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建前から見えた家の姿


棟木が上がる日、棟梁たちはお神酒を飲んで仕事にかかる

建前の日の仕事はじめには、親方、棟梁をはじめ、職人さんはお神酒で口を湿らし、煮干しをかじります。似たような習慣があっても、かじるものが地域によって違っていたりして、滋賀ではスルメなんだそうです。建前のやり方は、地方によって、建てる家によっても随分と違うでしょうから、以下は「山梨県北部での、小さな建物向けの略式上棟式」という前提でお読みください。

仕事はじめのあとは、普通に作業にはいります。通常、建前の日は、棟木を上げて納めることが作業のゴールなのですが、この小屋の場合、二重屋根であることから、上屋根を載せる前の下屋根の棟木が納まった段階での建前となりました。

建前は施主家族が参加するものですから、どうしても土日になります。かつ、「三隣亡(隣三件が滅ぶといわれ、着工や上棟は避ける)」という日取りにあたれば建前はできません。最近では作業スケジュールを止めないことを最優先するため、棟木を上げる日と建前の日とが必ずしも同じであるとは限らないそうです。

建前直前の昼食とお供え物の準備

午前中の作業が終わり、お昼ご飯の時刻です。わが家では、職人さんたちと家族・親族、その場に居合わせたお客さんに、ちらし寿司をつくってお出ししました。今年の春、塩漬けにした八重桜を飾ったちょっと華やかなお寿司です。

お昼の準備と並行して、儀式に使うお供え物の準備もしなくてはなりません。塩、お米、お酒、煮干し。ほかに「海山のもの、五品」ということで、鯛のお頭付き、今の季節にはないので買って来た大根、人参、お隣からいただいた長ネギ、これもいただきもののバナナを用意しました。鯛は格好よく見えるように、竹を削って、尾っぽと頭とをつなぎます。

こう書いていると、すっかり整えて儀式に臨んだように見えますが、そうではありません。建前の前夜になって、何をどう準備したらいいのか、何が分かっていないかも分からないでいた状態だった妻が「どうやらいろいろ用意するものらしい…」ということを知って、以前からいろいろとお世話になっている親方の奥さんの照香さんにあわてて相談したのです。

「慣れないことだから、結構、大変よ。女手はあるの?」と訊かれ、食事の用意とおもちぐらいなら、なんとかできるかな、とぼんやり思っていた妻は、返事に詰まってしまいました。すると照香さんは「じゃあ、私が行って手伝うわ」と本来ならもてなされる側でありながら、当日の手伝いまでかって出てくれたのです。その後、妻も急遽、友人を拝み倒して手伝いに来てもらい、なんとか乗り切ることができました。すべてが嵐のように過ぎ去った後に照香さんには「お施主さんだから手伝うんじゃない、あなたの友達として助けたかったからそうしたのよ」とおっしゃっていただき、ありがたかったです。

もちつき機でもち撒き用のもちづくり

もち撒き用のもちの準備も、結構大変でした。前日から水につけておいた餅米は、庭にかまどを作って、友人から借りたせいろで蒸し上げます。蒸し上がった餅米は、本当は杵とうすでつきたかったのですが、間に合わなそうだったので、近くの人にもちつき機を借りて、午前中から縁側で何回転かしました。

つきあがった餅米を米粉にとりながら、小さくまるめて丸餅にします。「あっちち、あちち!」といいながら、子供たちも手伝います。おもちは「できたらビニールは使いたくないよね」ということで、半紙に包むことにしました。子どもたちが半紙に時々「あたり」とか「うたをうたう」などと書いて、受け取った人のお楽しみにしています。もちを包む作業が間に合わず、もち投げを楽しみに早めに来てくれたお客さんにたちにも手伝ってもらいながら、もち撒きのほんの数分前まで焦っていたのは、内緒の話です。

海山の幸を神様にお供えしての儀式

午後3時が近づくと、いよいよ建前の準備です。建物の中に祭壇をつくり、海の幸・山の幸と、お神酒、杯、お米、塩をお供えします。祭壇の中央には幣束(へいそく)と呼ばれる飾り物をするのが普通のようですが、今回は簡略化して、施主がつくった紙垂(しで)を飾りました。また、祭壇の横には破魔弓にかけられた破魔矢を鬼門(北東)に向けて飾ります。

準備が整うと、建物の中に、施主とその家族、職人がはいり、棟梁が祝詞をあげます。建前(上棟式)はもともと神道由来のものですが、祈祷よりお祝いの性格が強いので、神主さんを呼ばずに棟梁がその役を代わりに行うことも多いそうです。工事の無事と家族の繁栄を、二礼二拍一礼で祈願。次に「祓いたまえ、清めたまえ」と唱えながら、建物の四隅にお神酒とお米、塩をまいてお清めです。そしてお神酒を口にして、最後にもう一度二礼二拍一礼。これで上棟の儀は終わり。

