木の家ネット事務局 八ヶ岳便り

2019年3月17日

リトルワールドで見た 沖縄の家、アイヌの家

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リトルワールドをご存知ですか? 名鉄という鉄道会社が明治時代の建造物等を移築して開園した「明治村」は有名ですが、同じ名鉄が、世界じゅうの民家を移築して1983年に開園した「野外民族博物館」が、リトルワールドです。世界それぞれの地域で手近に入る自然素材で建てた民家が広い園内に並び、ぐるっとまわると「世界一周」できるから、リトルワールド。もちろん、日本の民家も移築されています。そこで沖縄の民家とアイヌの民家とを同時に体験してきました。

沖縄の民家は、開口部がほとんど建具で、うんと開放的。床も地面からあがっていて、風がよく抜けるかんじです。台風への備えとして屋根は重たい瓦を置いた上から、漆喰でかためています。

それとは対照的に、寒さの北海道で厳しい建てられていたアイヌの住まい「チセ」は、分厚い茅でできていて、窓はほんのわずかしかありません。

その現物をみて、なにかと似てるかも?・・と、思い出したのが、これまで木の家ネット組んできた「気候風土適応住宅」の特集でつかってきた、建築物省エネ法の図解。アイヌのチセは、断熱材で家をくるみ、室内を機械空調する、世間一般でいわれている「省エネ住宅」と、似ていました!

二酸化炭素排出を国際的に決めた合意の範囲内に削減するために、国をあげて取り組もう。建築物だってエネルギーを無駄遣いするものであってはならない、ということで、2017年から「建築物省エネ法」が施行されています。どんな建物が「省エネ」なのか? 国が注目したのが「熱の逃げ」の少ない家。せっかく暖房しても、外の寒さに影響を受けて熱が逃げてしまえば、じゃんじゃん暖房しなければ間に合わず、エネルギーをたくさん使ってしまいます。暑い時の暖房時もしかり。だったら「外気の影響を受けないように遮断」して、内部を省エネタイプの「効率のいい機械で空調」すれば、ランニングコストは下がるよね?ということです。

どのくらい、外界の影響を遮断できているか、壁と窓、ドアなどの開口部の「熱の逃げやすいさ」をあらわす「外皮性能」を計算し、地域ごとにあるべき外皮性能を新築時に守ってもらおう・・・というのが「建築物省エネ法」です。大規模な公共建築から、段階的に外皮性能の適合義務が課されてきて、現在はまだその手前でとどまっていますが、いずれは、小規模の住宅にもそれが及んでくると予想されています。

全国どこでも、断熱材で分厚くくるんでしまえば、内部で機械空調した家の熱は逃げませんから、ある程度の「外皮性能」は確保することができます。全国どこへ建てようと同じ省エネ性能を確保できる、というのが高気密高断熱住宅の売りになっています。けれど、やはり、南の方では、暑い時に風がよく抜ける沖縄の民家の方が、エネルギーは使わなそう・・と思うのですが・・。

ところで、機械空調のないチセですが、案外あたたかく暮らしていたようですよ。その秘密は土座住まいにありました。チセが床が地面からあがっていません。地面にしいたやわらかい木の繊維の敷物に座り、囲炉裏にあたります。一年中火は絶やさず、チセを分厚く覆う雪を溶かさない程度でトロトロと薪を焚いておけば地温が一定に保たれ、その恩恵を受けることができるのだそうです。なんと地面の下5mのところでは冬の方が、あたたかいのだとか。

本州からの開拓史がつくった日本式の高床の住まいと比べると、あたたかさは格段だったといいう記録が残っているとありました。自然素材と機械空調なしでも、自然の摂理を生かした寒さ・暑さのしのぐ暮らしの工夫があることを、あらためてリトルワールドで学びました。「気候風土適応住宅」の原点を見た気がします!

