なぜ土壁の家づくりを続けるのか 高橋昌巳/シティ環境建築設計


工程と素材の美しさ

1991年から1994年まで4年間、東京から約50回通い続けた愛媛県北条市のKさん家づくりから私の土壁体験が始まります。1964年の東京オリンピックから始まる高度経済成長は、都市部での大量の住まいを要求に答えるべく、安く早く大量にできる建材を主体とした乾式工法が住宅産業の中心的な工法にすえ、関東地方では竹小舞や荒壁を着ける左官工事がほとんど消えました。構造用合板下地に防水紙とラス網を張り、軽量モルタルを塗ってから漆喰塗りが一般的な左官技法と考えていた私にとって、「家は竹小舞を掻いて泥壁をつけるものだ」と、土壁仕事が当たり前の状態で残っていた愛媛県は実に新鮮な経験でした。小舞を掻くのを仕事としている「えつり屋」さんが竹小舞を掻き、泥は今治市の方から粘土に藁スサを混ぜてミキサー車で現場まで運んでくれ、数人の左官職が荒壁を付けるなど、作業は分業化して仕事として成り立っていました。現在でも名古屋から西の地域では、まだまだ竹小舞土壁の家造りが普通に行われています。

竹小舞が終了した段階での家は、このまましばらく保存したいと願うほど気持ちがよく、美しいものでした。竹小舞を抜けた日の光が落とす格子状の壁、竹小舞を抜ける風の気持ちよさなど、工事途中での一工程がこんなに人を喜ばせる力があるものなのかと、声に出したいほど嬉しい経験でした。荒壁の工程は高度の左官技量を競うものではありません。しかし、「今日、生きててよかったね」という小さな幸せが、廻りのひとに伝わっていくように感じております。

以来、建て主の家族には、仕事を休んででも消えてしまう竹小舞の状態を体感してもらうことを続けております。岩手県二戸市のY邸では、竹ではなく葦で小舞が掻かれておりましたが、同様に美しさを感じました。隠れてしまう建築工程が審美的に評価されることは今の時代の家づくりにはまれなことですが、土壁の竹小舞の状態には確かにじっくり体験して味わう価値があります。瓦下地のトントン葺きも同様です。一瞬立ち止まって記憶する経験は、きっと後から思い出になってくれるでしょう。竹小舞土壁の家づくりは、急がず比べない家づくり、つまり自分の家とじっくりと取り組む生き方にはぴったりあっています。

建て主参加の家づくりの原点

岩手県二戸市Yさんの家は、土壁下地の材料が竹ではなく葦でしたが、なんと冬の間に延床60坪の家の壁という壁全部(外壁も中間仕切り壁も全て)の下地を主人一人で掻き上げていました。雪が解けて春になり、庭で水あわせを行う作業は特性の畦の中で解かせた粘土を、木の枝で編んだ簾に通して石などの塊を取り除くという作業でした。これも家族の仕事です。荒壁付け当日は、10人を越える近隣の人たちが手伝いに参加してくれました。才採り棒に取り上げた粘土を、へっぴり腰で鏝を持つ塗りつけ担当へ配る姿が、ほほえましく見えたものでした。素人の仕事なので平らには塗られていません。ただ一人の左官の親方が土素人集団が着けた荒壁を追いかけながら均していくのです。プロが指導すれば、素人集団でも家はできる。わかってはいましたが、目の前で繰り広げられている現実には驚きました。手伝いの方々へのねぎらいに用意されたご馳走と酒の山を横目で見ながら、現代に残る結いの感動を胸に仕舞って現場を後にしました。

専門家に以来する場合、小舞の掻き方には手間に応じて幾つかの方法があります。竹や縄にも種類があり、材料費は違います。荒壁にもドロコン屋さん直から、藁スサを足してさらに水合わせを行い時間を掛けるなどの手間の掛け方に違いがあります。ただ、材料2割手間8割の手仕事の左官工事では、高度の技術をそれほど要求しない荒壁塗り工程に、建て主参加の可能性が残っています。丁寧な仕事を求めたければ、じっくりと時間を掛けれて注意深く仕事を続ければ、あるレベルまでは素人でも達成できるのが荒壁塗りなのです。以前、東京の古老の左官職から、中塗りからが本職の出番という話を聞いたことがあります。手仕事が好きで器用なひとなら、竹小舞掻きは考えるほど難しくはありません。荒壁付けは体力が要りますが、休み休み行えばいつか終わります。忙しい現代ですが、週休二日が一般的であれば、工程の一部に参加する程度は誰でもできるはずです。これまで、20年数年土壁の家づくりを続けてきましたが、程度の差はあれ、自分の家の壁を家族でつくる体験をしてもらっています。お金で買ったものなら飽きたら捨ててしまっても、自分達の家族で作り上げた家は大切に扱ってもらえると信じています。