その後、棟梁が屋根の先に立ち、その真下に施主が来て、上からお神酒をかけます。これは珍しい風習ではないでしょうか。なんだか人柱にでもなったようで、建物と自分の身体が一体になったような不思議な気分です。

以上の儀式がすっかり終わってしまってから、台所でお供え物やもちまきの準備で忙しくしていた妻に「えー、終わっちゃったの!?」と言われてしまいました。こちらも初めてのことで何が何やら分からないうちに事が運んでいき、最初から近くにいた子供たちは見ていたものの、妻のことまでは思い至らず、気がつけば、いつのまにかもち撒きになっていたのです。で、妻はみんなの歓声を聞いて飛び出して来たというわけです。計画では、十数年後にもう一度、建前をするつもりなので、その時はこのようなことがないようにしたいです…。

屋根の上から

そして建前のお楽しみ、もち撒きの時間です。屋根の上には男しか登らないとか、人数は奇数で、とかいろいろあるようですが、気にしないことにしました(気がつけば、長男の友達まで登ってました)。建前の前日の夜、長男はうれしそうに友達の家に誘いの電話をかけまくっていて、ご近所の人たちにも、小屋づくりの説明の紙を渡しがてら、今日のもち撒きのことをお知らせしてまわったのです。当日は30〜40人ほど来てくれたでしょうか。屋根の上という非日常的な高さから、親しい人たちのたくさんの笑顔を眺めるなんて経験は、生まれて初めてです。きっとこれからもめったにないでしょう。

できるだけ万遍なくおもちが行き渡るよう、配慮しながら投げようと思うのですが、屋根の上の子どもたちが気前よくバラ撒くので、あっという間に残りわずかとなりました。「そっち行くよ!受け取って!」と、おもちを受け取る気持ちの準備をしてもらってから、思いっきり投げます。今年6歳になる次男が、まるで大昔の飛行機のパイロットのようにゴーグルをして屋根に上がってきました。残り20個程度になったおもちを渡して投げさせます。それも無くなると、妻が大きな声で「ありがとう〜!」とお礼を言い、家族全員と棟梁たちもそれに続きました。準備にかけた時間の長さに比べると、本当にあっという間にもち撒きは終了です。まるで夢のようでした。屋根の上にカメラを持ってあがらなかったことを悔やみましたが、それは、あの幸せな眺めを、道具にたよらずに、心の中に大切にとどめておけということなのかもしれません。

結局、30〜40人の人に来てもらったでしょうか。特に小学校の子どもたちが大勢いました。近所のおばあさんで、「家に帰って、もちの数を数えてみたら九個で縁起が悪いから、あともう一つくれし」という人もいました。別のおばあさんで、もち米を差し入れしてくれた人もいました。使ったものを補うという互助精神が自然にでてくるのですね。ありがたいです。

もち撒きが終わってお客さんと歓談しているうちに小雨が降ってくると、妻たちは食事の準備もあって母屋に入っていきました。軒先では、別のお客さんが焼き鳥の番をしてくれてます。けど、男たちと子どもたちはずっと小屋の中やそのまわりにいてお酒を呑んだり、遊んでました。貫を使った建物はハシゴのように登れるので、子どもにとっては格好の遊び場所です。若い職人さんに相手をしてもらって、ずっと小屋の中にいました。

そして宴は続く

6時もすぎて雨脚も強くなると、全員が母屋にはいって本格的な宴会のはじまりです。職人さんたちをねぎらう宴会のことを、直会(なおらい)といいます。この時でも、職人さんたちや近所の友達、妻の両親あわせて、20人弱ぐらいはいたでしょうか。

「建て前には駆け付けられないけれどみんな食べて」と秋田の材木商、加藤長光さんから送られた比内鶏の焼き鳥、気仙大工の菅野照夫さんから送られたカツオの刺身は、宴会の最高のごちそうとしてお膳を飾りました。ほかにも、ピザ、中華ちまき、次々と手づくりの料理が出されます。なんだか一日中、食べているようです。差し入れられたお酒も、徐々に封を切られていきます。

ご祝儀はこの時、渡しました。包む金額や誰と誰に渡すかなど悩ましいところなので、今回は親方にまとめて渡して、職人さんたちに分けてもらうことにしました。

8時頃になると、親方の娘さんもやってきました。うれしくなって照香さんが呼んだようです。締めの料理として、残った人みんなで妻が用意した中華ちまきの具を竹の皮に包み、せいろで蒸し上げて、食べました。

気がつけばもう9時。結局、4時頃から5時間ちかく飲み食いしていたことになります。お酒を呑まなかった照香さんが運転する車に乗って、みんな帰っていきました。最後までみな上機嫌で、長く、楽しい建前の一日でした。

直会の一こま。右上が新人大工の巾君。その下が照香さん。前列右端が親方の娘さん。




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