里山循環大工
「そのへんにあるもの」で作る!
鳥が巣作りするのと一緒で、もともと、家づくりの材料は、育てたり、取って来たり、もらってきたりするもので、お金はほとんど介在しないで調達してた。家づくりを「暮らし」寄りにしていくには、大雑把にいえば、家を、身近な「そのへんにある」材料で「そのへんにいる人たちと」作ればいいんだと思ってます。
「そのへんにある」の「そのへん」というのは、いわば「里山」です。人が住んでいる家があり、裏に山があり、竹薮があり、おもてには田んぼや畑。川や用水路。そこに、時の流れ、春夏秋冬の自然の移り変わりと、それに応じた人の営みがあって、里山の環境ができています。
裏山には、20年サイクルぐらいで伐って薪や炭にしたり、落ち葉を拾って畑に入れてた雑木林、孫子の代で家を普請をするために、スギやヒノキやマツの植林。竹薮には毎年、青い竹がぐんぐん伸びて、秋に伐れば、土壁の下地にする割竹や、生け垣、畑の支柱、竹細工などの材料になります。畑や家に必要な材料は「そのへん」にある。
水を湛えた田んぼでは、春先から主食になるお米づくり。その副産物として出る藁は、土壁にまぜこんだり、堆肥にしたり、むしろや蓑笠にもしてました。土壁に使う土も、家の基礎に使っていた石も「そのへん」に。そんな具合に、です。
「そのへんにあるもの」で作った家は、住まなくなれば、次に誰かがつくる家の柱や梁に古材として使うこともできるし、使い切れなかったら薪になる。土はそのまま地面に返してもいいし、古土をまぜて塗り壁の土に使ってもいい。あとに残る「廃ゴミ」は、なにもない。きれいさっぱり、使うか、土に還るか。そんな循環が、ちゃんとあるんです。
「里山循環大工」として生きたい
三重あたりにはね、まだまだ、そんな里山環境が残っています。だから、家づくりに使う材料をなるべく里山循環の中で調達することを通して、家づくりを自分たちの手に取り戻していけると思ってます。全部はできなくも、できるところだけでもね、やってみると、まったく変わってきますよ。
竹薮なんか、手が入らなくて荒れているところってたくさんあるでしょ? 土壁の下地にするから、竹薮の竹を伐る、となれば、一軒の家ですごい本数、要るわけですよ。それを「安いから」「面倒だから」と中国製の竹を買ってしまえば、荒れ放題の竹薮はそのまま。それを「自分たちで身体を動かして、近くで調達」すれば、竹薮は健全な状態になる。竹も手に入る。いいことずくめですよ。そんな「里山循環」の中の大工でありたい!です。
そうやって身体を動かすことを「タイム・イズ・マネー」と時給に換算して「割に合わないなあ」なんて思ったりしちゃ、いけないんです。そうやって換算した途端に尺度が経済行為寄りになって、結果、里山の循環は断たれるし、家づくりは自分たちの手から遠のいていってしまうんです。割が合わなくて、いいんです。
一人でやらない。
「結い」でやる。
家づくりが「一人ではできないこと」っていうのは、いいことなんですよ。刻み加工など、基本は大工だけでコツコツやる時期と、建前など大工同士が仲間を呼んでワッとかかる時期があり、また、大工や左官だけでなく、施主や施主の家族、友達を含めてやれる作業もあります。
「結い」とは、田植え、稲刈り、屋根葺きなど、ある一時に大きな労力を必要とする生活の営みを、共同作業をおこなうことを言います。里山の暮らしのいろいろは「結い」でまかなわれてました。
大勢で、みんなでやれるところは、なるべく経済原理でなく、この「結い」でやる。これが、本来の、楽しい家づくりを取り戻せる「チャンス」なんです。建てる人が、みんなに手伝ってもらえるところは、どんどん「結い」で、楽しくやってこうよ!そんな感じで、やってます。
「結い」は、お金に換算しない
おいしいご飯さえあれば!
