職人がつくる木の家ネット 東北応援隊
2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震で被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
今回の地震・津波・原発事故では、これまでの震災とはくらべものにならない大きな自然の脅威にさらされ、しかも、その被害はあまりにも地理的に広範囲にわたっています。そのすべての支援は到底できませんが、せめて、顔の見える関係性を通じて、少しでも被災地域再生のお手伝いができればと「職人がつくる木の家ネット 東北応援隊」を始めました。
応援隊が届ける物資の送り先は被災した会員個人となりますが、その個人を通じて、物資が地域コミュニティーの中で活用していただくことも含めての協力と、木の家ネットでは位置づけています。
三陸の菅野さん、佐々木さんの状況
職人がつくる木の家ネットには、津波で大きな被害を受けた三陸沿岸に、岩手県陸前高田市に大工の菅野照夫さん、宮城県石巻市北上町十三ケ浜には設計士の佐々木文彦さんがおられます。
3/11には菅野さんの、3/15には佐々木さんの安否が確認でき、菅野さんは壊滅的な打撃を受けた陸前高田にあって家族も家も無事であること、佐々木さんは自宅兼事務所が津波であっという間に流され、宮城県石巻市北上町十三ケ浜にある、相川子育て支援センターの避難所でコミュニティーのとりまとめ役の一人としてがんばられていることが分かりました。
陸前高田の菅野さんへの支援物資運搬(3/16〜3/22)
早くに連絡がとれた菅野さんから、物資の支援要請があり、木の家ネットとして被災した会員と、会員が関連して行う復興活動への協力を、愛知の大江忍さんの指示のもとに行うこととしました。
具体的にはまずは、要請のあった物資を木の家ネット会員のメーリングリストを通じて募り、新潟を集積地とし、新潟〜山形〜宮城経由で、陸前高田入りすることを決めました。被災地入りするための通行許可証、トラックや乗用車の供与、積込、現地までの運転、カンパなど、会員の連携により、第一便(3/16発、3/17現地着、3/18帰還)、第二便(3/20発、3/21着、3/22帰還)が支援物資を運びました。
■ 第一便(3/16発、3/17現地着、3/18帰還)
物資は、愛知、東京、新潟の3カ所に集積しました。愛知方面から新潟までの物資運搬を三重の池山琢馬さん・増田拓史さんが、東京から現地までを東京の小町歳幸さんと埼玉の綾部工務店の遠藤幸成さん・今井裕介さんが乗用車で、新潟から現地までを新潟の長谷川順一さん・山崎四雄さんがトラックで担当しました。
第一便の行程は、夜じゅう続く吹雪で視界もない中で初めて走るルートであり、途中、トラックの故障などのアクシデントもあり、困難を極めましたが、山形のアメニティキッチンの佐藤敬介さんのご助力でなんとかのりきることができ、要請のあった発電機、薪ストーブ、ガソリン、軽油、カセットコンロ、ボンベ、米、紙オムツ、生理用品、会員からの応援メッセージなどを無事に届けることができました。
■ 第二便(3/20発、3/21着、3/22帰還)
第一便で切り拓いたルートで、現地に持っていけなかった荷物を、滋賀の宮内寿和さんがトラックで運びました。単独での行動でしたが、大雪に見舞われなかったのは幸いでした。
菅野さんが宮内さんに託した、木の家ネットのメンバー宛のメッセージです。
菅野さんは好運にも家も家族も失わずに済みましたが、菅野さんが住む地域では80世帯以上が何もかも失い、避難生活を強いられています。大工棟梁は昔から、建築だけでなく、地域のとりまとめ役としてのはたらきをしてきました。菅野さんのはたらきで、物資が必要なところで日々の暮らしの補いとなることを、願っています。
石巻市の佐々木文彦さんとのコンタクト
第一便が発ってから宮城県石巻市北上町の相川子育て支援センターにいるとの消息の分かった佐々木さんは、第一便の帰路で落ち合うことができました。「危険な地域まで来ていただくのは申し訳ないので、出向きます」と言って、最寄りのインターまで来てくださった佐々木さんに、長谷川さん・佐々木さんがお会いして、ガソリン、食料等の一便にのっていた一部の支援物資をわたしました。
家も事務所も津波に流され、安否が確認できない身内がある中、避難所の世話役として動いておられる佐々木さんは、今年の10月に予定していた木の家ネットの宮城での総会の委員長でもありますが、このような大変な時期でありながら、開催に向けて動いていきたいという気持を表明されていたそうで、頭が下がります。
秋田の加藤長光代表、仙台の徃見寿喜さんにも佐々木さんから電話連絡がありました。その内容について、【別ウィンドウでご覧ください】
なお、佐々木さんとその周辺への支援については、東京の吉田晃さんが担当窓口となって、今後、ニーズなどを訊いて進めていきます。
ほか、岩手、宮城、福島の会員さんの消息
菅野さんと同じ岩手県内でも、菊地憲夫さんの住む金ケ崎町は、水沢市の北の内陸にあたり、地震ほ被害そのものもほとんどなかったそうです。宮城県仙台市の徃見さんは、仙台でも山側の青葉区で、ご家族や家などご無事で、電気や水道などのインフラが復旧してからは、日常を取り戻しつつあるようです。山形県境にほど近い、大崎市鳴子温泉の遊佐茂樹さんは、地震の直接的な被害は大きくなく、県内被災地でのボランティア作業などに、積極的に動かれているようです。
福島県には、福島市に宍戸富雄さん、矢祭町に金澤秀行さんがいらっしゃいます。やや内陸にあたり、原発事故後の放射能汚染についても、今のところは退避圏内ではないのですが、心配な状況が続きます。それでも、地域の棟梁として、地元での建物の補修などに日々動いていらっしゃるそうです。
被災地の写真
小町さんが撮った陸前高田の写真