もうひとつ、おもしろかったのが「穀倉のあれこれ」。南方でも北方でも「ネズミに大事な穀物を喰われない」ための工夫をしているのはいっしょでした。

奄美大島の穀倉では、太い丸柱が支える高床との接点に、ブリキを巻いていました。そして、アイヌでは、木の皮をぺりっとはがしたものを、はさんでいました。いずれも「ネズミをのぼらせないための工夫」です。所変われば・・ということもあれば、所変わっても・・ということもある。人間の知恵はいろいろです。

地域にあった家づくりの知恵や暮らしの工夫が、全国にあります。それを生かして、その地域ならではの、自然素材を生かした家づくりをしたいですね!

気候風土適応住宅ってなに? 解説ちらしができました!コンテンツ

2019年2月10日

2/8 京都大学生存圏研究所での北守顕久先生の講義

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2/8(木)の午前に、京都大学生存圏研究所 北守顕久先生に、伝統木造の柱・梁フレームや仕口の「壊れ方」について、豊富な実験や解析の経験をもとに、ご講演いただきました。Facebookでの非公開での呼びかけで周知された講演にもかかわらず、全国から多くの大工、設計者、材木関係者、学生などが80人以上も詰めかけ、講演会場を予定していたよりも大きなホールに急遽変更しなければならなくなるほどでした。

北守顕久先生は2015年に「木造伝統構法の理論化に向けた構造要素の解析で、林材関係の優れた研究に与えられる大熊賞を受賞、2016年「雇い竿車知栓留め柱-梁接合部の引張性能評価式の提案」日本建築学会奨励賞を受賞。これからの木造伝統構法を科学的に解析する動きの最先端を担っていく新進気
鋭の研究者です。

今回の講演を北守先生に依頼したのは、宮内建築の宮内棟梁。常日頃、先生の研究の試験体のディテールについて実務者として助言をしたり、試験体を製作したりしている関係で「仲間に聞いてもらいたい」と、宮内さんからお願いした次第。

講演前、集まった大工たちに「強く作りすぎたら、あかん!大工はどうしても胴付きよくぴったりと作りたいもんや。けど、強く作りすぎると、それが柱を折って、倒壊に至ることもある。強さと変形性能とのバランスを考えなあかん」と熱心に語る宮内さんの姿、カッコよかったです!

断片的になりますが、講義やその前後の話の中から、印象に残ったフレーズをいくつか。

伝統木構造は、コンクリートや鉄骨と比べればやわらかい材料で作ること、柱よりも太い梁を横に差したり架けたりすることなど、イレギュラーで難しい課題をはらんでいる。

日本で建てるので、地震を想定しなくてはなりません。昔は「また建てればいいさ」という諦念もあったかもしれませんが、人命や財産の尊重という点から、今ではそういうわけにはいかない。

「ごくまれ地震」までは土壁の耐力でかたく耐えつつ、「想定を超える大地震」には、土を落とし、貫や仕口がめり込み合い、摩擦することで変形性能を発揮しながら、層間変位角1/15くらいまでは倒壊することなく持ちこたえなくてはならない。

「強さとしなやかさを兼ね備える」という、相反する要素をどのようにバランスさせるのか、柱と梁の寸法バランス、木同士を組む仕口の選定など、大工には多くの判断と工夫が求められます。

などなど・・。会場からは大工たちからの質問が飛び、それに生き生きと答える先生の姿が大学の研究者と実務者とのこれからのあり方を示唆しているようで、印象的でした。

講義では、実際に加力試験をしてみると「どのように壊れるのか」これまでに先生が関わってきた実験結果のグラフや写真を見せていただきました。次の写真は、柱と梁をつなぐのに「雇い」入れ「車知栓」で止めるケース。

この写真では、車知が破断しつつも、破断したピースの摩擦で、柱と梁とをつなぐ雇いの抜けを防いでいる様子がわかります。襟輪の深さがもう少し欲しいところ、かもしれません。どのようにして車知栓が潰れるのか「襟輪」の位置や深さの寸法が、それにどう関係するのか・・・大工たちには、写真をみるだけで「ああ、こうなるのか!」と腑に落ちることがたくさんあったことでしょう。

