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工務店・眞澤忠男さん(眞澤工務店):私の「忘れ鑿(のみ)ありき」


今は仕事の9割が住宅

社寺と住宅とが半々だった親父の時代とはうってかわって、今では、仕事の9割は住宅です。親父の代からごく最近までは「前から頼んでいたから」ということで、何十年かにいっぺんというサイクルで、決まったお寺から改修や普請の仕事が来たものです。社寺の改修や改築には、多額な費用がかかります。それを檀家の寄付でまかなうので、話が起き始めてから決まるまでに10年かかることもざらです。ですから、いよいよダメだ!という状況になる前に、古い、直さなきゃならないようなお寺には、早くから総代長、役員などを通してゆっくり、ゆっくり話をしていく。それがお寺と棟梁との代々のつきあいというものでした。

ところが最近は、模型を作って提案しに行っても、まったく地元でない、遠方の社寺専門の大きな工務店に改修仕事をもっていかれてしまうケースが出てきています。どこかのお寺の建て替えを、有名な社寺建築の工務店が手がけたというような話を聞いて、住職が決めてしまったりね。地縁での信頼関係を飛び越えて、いろいろな情報をつかまえて、のっかっていってしまう。そういうことが頻繁に起きています。仕事を取れないことの悔しさもありますが、それ以上に、あまりにも無節操になっていくと、その地方独特の建築の地域性が失われていってしまうのではないかと、危惧しています。

模型に触れて、修復にとりかかる蔵の施工の段取りを考える。「模型は手で触れないとね。だから、木で、ある程度の大きさで作ります」と眞澤さん。大きな手だ。

小林一元さんの設計とのコラボレーション

で、仕事の9割を締める、伝統的な工法による住宅づくりですが、木の家ネットに参加しているこの地域の工務店だということで頼まれることも結構ありますよ。建てた家を見た方からの注文というケースがとても多く、顔の見える関係の大切さを感じています。

住宅は法律とのからみや、奥様に使いやすいようにさまざまな条件をまとめていくという点からも、設計士さんを入れることも多いです。建築セミナーで知り合った、同じ木の家ネットの小林一元さんと組むことが多いです。秩父、川越などまでも含めて、一元さんに来た仕事の施工を頼まれたり、うちに来た仕事をお願いしたり、いいコンビでやっています。半年もかけてお施主さんと打ち合わせを重ねても決まらなかった間取りが、一元さんに入ってもらって一発で決まったこともあります。さすがだな、と思います。

家族の歴史と長くつきあう仕事

ご家族の歴史とおつきあいするのが、私どもの仕事だと思っていますので、新築した後だけでなく、時々は顔を出して、住み具合に不都合がないか、お伺いするようにしています。ご家族で気になっているところに手を入れ続けていった結果、お施主さんが30代の頃から60代の頃にかけてリフォームを通算8回させていただいた家もあります。板壁の塗膜がはげたのを塗り直したり、破風を直したり、細かいことですけれどね。

必要以上のこと、余計なことはやらないという姿勢も、信頼関係が続くひとつの要因になります。あるお宅の離れを建てた後、そのお宅のお隣の大工さんが建てた母屋もそっくり建て替えたいと相談を受けたのですが「まだ十分に使える家なんだから、住み続けてあげてください。不便なところは、直しに行きますから」と、言ったこともありました。結果的には、手直しで十分、ご家族のご要望はかないました。長く続くご家族との出会いやおつきあいは、この仕事をしていていちばんの宝ですね。

川の堤の桜並木のすぐそばにある長谷川邸。小林一元さんに設計を依頼した最初の物件。
オープンでありながら、それぞれの場所では落ち着いて過ごせるような間取り。「一元さんが整理をしてくれたおかげで、すっきりとできあがりました」と眞澤さん。
太い梁が二重にかかる1階の中心部。安定感はあるが、重苦しさはない。流紋のような板目が美しい。

時を経て本当のことが分かる

つくり手が早く効率よくこなすことのためにではなく、お施主さんが長く住み継げるような家づくりをすればいい。そう考えれば、顔の見える関係を大切にした長いおつきあい、新建材でなく木を活かしたつくり方に自然となってきます。住宅でも社寺でも、技術の基本は変わらない。気がついてみれば、なんということはない、私が修業していた頃と同じなんですよ。高度経済成長期以降の経済性優先の家づくりを、その登場の頃からボロが見えてくる時代までを、通して見てきたことで、目が覚めたのですね。

常に新しいものを志向し、発展しつづけることをよしとしてきた親父の時代には、分かり得なかったことかもしれません。昔からの木を活かす建築技術をしっかりもっていた親父のもとで、修業できたことが、今、本当に役立っています。いろいろなご縁に恵まれて本場の社寺建築に触れたことが、自分の糧にもなっています。種まきしていただいたことが、実って、今がある。ありがたいことです。

ひとまわり違いの弟さんの幸雄さんとは、ずっと一緒に仕事をしてきている。

伝統的な工法は続いていく
そのために必要なこと

今後も伝統的な工法は生き続けていくと私は信じています。ちゃんとしたものを残したいという思いが続いていけば。人間は経済効率優先で目先の利益を得ることだけを求めていては、やはりつまらなくなると思うんです。高度経済成長期には、人々は経済性優先で夢中になってはたらいてきました。しかし、これからの時代は、そうした流れが生んだ弊害への反省からスタートしているはずです。夢中だった時代に気づけなかったことに、時を経てみて今、気づいているのかもしれません。昭和から平成を生き抜いてきて、感じますね。

長持ちする伝統的な工法をちゃんと残して行くためには、もちろん大工の努力も必要です。お施主さんからそのような仕事を頼まれなければ、伝統的な工法は続かないのですから、木のよさや漆喰のよさをうんとアピールしたり、作った家を大事に使ってもらえるよう、手入れのしかたや気をつけることを教えるのも大事です。お施主さんがいて、つくり手がいて、はじめてなりたつのが、家づくりですからね。

最近の子は、ある程度器用にこなすんだけれど、うまく行かなかった時に自分にじれてイヤになってしまったり、何度も同じことを繰り返すことが辛抱できなくて、より簡単にできる方法に逃げてしまう、というような傾向があるように思います。伝統的な工法というのは、時間がかかる、単純な工程も多いんですね。そういうことを「つまらない」と思ってしまうようなアタマの良さは、かえってよくないんです。自分の考えをもっていながらも、コツコツと積み重ねていける子は伸びます。そういう子に技術だけでなく、技術の裏側にあるものづくりへの思いも伝えていきたいと思っています。


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長谷川さんご夫婦と玄関先でのショット。たびたび訪れては、様子を訊くおつきあいが続いている。