産地を特定できる信頼できる素材

愛媛県ばかりではありませんが、静岡県から西の地方では壁と材料となる粘土の色が黄色・山吹色・朱色など鮮やかであり、荒壁や中塗り仕舞いの蔵や住宅の外壁が山の緑や田んぼに映えて、とても魅力的な景観を形作っています。粘土は重いので、家のそばで採れるものを壁に塗ることがどこでも当たり前に続けてきた訳です。当然の結果として、荒壁や中塗りの壁の色が黄色であれば、近くの土も同じような色をしています。関東地方では、荒壁の粘土に荒木田土を使うのが一般的であり、青灰色の壁自体は仕上げには最適とはいえませんが、西の地方で見かける荒壁土はそれ自体が十分仕上げとして魅力を持つ色合いをしています。地場の粘土で仕上げた建物が作り出す風景は、紛れもなくローカルカラーといっていいものです。愛媛県北条市の現場に頻繁に通い続けた理由も、建材としては売っていない地場の色土の再生と利用が目的でした。がけに上り粘土魁を収集して砕いて粉にし、篩にかけて粘土粉の粒子をそろえ、のり按配・スサ按配の確認のために数十枚の塗り見本をつくり、数ヶ月の暴露試験をしてから、物になる調合の色土を外壁と内壁に塗ったものでした。建材として流通していない以上、こうやって自分達で元素材から始めるしかないのですが、この手順を踏めば足元の粘土が壁になるという貴重な経験となりました。

産地偽装・性能偽装・ラベルの張替えなど、人をだますことが普通の世の中のできごとにぞっとしますが、左官の仕上げ素材も調合や成分が明らかでなっている材料ばかりではなありません。こんな時代、どうすれば信頼できる素材で家ができるのでしょうか。決め手はありませんが、素材の造り手に聞くのは確かなやり方の一つです。設計士として自分の扱う素材のほとんどはその製造現場まで行って原素材と製造工程とを確認してきました。土壁の材料も粘土層を採掘している山まで見ることができます。東京で荒壁付けを行う場合、自分達の使う荒壁土は、埼玉県児玉の瓦工場から分けたもらうことが多いのですが、最近では建材屋でも荒壁土を置いている店があり、産地も教えてもらえます。中塗り土や仕上げ土は、愛知県豊田市で色土の製造を続けいる業者のものでです。仕上げの土佐漆喰は、高知県の田中石灰の練り漆喰を利用しています。おそらく、色土も石灰も藁スサも、土壁の素材は小規模生産を続ける専門店がなんとかやっているのが実際です。ただ、つくる素材にはしっかりとした自信がもって続けていることが、話を聞いてみて同じく感じる業界です。まだまだ、信じられる世界が土壁の世界には残っています。

木組みの家には馴染みやすい

循環型社会実現が国際的な共通命題になって久しい現在、持続可能な森林から算出された木材をより沢山使用することが建築物の環境負荷低減性につながると評されています。これ自体はその通りで、当たり前なことなのですが、問題は木の使い方にあると思います。自然素材の木材はどんなにしっかりと管理していてもバラツキがあり、だから一本一本の材木の特性を見極めながら丁寧に使うのが活かした使い方につながるはずです。ただ大量に使うのであれば、一本一本の木材の欠点を取り除いた集製材やベニヤにして使うのが手っ取り早いやり方でしょう。プレカット工場に以来しての構造材の墨掛け刻み加工が、90%を超えて久しいと聞いておりますが、手刻み加工のコストと比較して機械工場加工を選択した結果、自分の仕事をなくし、自分の経験を活かす場も若手の育成機会も消滅して、心中穏やかではない大工さんも少なくないと察します。ムクの木が売れずに困っている原木市場ではとことん安根で買い叩かれ、製材所では仕入れ原木を早く換金するために人工乾燥を行い、6寸角が挽ける中目材から相変わらず4寸角を引挽き続けています。プレカット工場にしても、新規の高性能機械を導入できる体力のある工場のみが勝ち残る厳しい競争の業界のようです。頻繁に山まで出かけていかなくても、林業家・製材所・大工など、木の家づくりを取り巻く関係者全体が消耗し自信をなくしている様相が見えてきます。

