じです。村上建築工房という名前だけでは、うちのスタンスまでは分かりませんから、インターネットで発信していることはやはり大事ですね。

「地元材でお願いします」とも、よく言われます。ところが、南房総では林業はそんなにさかんではないので、千葉中部の房総丘陵の鹿野山で原木生産から製材まで手がけている山田材木さんにお願いしています。もう長いつきあいで、山田材木でもっている山の状況も大体把握しているので「あの木が欲しい」と頼んでおくと、倒して葉枯らししておいてくれます。90年生ぐらいのスギを買うことが多いです。木を見て買えるのがいいですね。

ただ、原木の状態で葉枯らししてはあっても、製材品の乾燥の程度はあまりよくないので、4寸9寸の6メートルものを30本とか、使いやすい大きさの材を早めに製材しておいて、うちの工場で桟積みにしてストックしてます。そのほか、木拾いしてでてくる細かなものは、なかなか頼めないので、市場でなるべく近県材を選んで買ってくるように心がけています。

左/90年生のスギ 右/山田材木

独立したての大工仲間とつながれた大工塾

千葉に来て自分で仕事を始めた頃、新聞の切り抜きで大工塾のことを知りました。大工仲間が欲しい!と思ってすぐに問い合わせたのですが、1期はもう定員に達していて入れないと言われ、2期から、埼玉県所沢市の初雁木材まで、欠かさずに出かけていきました。独立したての元気な大工が集まっていて、学ぶことも多く、とても貴重な場でした。

毎月一回、土日続けての講座は泊まりがけで、土曜日が設計士の丹呉明恭さんや構造学者の山辺豊彦先生の座学、日曜日が構造実験というスケジュールした。大工が自分たちでつくった試験体を破壊してみる構造実験が特に勉強になりましたね。慣れてくるとだんだん自分なりに予想できるようになってうるのですが、予想を裏切られて学ぶこともたくさんありました。今でも大工塾は続いていて、伝統的な木造を志す大工にはとてもよい学びの場、ネットワークづくりの場になるのでお勧めですよ。

大工塾以外でも、大工塾の仲間同士、お互いの建前を手伝いによく行っていました。自分とちがう工夫をしているところを「どうしてこうしたの?」と訊き合ったり、人の建前から学ぶことは多いですよ。木の家ネットのつくり手メンバーにも、中村武司さん、北山一幸さん、増田拓史さん、池上算規さん、久良大作さんなど、大工塾出身者がいて、今でもずっとつきあいが続いています。

チームづくりと人育て
人が育てば自分が楽になる

南房総に来た頃はひとりも知り合いがいない状態だったので、地元の商工会に入って、いっしょに仕事していける職方さんを探しました。だんだんにいいチームができてきたのですが、メインになっている職人がみな60代、そろそろ引退という時期にさしかかってきています。これから、より若い世代のチームをつくっていかないとな、と思っています。

独立して2年めで、淡路の頃のご縁で、木の家ネットのメンバーでもある左官の植田俊彦さんの息子さんの植田俊司さんが、職人としてうちに来てくれました。俊彦さんも今は淡路に戻って、お父さんといっしょに工務店をしています。それ以降も、大学時代の仲間の教え子など、その時どきの縁で人が続いています。見習で入ってくる子もいれば、最近では、よそで経験を積んで仕事のできる人が入ってくる人もいて、即戦力になってくれています。

大工の世界では、見習は過酷な条件なのがあたりまえ、みたいな風潮がありますが、それがいいこととは思えないです。休みもきちんとあることも大事です。今、うちには大工見習が2人いますけれど、休みの日には木の家づくりの勉強会などに熱心に通っていますよ。刃物を研いだり、勉強をしたりする時間もないというのは、成長を妨げるように思います。

3年前ぐらいから任せられる人が育ってくれて、自分の時間ができるようになりました。今、村上建築工房は、ぼくを入れて6人。よそで経験を積んで棟梁としてまかせられる人が2人、設計事務所やゼネコンの現場監督を経てうちに来てくれている人が2人。キッチンのメーカーに勤務していたことのある妻は簡単な図面や見積もりができます。経験を積んだ人が来てくれているので、こんなありがたいことはないです。おかげで、2棟を同時進行でまわせる状況になっています。今、白浜で一棟、横浜で一棟やっています。僕は横浜組で、品川にアパートを借りて、こちらと横浜をアクアラインで行ったり来たりしています。

村上幸成さんの奥様、益巳さんから見た村上建築工房

主人が信じてやっていることは、すばらしいことだと思っています。ただ、独立したての頃は、真剣な分、傍目で見ていて、ほんとに大変そうでしたね。現場から帰って来るのが夜、そのあと、設計や見積もりなどの作業を夜中までして、また翌日は朝早くから現場。寝る時間がいつも足りない感じでした。特に建前の前などはプレッシャーがかなりあったようで、食べるものも食べず、随分心配しました。ここ2、3年でかなり仕事を任せられる人がいる状態になり、主人も昼間から設計などのデスクワークをしたり、休日に気分転換する時間もつくれるようになってきました。ほんとによかったと思います。

人がいればいる分、人数分の生活を恒常的に保障できるだけをまかなわなければならず、それは大変なことです。けれど、今は同時に2つの現場が並行して動いているので、なんとかまわせています。一人がすべてを背負って、押しつぶされそうになるより、ずっと健全なことだと思いますよ。うちの宝は、人材だとつくづく感じています。木の家づくりが広がっていくことで、働く人たちの環境がよりしっかりしていけばいいな、と願っています。

木組みは自分で考えたい

ここはアメリカ人の旦那さんと地元出身の奥さんの夫婦がリタイア後に住む家として作りました。設計者が決まっている状態で「施工をしてもらえないか」と打診が来ました。プランは設計者が書いていますし、台所や窓は施主さん自身がアメリカから買ってきたものです。私からは木組みを提案し、それが受け入れられました。この家の中心となるのは、片流れの屋値の下に、3本の太い桧の曲がり梁とそれを支える桁がつくる、大きな吹き抜け空間のリビングです。海の見える大きな掃出しの窓からは、海風も入って、夏でも気持ちよいはずです。

白浜の家。リビングの吹き抜け。

設計の方と組むことがイヤだとは思っていません。むしろ、望ましい協調関係が結べるのであれば、よいことだと思っています。ただし大工ですから、最低限、木組みは自分で考えたいというこだわりはありますね。設計士の方がその人の発想する平面や立面まで書くのはいいんですけれど、木と木とがどう重なり合うのかという構造的な骨組みを表す伏図は、自分で考えたいです。人の考えた伏図で組んだり、ましてプレカット工場から出て来る材を指定通りに組むなどということは、できませんね。自分で山から買ってきた材料を自分で見て、触って、そこから発想した木組みをしたいです。

最近若い設計士さんと組んで一棟手がけました。きれいなスキップフロアが印象的な家です。自分の発想にはないよさがあり、とても新鮮です。その分、木組みでは自分のもてる力を注ぎこんでいます。このようにうまく協力しあえる設計士さんとだったら、いい仕事ができるはずです。


1 2 3 4
建前の日。お施主さんがふるまってくれたお昼を、工房のメンバー、応援の大工、職方のチームで食べる。