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木の家ネット第9期総会・熊本大会の報告


地震調査で伝統構法の良さを確信した
北原先生の講演会

総会中の総会の終了後、同じ会場で、熊本県立大学・環境共生学部教授の北原昭男先生が『伝統的構法による木造建物の耐震性』〜鳥取県西部地震から伝統構法の良さを知る〜と題した講演会をしてくださった。

平成12年に起きた鳥取県西部地震は、震度6強を記録。阪神・淡路大震災を引き起こした、平成7年兵庫県南部地震に匹敵する地震エネルギーである。それなのに死者は一人もいない。兵庫と比べ全壊の割合が少ないのも特徴の一つ。震源地が山間部であったこと、市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、そして地盤が比較的強固であったことなどがその理由とされるが「それを割り引いて考えたとしても、被害が少なかったのは伝統構法の民家が多いからではないか」と北原先生は鳥取での調査をもとに仮説を立てたという。

墓石のずれかた、半壊した民家の壊れ方など、写真を見ながらのリアルなレクチャー。伝統構法の火を消さないための助っ人がまた一人現れたような、勇気づけられる講演会であった。しかし一方で、十分、伝統構法で修復できるのに、現代の耐震診断ではそのようには判断しないこと、建て替えのための補助金が出る政策などが絡み合って、修復可能な民家が次々と壊され、まちなみが激変していったという後日譚もあり、伝統構法のまちなみを守るために必要なことは何か、あらためて考えさせられもした。

充実した内容の講演で、あっという間に昼食の時間に。別室に用意されたお弁当をいただき、午後のオプションツアーに備えた。

「勇気ある一人の人間」のすごさを
実感したジェーンズ邸

総会二日目の午後は、これも総会終了後恒例のオプションツアー。地元のつくり手が案内する地元の名建築や、つくり手が設計や施工をした現場やお宅を訪れる、楽しいひと時がはじまった。

宿舎近くの水前寺公園には、戦国時代の京都に建てられ、大正時代に細川家によって熊本に移築された、茅葺きの「古今伝授の間」がある。残念ながら、21年の5月より始まった修復工事中のため、見学できなかったが、熊本城本丸御殿の修復について講演いただいた西島真理子さんが設計監理しているので、再生予定地の養生囲いの外でご本人からお話をうかがうことができた。解体保存してあった際の環境の悪さによる古い柱のシロアリ被害、その古い柱をどう活かすかなどについて、興味深いお話の数々。完成が楽しみだ。

水前寺公園を通りぬけて10分ほど歩くと、熊本洋学校教師館ジェーンズ邸に到着。このコロニアル風の建物、どこかで見た建物に似ている。そう、長崎のグラバー邸。明治4年に外国人教師ジェーンズを招くために、大工も長崎から招聘して建設。その後、この建物は数奇な運命を辿ることになる。

熊本洋学校は、明治9年にわずか5年間で廃校となり、明治10年の西南戦争時、征討大総督である有栖川宮熾仁(たるひと)親王の宿所となる。そこへ訪ねてきたのが博愛社の設立に奔走した佐野常民。西南戦争で負傷兵が続出すると、佐野は、敵味方なく看護する「博愛社」を設立すべく政府に請願するが許可されず。そこで、ここに熾仁親王を訪ね、ようやく許可を受ける。これが今の日本赤十字社の前身となったのだ。

佐賀の七賢人に数えられる佐野常民は、郷士の五男として生まれ藩医佐野家の養子となった。特別な家柄でもなく裕福でもないが志の高い人。その勇気が、数多くの負傷兵の命を救った。「勇気ある一人の人間が多数派を創り出す。」初めて庶民からアメリカ大統領となったアンドリュー・ジャクソンの言葉が頭をよぎる。伝統構法の火を消さないためには…と考えさせられた見学であった。

石場建て・足固め構法の
新築住宅の見学会

古川さん設計の石場建て・足固め構法の新築住宅を平屋と二階屋の2軒を見学。いずれも熊本県小国杉と土壁の家で、床下があいていて通風がよくシロアリや腐蝕被害な起きないこと、軒の出がたっぷりとあって夏の陽射しをさえぎることができ、猛暑の熊本でもしのぎやすいのが特徴。

古川さん設計の石場建て・足固め構法の家

限界耐力計算法で建築確認申請手続きをしたエピソードや、伝統構法と相容れない関係諸法を、設計上どのように工夫しているか、など具体的な取り組みが説明された。最初に見学した平屋建ての家では、お施主さんが自邸をとても誇りに思っていらっしゃるのが伝わってくるのが、次に訪れた二階建ての家では見慣れぬ大勢の見学者をはにかみながら出迎えてくれた元気なお子さんたちが、印象的であった。