もう、どれだけ大量に早くできるかを競うこと、初期の建築コストの安さを競うこと、ハウスーメーカーのスタイルを後追いする競争など、一切やめて自分の地域で地縁的な家にもどりませんか。プレカット工場に一任するのをやめて、再び自分達だけで刻み・建て方・造作の一切をする本来の大工業にもどりませんか。木の特性に合わせた伝統的な家づくりは、林業家の育てた木の個性を活かし、自然乾燥にこだわる製材所を潤し、大工に自信と誇りを取り戻すはずです。大量にはできないのですから、大もうけとは縁のない生活になります。しかし、地域での信頼と自らの自信は取り戻せるでしょう。伝統な木組の家には通し貫と土壁が似合います。竹や縄も木と同じ自然素材だし、粘土の藁スサも木も同じく再び土にもどります。ゴミとして捨てる材料はほとんどありません。こんな家づくりの現場では職人衆も元気で、和やか空気に包まれています。鳶も大工も左官も瓦屋も板金屋も単なる組み立て工ではなく、それぞれの関連を熟知した上での連携プレーで一軒の家全体に関わります。材木を扱う大工衆は職方の中心ですが、土壁は家の構造と仕上げの両方に関わるので工程の中心を担っていると思います。

・性能が研究により数値化されてきた

グローバル化の時代、民族言語の違いに関係なく互いに理解できる評価軸を設定していこうという考えが建築にも影響しています。環境評価面ではCASBEEの各項目で仕様がランク付けされ、計画内容と結果が見える数値となって評価されようとしています。省エネも構造強度もある基準を一度設定してみて、数値を出して比較してみるのは確かにわかりやすい良さがあり、具体的な行動につながり易くなる効果があります。土壁の耐力壁としての強度や、架構体の中における役割などが現在も続けられてる一連の実験の結果、土壁の特性がだいぶ明らかになりつつあります。地場の竹や藁や粘土を使ってどこでも作られてきた土壁ですが、竹小舞掻き・荒壁土水あわせ・荒壁塗り表塗り裏返し塗りなど、一連の作業を丁寧に行った壁は塗り厚が厚いほど強く、ねばりがあることが理解されてきました。手に入り易く施工も簡単な土壁は、地震の度に古い家の倒壊した様子が放映されますが、注意深く作られたものは心配が要らないということです。強度的には、まだまだ解らないことが多い土壁ですが、今後も続く研究に期待したいと考えます。

強度の評価よりずっと前から研究が続けられてきたのは、土壁のもつ調湿調温機能です。極端な温度差を嫌う味噌やしょうゆ・酒など醸造小屋はなぜ土壁なのか、漆塗りの作業小屋はなぜ土蔵なのかという疑問から発した研究です。土壁の家の内部は、夏冬の外部の一日の温度変化に対して変化がとても緩やかになります。私自身も、1994年の夏冬、川越市の土蔵と、東京都練馬区の塗り屋の室外に自動温度湿度計測器をすえて記録をとったことがあります。6月のちょうど今頃、外部の湿度が80%〜100%の間で変化していたのに対して、室内は70%で一日変化なしという結果でした。もちろん、窓の開放度などにも影響されますが、土壁には確かに湿度を一定に保つ効果があることはわかりました。では、温度はどうでしようか。こちらも外部の変化に比べれば一日の変化は穏やかに変化します。外気温の影響はあり、夏と冬では6度から27度程度の範囲で変化していました。

土壁の室内がからっとしていて過ごしやすいというのは本当です。省エネ関連の断熱材の性能競争が激しくなっていますが、中外真壁の家は断熱材を入れる隙間がないため、温熱環境の評価は高くはありません。ただ、一度温まると冷えにくいのが土壁です。私の経験では、真冬-15度になる安曇野の常念岳ふもと、2階が中外真壁のSさんの家が、薪ストーブ一一台で冬を乗り越えられたのは土壁の蓄熱性能だと家の人から聞いたことがあります。CASBEEでの温熱環境・室温設定では、冬期22度、夏期26度の室温を実現する設備容量を確保するのがレベル3の評価ですが、夏に関しては湿度が低くなるのでエアコンなしでも土壁の家ならある程度過ごすことができます。

木造町屋と土壁の可能性

戦後一貫して燃える木造住宅は都市づくりの嫌われ役であり、どうしたら都市の不燃化を進められるかに都市計画の注意は払われてきました。しかし、燃えない家造りは、モルタル樹脂系吹き付けタイルか不燃サイディング張りの家が中心となる町並みが広がることにつながり、景観的には時間が経つほど味わいなく薄汚れた町並みが残りました。景観的な評価と都市の不燃化を整合させるにはどうしたらいいのか。京都市内の木造町屋保存の可能性を探る意味合いで始まったとお聞きする土壁の耐火性能実験は、この点で都市部での木造住宅の作り方をかなり広げてくれました。土壁下地であれば、外部に羽目板張りが可能となり、軒裏には野地板の厚みが30㎜以上あり軒桁に45厚の面戸で垂木の間を塞いで火の進入を防げば、軒裏に木を現す仕様が可能となりました。粘土には内部に水が含まれているため外部から火で熱を加えても、粘土の水分がなくなるまで室内側の温度が上昇しないという優れた特性があります。加えて木が燃える速度は1分間に0.6ミリ程度なので、土壁+外部羽目板の組み合わせは防火性能としては高く評価していいのです。景観的にも、柱や梁を現した真壁の家には独特の美しさがあります。