講演の後は、加力試験をする研究所内の施設見学もさせていただきました。

Eディフェンスでの、伝統構法の性能を検証する実大震動台実験から7年。

http://green-arch.or.jp/dentoh/experiment_edefense_2012.html

損傷観察要員として「どう壊れていくのか」を見た大工たちは「どうつくってはいけないか」「どう造れば良いか」を突きつけられました。

途絶えていた石場建てを新築で施工する事例も増えて行きている中で「強さと変形性能とのバランスが悪く、危険な事例も見受けられる」と宮内さんは言います。「また実大実験せな、あかんな」と。

昔は「地震でどう壊れるか」を、観察、検証、解析することはできませんでした。今はそれを、実大震動台実験、加力試験、要素試験などで科学的に検証できる時代です。

より安全性の高い設計とは?施工とは? これまでやってきたこと、親方から習ったことを無条件に鵜呑みにするのでなく「これで本当にいいのか?」と自問自答することが、次の工夫をうむのでしょう。

そのような姿勢で当たることで、常により良く変革しながら、伝統木造が未来へつながっていくことを願います。

最後に、生存圏研究所で目にした面白いものをご紹介しましょう。木の自転車です!なんでも木で作ってみよう!ということなのかな・・。プラスチックや金属が、木で置き換わっていったら・・日本の山にとってはいい話ですし、温かみがあって、素敵ですね。

 

2019年2月6日

お役目終わって、燃し木になってくれた水車小屋

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「なにょ〜 かせいでるで!」って、地元のおじいおばあには声かけられちゃいますが・・うちのペチカで焚く「燃し木」をもらってってるところ。
正味30分。移動したり、積み込んだり、下ろしたり含めて1時間「かせげば」数日分の暖が取れるし、かせいでる間は、あったかい!

田んぼの間を縫うように巡っているセギの水で、昔、水車が回っていて、それでお米を搗いて、精米していたのです。いつしか動力は電気になり、バッタリはモーターの精米機になりましたが・・それでも共同の村の精米所は、セギの流れの上にあったのです。鉄でできた水車の残骸が、ずっと小屋の片隅に置かれていました。

この小屋を、年明けに潰す、という話を、元旦の朝に村の郷社で氏子総代さんから聞いたのです。「持留さんちぁ、木ぃ、いくらでも燃すずれ? 持ってけし!」って。

まずは第一弾、めぼしい構造材を借りてきた軽トラに目一杯積んで確保。

あとは、ちまちまと、おそらく重機でガシャン!と潰した山から、板材の残骸を持ち出します。乾いていていい燃し木になります。

鉄は鉄くず屋に。精米機はそのまま使わないとしても、誰かがモーターどりはするでしょう。あとはほとんどうちで燃せて・・残るのは、コンクリートのガラぐらい。別の日に行ったら、農業委員会のおじさんがツルハシでガンガン壊して、砕石として敷き詰めてました。燃せないのに、大変な作業・・ご苦労様です。

びっくりするのは、土台がかなり腐っていること。まあ、基礎なしで、地面に直接敷いてるから無理もないのですが。

さすがに山となっているすべてを持ち出すのはムリで、最後は現地で消防が焚き火することで決着しました。せめて構造材は余さず、持って行きたいなあ・・と思っていた頃に、頼もしい助っ人が二人!

1/25に韮崎であった高橋昌巳さんの講演会に出席して、夜、うちで呑んで行った木の家ネットの仲間です。すぐ近所の横山さんと、岐阜の八百津からきてくれた各務さん。二人ども大工ですから、チェーンソー仕事、ガンガンしてくれて「あっちゅう間に」積み込んで運んでくれちゃいました。
ありがとう!助かったさよ〜〜!

それにしても、今どきの家、解体したら、ここまできれいに片付くのだろうか。もっと、扱いにくいゴミがたくさん出ちゃうんじゃないかなあ・・などということも、考えさせられるのでありました。ほとんどが燃せちゃう=土に還る=始末のいい家!というのも、環境に負荷をかけないという意味で、大事よね〜