次回の開催地、鎌倉での再会を誓い、参加者のほとんどは全国各地へと帰還。それでもなお、熊本の地に残ったメンバー数名は、九州メンバーとともに、日奈久温泉へとアフター総会へと旅立っていった。

(杉岡製材 杉岡世邦)

「温泉はよい、ほんとうによい」
海もよし、山もよし、開湯600年の日奈久温泉へ

総会が日曜日の午後に解散した後、総会参加者3名と九州スタッフ5名とで、今年で開湯600年を迎えた八代の日奈久温泉で、ゆっくりとアフター総会の一夜を過ごした。

日奈久は、熊本市内から南へ約50km、八代市の中心部から約10kmに位置する熊本でも最も古いと言われる温泉街。現在泉源が16、泉源深度は地下100m以内と浅く、湯量が豊富で温泉宿のほとんどが「かけ流し」。冬季には特産の晩白柚(ばんぺいゆ)風呂が楽しめる。詩人、種田山頭火にもゆかりがある。昭和5年、この地に滞在した山頭火は『温泉はよい ほんとうによい、ここは山もよし 海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが…』と詠ったそうだ。詳しくはこちらで!

木造3階建ての旅館が並ぶまちなみ
有形文化財 金波楼に泊まる

日奈久温泉の特徴はなんといっても、明治後期から昭和初期にかけてつくられた、木造3階建ての温泉旅館群。ただし、都市計画法で熊本県でも、たった2箇所しかない防火地域に指定されている為、木造の外壁の修理がしづらく、この歴史ある温泉街を残していきがたい状況にある。自国の建築文化を残していこうとすると自国の法律が立ちはだかるとは…。恐るべし建築基準法!!

日奈久の街並でもひときわ立派なのが、2009年の7月に国の有形文化財に指定されたばかりの旅館金波楼。創業1910(明治43)年で、日奈久でもは最も規模の大きい木造3階建て。正面は創業当時の建物のままである。私自身も日奈久の事業に参加させていただく関係で、年に2回位は立ち寄らせてもらっている、お気に入りの建物で、当然、本日の私達の宿となる。

金波楼

日奈久の町をぶらり
古きよきものを訪ねる

到着した時刻も遅かったので、すぐに地元食材を生かした夕食に舌鼓を打つ。その後温泉を満喫し、座談会。前日からの疲れもあり、早めの就寝となった。翌朝、温泉と朝食の後、丁度修繕中の木造2階建て80帖の大広間棟を見学させて頂いた。床框が高田焼き(磁器)で出来ている事や床柱の大きさにびっくり。修繕中の工事内容には色々な意見が飛び交った。

修繕中の大広間

小雨日和の中、日奈久の木造3階建て等を中心に町歩き。種田山頭火が滞在した織屋旅館、当時氷を備蓄していたレンガ倉庫などを見学。さすが、プロ。洋小屋の小屋組が何故、短辺方向でなく長辺方向に組まれているか、謎解き議論に花が咲く。ほか、古川さんに調査をしているJAの築80年の木造倉庫、松の湯などにも立寄り、この日奈久の地の古き良きものを目にとめ、命を吹き込んでいただきながら、日奈久を後に。

石場建ての家と
古民家再生の家を見学

そして、日奈久からさらに北へ車で約40分、宇城市小川町へ。八代の大工、梅田忠臣さんが15年前に、足固め差し鴨居で造られた土壁の家を2軒見学。足元は完全にフリーの石場建てだが、当時は建築指導課に理解者がいて、確認申請も普通に通っていたそうだ。2軒目のお宅では小屋裏まで登って見学。住まい手の方が細かく記録されていた写真も見せていただき、感心することしきり。

最後に訪れたのは、福岡の宮本繁雄さんが5年前に再生設計をした、築180年の古民家。突然の訪問にもかかわらず快く迎えて頂いた。庭つくりから、外観、内観に至るまで昔の趣を残しながら、おしゃれで斬新なデザインが随所に光る、すばらしいお宅。私自身も大変勉強になり、感謝の気持ちでいっぱいになった。気付けば外はもう夕暮れ、充実した一日を送り、三日間行動をともにした仲間と別れ、それぞれの帰路に着いた。

(土壁の家工房 田口太)

職人がつくる木の家ネット 第九期総会 熊本大会スタッフ
杉岡製材所 杉岡世邦さん土公建築・環境設計室 土公 純一さん(有)建築工房 悠山想 宮本 繁雄さん有限会社 夢木香(ゆめきこう) 松尾進さん大工 池上 池上算規さん(有)川野組・(有)川野組一級建築士事務所 川野和男さん梅田建築 梅田忠臣さん有限会社FU設計 梅田彰さんすまい塾古川設計室(有) 古川保さん土壁の家工房 (有)田口技研 田口太さん



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熊本城南大手門での記念撮影。全国から集まったつくり手たちは、みんな笑顔。