性能が数値化されてより高い品質確保に向けての同じような動きが始まったとしても、一方で、自分らしさ、地域らしさ、国の誇れる景観などはより強く求められるものです。この国の建築材料として長く親しまれてきたのは木と土と紙ですが、土の燃えにくさの特性が新たな街づくりに可能性を広げてくれそうです。東京の都心部での建て買え工事にあたり、30〜40年間街並の一部として眺められてきたモルタルの家が、ムクの木と漆喰塗りの家に代わって現れた後、道路を行き来するひとが一息ついて眺めていきます。もちろん住み手の家族には自慢できることでが、嬉しいのは一度は忘れられた土壁漆喰塗りの木の家に関心がある人が少なくなく、同じ地域での新たに仕事につながっていくことが多いことです。木造真壁の家が町並としてつながっていくことはないとしても、地域にほっとするようなスポットが生まれたことを歓迎する人は多いようです。木造町屋の再生に土壁がますます力となってくれそうです。

コストと工期の壁を乗り越える工夫

木の家や土壁は工費が高くて難しいとか、工期が長すぎて現代には合わないなどとの意見をよく耳にします。土壁の家づくりばかりが続いている設計事務所としては、そういう意見もあるのかと思うしかありませんが、よくもまあ3〜4人の小さな事務所が24年間に役100棟近くもの家づくりを経験できたのは、土壁にこだわってて仕事を続けてきたからだと思います。事務所を始めて以来ずっと分離発注建て主直営というスタイルで続けてきましたので、材木は製材所で買い、大工さんには大工手間を払って加工・組み立てを頼み、土壁は当然左官屋さんに直接依頼することになります。設計監理と工事管理を同時に引き受ける作業は責任が重く、長時間のきつい作業の連続ですが、駆け引きなしの現場は精神的なストレスが少ないものです。担当の左官屋さんができるといえばできる、という簡単明瞭な関係です。もちろん、工事の始まる前には、荒壁工事・外部漆喰塗り工事・内部中塗り土仕上げ工事・玄関土間三和土工事・など各項目ごとに数量を拾い、左官屋さんと工事単価を打ち合わせて見積もりを集計し、建て主の要望通リに進めた結果の見積もり原価の現実を見てもらいます。たいてい、当初の予算よりオーバーしているので、どこを優先するかを決めて工事費の調整に入ります。荒壁は必ず付けます。外壁も塗ります。残るのは内部の壁仕上げですが、もともと左官の世界では「お金がたまったら又仕事に掛かりましょう」というのが普通だったので、無理せず荒壁ままでやめておくこともあります。時には、「素性のわからない材料でむりやり仕上げるくらいだったら、荒壁の家で菰(こも)被って寝るからいい」、というこちらに気合を入れてせまる筋金入りの建て主もいます。設計士も、簡単には妥協変更しないタフな精神の人間になります。

家一軒の荒壁工事費は、地域差があって一律には答えられません。人件費も材料費も高い東京での経験では、延べ床面積が30坪程度の家の荒壁工事費は、外壁廻りのみ荒壁付けとしておよそ80〜100万円程度です。荒壁土水合わせに2人工、竹小舞掻きに10人工、荒壁表塗りに10人工、裏返し塗りに5人工程度は掛かりるので、材料費や運搬経費を加えれば妥当な金額でしょう。壁の隙間をなくすためにチリ廻り塗りや、耐力壁の構造強度を増す目的で施す中塗りは別計算です。これで、構造材であり、仕上げにもなる家の外壁の下地が出来上がるのですから、価値はあります。

時間があって器用な人なら、自分達で小舞掻きの作業や荒壁付けを一部行うこともできるでしょう。その場合、プロは他人の行った下地には続けて仕事をしないというルールは守った方が無難です。羽目板張りなど、仕上げ塗りを続行しないことが明らかな土壁のみセルフビルドとすれば、確かにコスト削減につながります。いずれにしても、建築の初期コストのみで判断するのではなく、この家に住み継ぐ世代にとって、価値のあるものをどれだけ残せるかを考えて優先順位を決めるとが大事だと思います。


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