ぶらぶらと、蔵の街歩き
栃木商工会館で栃木の町が伝建地区の指定を受けるまでの話をたっぷり聴いたあと、参加メンバーの車に分乗して、小山高専のサテライト・キャンパスに向かいました。高専の学生さんの土壁のデモンストレーションを見学したあと、「赤」「青」「黄」「緑」の班に分かれ、班ごとに卯立の会のみなさんについていただいて、栃木の町を案内していただきました。
日の短くなった夕方、暮れなずんでいく巴波川に、おもむきのある街灯の灯りが映り、柳の葉がゆらゆらと揺れて、とてもきれいでした。橋をわたり、さらに奥に進むと、かつての栃木県庁舎があり、現在でもそれが栃木市役所の建物として使われてると聞いて、おどろきました。
小さな家具屋さん、雑貨屋さん、カフェなどが、表通りに面していないところにも点在しています。今なお古い建物がただ保存されているのではなく、生きた形で活用されている様子を見て、またそうした建物が、観光名所としてある通りにだけに集約しているのでなく、広がりや厚みをもって存在しているのが、とてもよかったです。
一年ぶりの出会いに
話は尽きず
街歩きのあと、サテライト・キャンパスの駐車場に再集合しお店の送迎バスに乗って、夕食会場「肉のふきあげ」に向かいました。向かい合わせのお膳がずらりと2列並び、代表の挨拶に引き続き、栃木総会の実行委員長の山本さんの発声により、乾杯をし、和やかに歓談しながら、一年ぶりの再会に花を咲かせました。
今回の総会の分科会のテーマは「木の家の温熱環境」。その前フリとして、街歩きに出かける時に、ものの表面温度を測ることのできる「放射温度計」が各班に渡されていました。街歩きでは、あたりが暗くなりかけていて寒かったのと、建物に見とれていたのとで、あまり活用されていなかった放射温度計ですが、この夕食会場に来て、にわかにいろいろなものを測り出す人が出てきました。
部屋の各部分にあててみることに始まり、ジュウジュウと音をたてて運ばれるステーキは80度、「熱いのでお気をつけて」と手渡される鉄板は130度。いちばん熱かったのは、白熱灯の電球で180度もありました。面白かったのは「酔うと赤くなる人の顔」の測定。「どうなるんだろうね〜」という話の流れで、お酒にあまり強くない人をつかまえて、ビールを一杯飲んでもらい、ビフォー&アフターを測ってみました。顔が赤くなるだけでなく、表面温度もあがるのだということが、よく分かりました。
夏の温熱環境調査の
結果をシェアする分科会
楽しい夕食会の後、宿泊先の栃木グランドホテルに移動するのですが、ゆっくり休めるわけではないのが、木の家ネットの恐ろしいところ。夜の9時から、分科会が始まります。
分科会では、その年にもっともホットな、扱うべき話題をテーマにします。3.11から一年半。前回の石巻での総会の後、被災地の復興のレポートや2回にわたる「原発はいらない」特集などをしてきた木の家ネット。家づくりを通して社会と関わるにあたって「エネルギー消費量をできるだけ抑える家づくり」を工夫することが、会員にとっての大きな関心事になっています。
工夫をするにはまず、自分たちがつくる家のエネルギー消費や温熱環境がどうなっているのかを「把握すること」が必要、ということで、2012年8月に、温熱環境調査を行いました。
一定期間の間に、10数名の会員が手がけた合計20数件の家に、会員の愛知産業大学の宇野勇治さん、日本工業大学の樋口佳樹さんの研究室の協力を得て借用した「データロガー」という機材を取り付け、温度湿度の自動計測しました。それに加えて、前述の「放射温度計」を会員に購入してもらっての表面温度の測定、生活実態を知るための温熱日誌シートの記入も実施しました。
分科会では、調査を実際に行った会員を囲む形で、4つの班が輪をつくり、とれたデータと家のつくり、断熱材のあるなし、冷暖房の方法などとの相関関係を類推するフリートークを行いました。
内容の報告にかわって、各班の班長からの感想をここにご紹介します。
木の家の温熱環境を考えるにあたって「木の家だから、とにかくいいんだ」ではもう通用しない、数値や根拠をもって説明しなければならない時代になってきたことを肌で感じています。この夏に木の家ネットで実施したように、自分たちで実際に木の家の温度や湿度を計測し、その結果を見ながら話し合い、よりよい工夫をするために知恵しぼることが、次世代のためのよりよい木の家づくりにつながると思います。
宇野勇治さんの感想
「木の家は昔からこうだった」というのが思い込みである場合もあります。「伝統的な家は開放的」とよく言われるのですが、日本の家はもともと壁だらけで、それが開放的になっていくのは、襖障子や明かり障子、雨戸などの建具が出てきてからです。その建具も、板戸からガラス戸、ぺアガラスへという変化を経て今に至っており、それに応じて間取りも変化しています。「伝統的な木の家では、断熱はしない」というのもひとつの思い込みで、茅葺民家のあの分厚い屋根は「超断熱」といってもいいでしょう。単純に「断熱」の是非を問うのではなく、どのような断熱手法が、安全で、健康的で、冬をあたたかくしつつも夏にワルさをしないのか、しっかり考えていきたいものです。
(宇野勇治/宇野総合計画事務所)