「結い」の作業は「一人でずーっと」とか「いつも」とかやってたら苦痛になるような、単純作業が多いです。たま〜にやるから、みんなで一気呵成にやってしまうから、一日二日で、楽しく終われる。自分のところも手伝ってもらったから、今度は向こうでもやろう、楽しそうだから行ってみよう、そんな感じに人が集まります。
で、職人が日当をもらうのは別として、「結い」作業に集まってくる人には、お金は発生させません。「人件費」換算しない。おいしいご飯だけでいいんです。心のこもった、おいしいご飯を、建て主が振る舞ったり、みんなからも持ち寄ったりしてね。みんなで身体動かして、作業が進んで、美味しいもの食べて。ものすごく豊かな気持ちになれますよ。
本来、材料調達とか、結いの作業を人に頼むとかは、家を建てる人が音頭をとることでしたが、今はどうやって家づくりを進めていけばいいか、分からなくなっている。だから、建て主さんに、やること、できること、やり方を教えたり、かわりに段取りをしたり、という「手配師」みたいなことをしてますね。いわば、イベントのプロデューサーみたいなものかな。
材料を調達する、土壁の土をつくる、竹小舞を編む、荒壁を塗る、野地板を張る・・など、ひとつひとつをとってみれば、建て主さんにも、声がかかって集まってくる誰にでもできる、そうむずかしくない作業って、家づくりには意外とたくさん、あるんです。味噌づくりだって、やってみれば簡単なこと。誰でも仕込める。それと同じです。そこをほんのちょっと、リードしてあげています。
里山循環の家づくりでの「結い」作業ギャラリー
柿渋塗り
耐水、防腐のために、材木に、青い柿を発酵させた「柿渋」を塗ります。
竹伐り
えつりの竹小舞を編む材料となる割竹を作ります。竹を鉈で伐って、枝を落とし、軽トラで運び出します。作業場に戻って、専門の道具で割ります。黒田さんの家一軒でも、2000本の割竹が要りました。
壁土づくり
土と藁を水を混ぜ合わせて、現場に作ったブルーシートのプールに寝かせて発酵させます。素足で踏むのが気持ちいいのです。東海地方には泥コン屋さんという土をつくる業者がいるので、調達しやすいです。
えつり
塗り壁をつける下地として、竹小舞という格子を作ります。縦に桟が入っている状態の向こうとこちらで縄を行ったり来たりさせて編み上げます。(「えつり」は、主に東海地方で「竹小舞」を意味する方言。同じ三重でも伊勢市のほうでは「しだて」と呼んだりします)
荒壁塗り
えつりができたところに、壁土をつけていきます。
三和土土間づくり
土とにがりと消石灰を混ぜ合わせた土を塗って、搗き固めます。
ヨイトマケ
家の基礎には、今であれば、コンクリートを打ちますが、昔は、地面を叩き締めて地固めをし、石を据えて、そこに柱を建てる「石場建て」が普通でした。今でも、石場建てをする時には、石を据えるところの地面を、櫓を組んでロープで吊って振り上げた丸太を落として、搗き固めます。美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」にもありましたね。
古老に歌詞を教えてもらい、時に替え歌なんかにもしながら、歌っています。
仲間が居るから。みんなでわっと。
木の家ネットでいえば、同じ三重県内の増田拓史さん(muku建築舎)、高橋一浩さん(株式会社 木神楽)、静岡の北山一幸さん(大工北山)、同じ「里山循環大工」のやり方でやっている仲間がいます。そして左官の小山将さんも。お互いに日程を都合しあい、材料や人を融通し合いながら、施主さんともども、「結い」で、やっています。
脈絡があるような、ないような、漠然と思っていることですが、電力自給にしても「各家庭で独立電源」するところから、だんだんに「地域の小さなグリッドでのエネルギー自給」を考えるのがいいのかなとも思ってます。「結い」的な感じの延長でね。
今、いいな、と思ってるのが「適正技術」という考え方です。これも石岡敬三さんに教わったのですが、国際NGOとかがいわゆる開発途上国とよばれる国でそのコミュニティーの技術向上に携わる時のあり方として言われることなんですけどね。
- コミュニティーの多くの人が必要としている
- 持続可能性を考慮した原材料、資本、労働力を用いる
- コミュニティーの中で所有、制御、稼働、 持続が可能である
- 人々のスキルや威厳を向上させることができる
- 人々と環境に非暴力的である
- 社会的、経済的、環境的に持続可能である
「里山循環の中にある家づくり」って、まさに、この「適正技術」なんじゃないか!と思います。家づくりでも、エネルギーでも、食べものでもこの考えの延長線上で、コミュニティーベースでの自給ができていくと、楽しいですよね。
話を聞いて:「結い」の可能性
聞き手
持留 ヨハナ(職人がつくる木の家ネット事務局)
「よいとまけ」に参加させてもらって、みんなで声を出しながら、ロープを引っ張って、ドスン!とおろして、ほんとに楽しかったです!こんな風にして、田んぼにしても、家づくりにしても、共同作業でやっていたのかなあ・・と。機械のない時代には、何でも人力でやっていたわけだけれど、そういった大仕事にあたって、一人や二人では発揮され得ない「結いのパワー」がスパークしていて、だからこそ、人力で出来ていたんだろうな、
「大きなもの、お金の力になるべく頼らず」生きていこうとする時、「大きなもの」や「お金」のかわりになるのが、「里山の循環」や「結いで動ける人とのつながり」なんだなと、池山さんの話を聞きながら、思いました。