山口県岩国市。地元の材木を自らストックし丁寧に木の家を建てている大工がいる。久良工務店一級建築士事務所の久良大作(くろうだいさく)さんがその人だ。 大工が直面している問題や、人との繋がり、現代社会の事まで、深く話をしてもらった。

自分が欲しい木は自分で集める
まず案内されたのは、岩国からほど近い広島県大竹市にある作業場。到着するとまず目に飛び込んでくるのは、敷地一面の材木だ。先に触れた通り、久良さんは丸太を自ら地元の市場で買い求め、製材・乾燥させながらストックしており、現場で使う材木は基本的に全てここから運んで使っている。木々の間を歩きながら、その理由について語ってくれた。
「この辺りでは乾燥までして在庫している材木屋さんがないんです。乾燥した状態の欲しい木をくれるというのが本来の材木屋というものだと思いますが、高温乾燥やプレカットが主流になった今では難しくなっている。自然乾燥のいい木を使うためには自ら集めざるを得ないんです。」

15年前にここを借りたときは敷地を持て余していたが、現在では150立米くらいの材木がある。大きさにもよるが住宅2〜3棟はまかなえるだけの量はあるとのこと。
リスクがあっても
地元の木を多く使ってやりたい
しかし、使うかどうかわからない材木をストックしておくことはリスクでもある。
「確かにリスクだけど、地元の木を地元でなるべく多く使ってやりたい。そのためには赤身も白太も節も、使い分けてトータルで全部使ってやらないとダメ。それを実現しようと思うと、どうしても原木から買って、自分で使いたい寸法で挽いて使うというやり方になってしまうんです。」
地元の木・山・地域に対する想いがあるからこそリスクを承知でストックしているのだ。しかしもちろんそれだけでは仕事にならない。リスクだけではなくメリットもあるという。それは自分の「欲しい木」や「使いたい状態の木」を比較的安価で手に入れられるということだ。

「戦後すぐに植樹されたような大きい木もあるのに、使う人がいないので市場にあまり出回っていない。場合によっては、他の木と同様にブツブツ切られて集成材にされたり、チップにされたり、合板にされたりしているのかもしれない。逆に出回っていても、市場では“一品もの”として扱われ、言い値の高いものになってしまうので手を出しにくい。そういうことを踏まえると、私の場合は自分で丸太を買って挽くというやり方に行き着いたんです。こんな大きい木も使い手がいなので山にたくさん眠っているんじゃないかな?」
他にも気になる材木を順番に見せてもらった。

こちらは解体した家の木。もったいないので取ってある。使えるのはせいぜい50本に1本くらいとのこと。
「その昔“一般的な住宅”には曲がった木を使うことが一般的だったんですが、“高級住宅”ではもっと手間暇のかかる“手で四角く挽いた木”が好んで使われていました。今では機械で製材して規格寸法で建てていくのが一般的。安くて効率的なので、“一般的な住宅”には“四角く製材された木”が使われ、逆に“高級住宅”では“曲がった木”が使われるようなケースも多いかもしれない。」
技術・環境・社会背景などが影響しあい、時代によって物事の価値がガラリと変わる。

「これだけ育つのに100年とかかかっているのにふざけんなってくらい安いんです。ありがたいことなんだけどね。だから大きい木を見るとカミさんにブーブー言われながらもつい買ってしまうんだよね。」と複雑な笑顔で語る。


写真左:芯去りの柱 この辺りではなかなか売っていないし、あってもかなり高価になる。自分で丸太を買って製材する手間を惜しまなければ、欲しいものを安価で手に入れられる。
写真右:看板を下ろす材木屋から何十年も在庫していたものを「引き取って欲しい」と頼まれたものもある。


写真左:3月に製材したばかりの木。これから一年以上かけて乾燥する。
写真右:広葉樹 「構造材としては使わないけど、木が好きだったら断然面白いので欲しくなってしまう。趣味の世界です。」

自分が建てているような家を
求めてくれる人はゼロではない
次に、実際に材木の加工に使われている機械を見せてもらうため作業場の中へ。機械は全て中古で購入したとのこと。
「大工が辞めていっている状況なので、市場にはこういった機械が多く出回っている。世間の流れに逆行していることをやっていながら、逆に恩恵を被っている部分です。周囲がプレカットに移っていった頃に、自分は手刻みで仕事を始めたので、時期的にもよかったのかもしれない。」