改正省エネ法
パブコメ直前攻略講座
温熱調査の報告以上に頭を使ったのが、分科会の半分以上の時間を費やした「改正省エネ法パブコメに向けての勉強会」でした。
ちょうど総会が開催されたのは、11/7締切で経産省と国交省とが共同で一ヶ月間募集していた「エネルギーの使用の合理化に関する 建築主等及び特定建築物の所有者の判断の基準案」についてのパブリックコメントの応募期間が始まった頃でした。これは、国が「改正省エネ法」の案として出しているもので、(1)外皮性能の向上=断熱材をしっかり施工する、窓などの開口部をなるべく小さくする(2)省エネ機器を取り付ける という2点を実践することで、家庭での一次エネルギー消費量を抑えようというものです。
こうした提案は、現代型がウスメーカー住宅ではそれが省エネにつながることなのかもしれませんが、伝統木造住宅における温熱環境のつくり方やエネルギーに対する姿勢とは、あまりなじまないのです。まず、(1)の外皮性能についていえば、土壁では断熱材の入りようがないですし、開口部は建具を開け閉てすることで調節しよう、かつ、軒や庇での日射遮蔽や、縁側などの緩衝地帯の存在で低エネルギーでの生活をまわす仕組みを用意しよう、というのが伝統木造の考え方だからです。そして、そのことによって、(2)でいう省エネ機器そのものをそもそも必要としない暮らしを実現しようとするものです。
では、外皮性能によらない、エネルギーを抑える手法として、何があるのか?ということを、みんなで、話し合いました。蓄熱性、調温調湿性、通風、家周囲の緑化や木蔭など、外皮性能では評価できない要素がたくさんあることが、確認されました。どの班のテーブルでも、はずんだ話はなかなか止まず、23時半頃に、会場の都合で、お開きとなりました。
古川保さんの感想
家の環境性能は断熱、気密、通風、蓄熱、輻射熱、日射遮蔽、調湿と複雑に絡みあっている。指導する方も、される方も、簡単な指針でわかりやすくと訴える。そうすると断熱が一番わかりやすいし、確認もしやすい。それで断熱を主体とした基準になる。分科会では、それでよいのだろうか?という議論が繰り広げられた。
現在、国に直接意見するパブリックコメントという制度がある。小さな声も聞いてくれる場合がある。私たち仲間は実務者が多いが学者さんもいる。指導書を作る人は学者さんが多くて実務者は少ない。感情論ではなく、理論武装して、私たちの意見を届けるパブリックコメント活用法の総会となった。
(古川保/古川設計室)
総会中の総会:
パブコメ攻略法のまとめと
鈴木祥之先生の講演会
総会二日目の朝は、朝食後、お昼前まで、大宴会場で木の家ネット第11回総会が開かれました。第11期会計報告と第12期予算案が承認され、新会員として埼玉県の蓮實和典さんが前に出て来て挨拶をしました。
その後、前の晩の班ごとにグループワークの成果の発表と、前の晩にはまとまりきらなかったパブコメ攻略法について、経産省と国交省で出している案の各項目ごとに整理してみました。11月7日の締切までに、750項目の意見が集まったそうです。詳しくは、木の家ネットからリンクしている、温熱環境調査のブログをご覧ください。
そして、11時半まで、伝統的構法の設計法構築および性能検証実験の検討委員会の鈴木祥之先生による講演会がありました。内容としては、検討委員会での成果として、9月にE-ディフェンスで行われた、実大震動台実験の報告と、検討委員会の3年の成果として、伝統的構法のための設計法の案のプレゼンテーションという、贅沢なものでした。手弁当で総会に出席くださり、貴重なお話をいただいた鈴木先生に、大きな拍手が送られました。
エクスカーション
油伝味噌から石灰の町葛生へ
小山工業高専サテライト・キャンパスで昼食をとった後は、エクスカーションの時間となりました。ホテルから油伝味噌さんまで、おもに嘉右衛門町通りをぶらぶらと歩いてゆきました。
通りに面して、何軒もの蔵作りの家が並んでいるのですが、いくつかの家では、その家のおひな様を1Fの表から見えるところに飾り「中にお入りください」と表示していました。
木の家ネットのメンバーが、その素晴らしい蔵づくりの家を外から眺めてあれこれ言い合っていると、おひな様の番をしていたらしいそこのご主人が、話の内容を聞きつけて、中から声をかけてきました。「あんたたち、大工さんたちだね? 私はもと材木屋だったんだよ。この梁、なんだか分かるかい?」
「米松さ!この町で初めて米松を使ったのが、この建物さ。けど、失敗だったね・・日本の気候に合わないっていうのかな〜」と、話がどんどん展開していきます。栃木の街並は、建物だけでなく、そこに住んでいる人たちが町を訪れる人に対して、誇りをもって、胸を張って自分の町を紹介する、そうした人の力によって成り立っているのだなということを感じさせられました。
このあと、油伝味噌さんで説明を聞いた後、バスに乗って、葛生町の石灰工場とフレスコ画美術館見学と、遠出をして、また油伝味噌に戻り、美味しい味噌田楽をおやつにいただいて、解散となりました。
来年の総会は、三重・奈良・和歌山の県境、紀伊半島の根元あたりで開催の予定です。みなさま、どうぞお楽しみに!また来年、会いましょう。