お役目終わって、燃し木になってくれた水車小屋
「なにょ〜 かせいでるで!」って、地元のおじいおばあには声かけられちゃいますが・・うちのペチカで焚く「燃し木」をもらってってるところ。
正味30分。移動したり、積み込んだり、下ろしたり含めて1時間「かせげば」数日分の暖が取れるし、かせいでる間は、あったかい!
田んぼの間を縫うように巡っているセギの水で、昔、水車が回っていて、それでお米を搗いて、精米していたのです。いつしか動力は電気になり、バッタリはモーターの精米機になりましたが・・それでも共同の村の精米所は、セギの流れの上にあったのです。鉄でできた水車の残骸が、ずっと小屋の片隅に置かれていました。
この小屋を、年明けに潰す、という話を、元旦の朝に村の郷社で氏子総代さんから聞いたのです。「持留さんちぁ、木ぃ、いくらでも燃すずれ? 持ってけし!」って。
まずは第一弾、めぼしい構造材を借りてきた軽トラに目一杯積んで確保。
あとは、ちまちまと、おそらく重機でガシャン!と潰した山から、板材の残骸を持ち出します。乾いていていい燃し木になります。
鉄は鉄くず屋に。精米機はそのまま使わないとしても、誰かがモーターどりはするでしょう。あとはほとんどうちで燃せて・・残るのは、コンクリートのガラぐらい。別の日に行ったら、農業委員会のおじさんがツルハシでガンガン壊して、砕石として敷き詰めてました。燃せないのに、大変な作業・・ご苦労様です。
びっくりするのは、土台がかなり腐っていること。まあ、基礎なしで、地面に直接敷いてるから無理もないのですが。
さすがに山となっているすべてを持ち出すのはムリで、最後は現地で消防が焚き火することで決着しました。せめて構造材は余さず、持って行きたいなあ・・と思っていた頃に、頼もしい助っ人が二人!
1/25に韮崎であった高橋昌巳さんの講演会に出席して、夜、うちで呑んで行った木の家ネットの仲間です。すぐ近所の横山さんと、岐阜の八百津からきてくれた各務さん。二人ども大工ですから、チェーンソー仕事、ガンガンしてくれて「あっちゅう間に」積み込んで運んでくれちゃいました。
ありがとう!助かったさよ〜〜!
それにしても、今どきの家、解体したら、ここまできれいに片付くのだろうか。もっと、扱いにくいゴミがたくさん出ちゃうんじゃないかなあ・・などということも、考えさせられるのでありました。ほとんどが燃せちゃう=土に還る=始末のいい家!というのも、環境に負荷をかけないという意味で、大事よね〜