「これは戦略的にも大事なことで、ハウスメーカーが万人に向けて家を建てている中、自分が建てているような家を求めてくれる人はゼロではない。100人に1人でも1000人に1人でも、こっちを向いてくれる人がいれば、生きていけるので。」
時代の変化をピンチととらえるか、チャンスととらえるか。時代との向き合い方を考えさせられる言葉だ。

二人のお弟子さんとのやりとり。緊張感の中にも和んだ空気を感じる。心地よい人間関係なのだろう。

沖本さん(写真左)は今の現場を最後に独立の予定。
「うちにいる間はよそではできないことを経験してもらいたい。それが将来何かの役に立てばいいかな。状況が変わればやり方も変わるので、どう生きていくかは各個人が見つけていくしかない。」と久良さん

沖本さんの手道具。
久良さんから譲ってもらったものとリサイクルショップで500円ほどで買ったもの。大工が手放したと思われる掘り出しものもあるという。

いいものを作りたいという
想いはみんな一緒
作業場を後にし、車で30分ほど走った岩国市内にある新築の現場へ同行させてもらった。当初の予定では、元々建っていた江戸後期の建物を引き継いでいきたいという施主さんの想いもあり、改築の予定だったが、最終的には新築で建てることに。二世帯で広々と暮らすことのできる平屋の家だ。特徴は、通し柱を使わない「渡り腮(わたりあご)構法」で建てられていること。設計は丹呉明恭建築設計事務所。渡り腮(わたりあご)構法をシステム化して理論づけたご本人が設計にあたっている。大工塾の先生としても有名で、久良さんが見習い時代に学んだ先生でもある。

通し柱を使わず「渡り腮(わたりあご)構法」で組み上げられている。梁は元々の家に使われていたものだ。
この家を建てるにあたって、久良さんは施主さんに対してある条件をつけた。それは「丹呉さんに設計してもらうのなら自分が建てる」ということ。大工から設計士に依頼するというのは稀なケースだと思うが、その理由をうかがった。
「丹呉さんの設計はシンプル。変にデザインしていない。極めて基本に忠実に構造から考えていて、ごく普通の家なんですよ。なので大工としても無理がない。私もシンプルな家を作りたいという想いがあるので、丹呉さんにお願いした。」

信頼の置ける設計士さんと一緒に家づくりをスタートすることで、設計段階から施主・大工・設計士のそれぞれの想いを伝え合ってコマを進められることができ、三者間のストレスを極力なくすことができるということだ。もちろん、限られた予算の中でそれぞれが実現したいことや考え方は違うのでストレスがゼロというわけではない。
「どうしても譲れない部分もあります。しかし、それ以外は臨機応変に対応しています。やっぱりいいものを作りたいという想いはみんな一緒なので。お互いに話を聞いて、それぞれがそんなに無理することなくバランスを取って進められるのが理想ですね。」
関係する人と人とでしっかり話をする。その中で一番バランスの取れた方法で建てていく。当たり前のようでなかなかできないことでもある。

使用している材木はもちろん自らストックしてあったもの。


耐力壁を筋交いではなく土壁だけで作っているのも特徴だ。

木で出来ることは木でやりたい
見学中、足元に広がる釘打ちされた下地が目に止まった。一般的には合板を張るところだが、杉の足場板を釘で打っている。この上に張る床板も同じく杉の足場板で厚みは30mmにするという。石油系の断熱材の使用を避けたいという思いがあり、代わりに空気を多く含んでいる杉材を厚めに使うことで、ある程度の断熱性能を持たせられる上、強度の向上も期待できる。
「こういった並材をたくさん使いたいです。木で出来ることは木でやりたいんです。この家を建てるにあたって、地元の杉の足場板を1000枚買いました。それを1/3ずつ、割れやすい心材は下地に、源平は天井に、赤身の部分は床に使っています。ボリュームが大きいとその中で材料と使う場所を吟味できるのがメリットです。」

天井にも足場板が使われている。
釘打ちの跡が印象的だったので、ちょうど久良さんのブログで釘とビスの使い分けの話を読んでいたこともあり、釘についてのお話もうかがった。
「単に懐古主義ということではなく、明らかに釘の方がいい場合は釘を使います。ビスが適していればビスを使います。今の文明の恩恵も受けているので、そこを否定するつもりはありません。家自体も全てその辺りのバランスが重要だと思います。」
「釘の話もそうですが、必ずしも『伝統工法でないといけない』とは思っていません。理屈ぬきの自分の感性として『これは嫌だな』『これはいけない』と思うことは正直にやらないようにしています。そうやっていたら、たまたま伝統工法に近いような立ち位置に居るのかなと感じています。」

少しでも良くして次世代にバトンを
では、久良さんにとっての『嫌なこと』『いけないこと』とは何なのか。
「改築を多くやってきたので、『直せないもの・捨てる時に困るものは作りたくない。』と身を以て感じています。なので自分が建てたものが、将来手を入れたり改築したりすることになった時に、未来の大工に『うわー』と思われるようなものは残したくない。その想いから石膏ボードだけは使わないようにしています。買うより捨てる方が高いなんて、そんなバカな話はないですよ。」
「次世代にツケを回すというのは格好よくない。少なくとも今の現状維持、できれば少しでも良くして次世代にバトンを繋いでいきたい。人に尻を拭ってもらうような仕事はしたくないですから。」
体験に基づいた納得の話だ。
全てはバランスだと思う
改築の現場で昔の大工の仕事ぶりを学び、自分が手がけたものは、なるべく良い状態で次世代へと繋いでいきたい……そんな心意気で仕事に打ち込む久良さん。建築から少し視野を広げて現代人の抱える『アンバランスさ』について語ってもらった。
「世の中のシステム・市場などにあまりにも依存して生活していることの危うさを感じています。仮にそこが崩れたり変化しても自分で生きられるように、できるだけ自分の周辺だけでも仕事や生活を回せるようにしておきたい。あまり“便利な外注”に頼ってばかりいると戻れなくなる。もちろん世の中のシステムの恩恵も受けているけど、全てをまかなうつもりはない。その狭間でのせめぎ合いです。バランスをとってやってきたところが今の自分の立ち位置です。」
8年前の震災の時、物流が滞り、多くの現場が一時的にストップしたが、久良さんの仕事にはほとんど影響がなかったという。
「何も起こらなければいいですが、いざ何かあった時に困らないよう、“何とかなるくらいのもの”は確保しておきたいし、手放したくない。人の繋がりも同じで、自分の周辺で信頼関係を築いておけば、その中で廻っていくものです。自分は日本中から完璧なものを探し求めるより、60点〜70点のものでもいいから身近なところを頼りたいと考えています。5年先10年先のわからないこの時代、変化の波に足元を掬われないためにも、何かに依存し過ぎることなくバランスをとって生きていくことが、特に大事な気がします。その選択肢の一つとして私のやっているような家の建て方がある。『大手に頼らなくても家なんてできるんだよ』と伝えたいですね。」
力強いメッセージだ。
取材を終えた後「よかったらどうですか」と自宅に招いていただいた。お茶を運んできてくれた奥さんから一言「いつもこうなんです。突然人を連れてくるんですよ。」と苦笑い。聞くと、久良さんは必ず一度はお客さん(施主さん)を自宅に連れてくるようにしているとのこと。
「自分の一番だらしない部分を見てもらって、『それでもいい』と思ってくれる人とは、良い関係を築けると思うんだよね。」

この日一番の笑顔だ。
久良さんの家づくりは、材料の選択・技術や工法の選択・人と人との関係など、あらゆる場面で「安いから」「早いから」ではなく、どうバランスをとるか、どこで折り合いをつけるのが最善なのかを判断しながら進められている。一見抽象的に思われる、この方法を実現できるのは、長年の経験や深い知見、さらには自身の根底に「美学」や「判断基準」のブレない芯が通っているからだろう。
久良さんに家づくりを頼む人が絶えないのは「素材がどうであるか」「工法がどうであるか」以上に、久良大作という人物に深い共感を覚えるからだと強く感じた。
取材・執筆・写真:岡野康史(OKAY DESIGNING)