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越海興一 室長(木造住宅振興室):国交省木造住宅振興室室長に訊く「200年住宅」


転換期にある住宅産業

越 今のままでは、人口は減少していきます。世帯数も減る、となると、着工数も当然、減少していく。住宅市場そのものが縮小していく方向性にあります。

よ 少なくなっていくパイを奪い合って、ストックとしてすでにある住宅の建替需要を喚起しよう、というのでは、資源循環型社会へ向かう流れとは逆行しますよね。

越 今後、住宅産業そのものが、そんなにいらなくなっていくのですから、再編成をせまられていくでしょう。いい加減なところが淘汰され、質の良いところが残っていくはずです。この大転換期にあたって、住宅産業界のアタマを変えていく必要があると思っています。

よ これまでどおりでは、いかない、と。それと200年住宅とが、どうつながるのでしょうか?



「資産価値の高いいい家」が空襲でなくなり、最低基準としての基準法からスタートした戦後

越 ぼくは日本の住宅の歴史観をおさえた上で、200年住宅をとらえているんです。まずは、戦争で市街地にある住宅が焼けてしまった、山からも木が出なくなってしまった、という時点に戻って考えてみてください。それ以前の、江戸、明治には、もちろん、火事になれば焼ける、地震があれば潰れる家もありましたが、そればかりではなく、そこそこ「いい家」も建てられていたんです。

よ 伝統構法の家づくりの時代ですね。構法そのものもさることながら、その時代には、今のような「住宅産業」はなくて、住まい手の家族が長年つきあっている大工棟梁とが、顔の見える関係で家づくりをしていました。家父長制度の中で家が継がれていくという社会構造もあって、一世代で建て替えるというよりは、何世代ももたせられるような家を普請して、それを住み継いでいくというのがあたりまえでしたよね。

越 住み継いでいけるような「いい家」をもった中産階級が育ったかな、というところで、残念なことに戦争に突入して、あっという間に空襲で焼けてしまった。特に都市部の「いい家」はね。それで、戦前に建てられた「いい家」は、今や、古民家再生でもてはやされているような家が、田舎にたまたま残っているぐらいになってしまっている。

よ 木の家ネットをやっていて感じますが、都市には「職人がつくる木の家」はあっても少ないし、新築するにも土地の値段が高いし、法規的にもむずかしいですね。

越 都市では断絶している、といってもいいぐらいです。で、終戦当時の話に戻ると、当時はほんとに山に木がなかった。経験のある大工たちも戦死していたりで、担い手である職人も空白。そんな資材・人材不足の中で、都市住宅の再建はバラックづくりから始まったんです。とはいえ、あんまりひどいものが建つと、都市は混乱してしまうので、かなりけちった内容で、それでもあるレベル以下に落ちないような下支えとして、建築基準法が発足したんです。

よ 建築基準法は戦後の混乱期に最低基準とつくられたものだ、ということですね。伝統構法のような技術が身についていない人でも、短い時間で簡単につくれる家づくりの基準としてでてきたのが、伝統構法を簡略にした、筋交い・土台・金物接合の在来工法だった、と。


最低基準スレスレでつくった方がもうかる
現代の住宅産業の構造

越 その建築基準法にのっとった形で、持ち家政策が展開され、軍需に替わる平和産業のひとつとして、住宅産業が生まれてきたんですね。

よ 戦前には今のハウスメーカーのような全国展開する住宅産業というものはありませんでした。地域にひとり、ふたり大工棟梁が居て、その地域で家を建てるとなれば、その人に頼むというのが普通でした。頼まれた方は、その信頼にこたえて、腕をふるう。地域での評判や信用があってこそ、大工棟梁として信頼され、生き延びていくことわけですから、手間を抑えてもうけるという方向にはあまりいかない。信頼関係の中で質の高いものづくりがなされる。木の家ネットのつくり手が「顔の見える関係」「信頼関係」と言っているのはそういうことです。

越 ところが、住宅産業という風に大きくなると、つくり手と施主との信頼関係より、会社としてより多くのもうけをあげなければならなくなります。最低基準である法律ぎりぎりの線でつくるのが、簡単にもうけをあげやすい方法ですから、基準法のハードルすれすれで確認申請を通過するような住宅が、大量につくられるんです。今でもそんな電話がしょっちゅう、建築指課にかかってきますよ。「法律に10.5ミリ以上と書いてあるけれど、10.4ミリではだめなのか」と。つくり手からです。すれすれセーフまでしかねらっていない。その結果、完了検査が終わったその日から、劣化が始まるような貧弱なストックが増えてしまった。バラックすれすれにものをつくる以外にない時代を過ぎても、ストックとなり得るような住宅がつくられない。30年という短い期間での「スクラップ・アンド・ビルド」の繰り返しです。

よ それって、いったい、誰のためになることなの?と問いたいですよね。住まい手のためではないでしょう。住宅産業の発展のために、一生かかって稼ぐお金をさらなる新築に注ぎ込んでいるのだとしたら、かなしいことです。

既存不適格建物がたくさん生まれる結果に

よ しかも、度重なる地震被害に対する反省から、建築基準法はどんどんきびしくなってきています。そうすると、ちょっと前ならば基準をすれすれで通ったような家は、きびしくなった基準法では「建ててはいけない」ような家になってしまうんですね。

越 既存不適格問題ですね。2006年以来、既存不適格建物に対する増改築の制限が加えられるようになりました。既存不適格建物を増改築するならば、まず現行基準法に合うように工事しなさい、と。ところが、既存不適格建物と現行基準とのギャップが大きすぎて、経済的に無理なケースが多い。で、増改築をあきらめざるを得ない・・そのままで住むか、建て替えをするかという選択を余儀なくされている。極端にいえば、維持管理しなくてもいいから、つぶれるまで待っていてください、というやや乱暴な話なんです。国民の財産であるはずの住宅をメンテできない、という矛盾に陥っているんです。建築基準法の第1条には「生命・財産・健康を守るため」に基準法があるんだと言っている。果たして国はそれを守れていたのだろうか。それをきちんと問い直す時期に来ています。

よ 既存不適格建物は5000万戸とも言われています。「当時の基準法どおりにつくったのに、今となってみれば既存不適格?」というのは、大きな問題ですね。基準法で評価できないから「既存不適格」となっている伝統構法の建物についても、これはこれで問題なのですが、今後行われていく再評価によって救われる建物もでてくるでしょう。ところが、ほんとに建築基準法どおりにつくってきた在来工法の既存不適格は、質そのものが低いのですから、きびしいですよね。

越 国民の財産といいましたが、正確にいうと住宅金融公庫などでお金を借りて建てた家は、ローンの返済が終わるまでは登記されてはいても本人の自由になる財産ではない。やっとローンが終わって、正真正銘の持ち家になった頃には、劣化して資産価値がなくなっている。そんな家ばかりでは、表面的には「持ち家」であっても、住み継いでいけるような「いい家」をもった中産階級が育っているとはいいがたいですよ。そんな状態が、ずーっと続いて来ているんです。

最低基準を満たせばそれでよいというのではない、自ら設定する高いクライテリア(=基準)でのものづくり

よ 戦後、高度経済成長があって日本は発展しました。ところが、上向きに成長し続けてきたことを示すGNP(経済成長率)の中には、ローンを完済する頃にはゴミにしかならない家をつくるために人々が払ったお金も入っているんですよね。家づくりという、人間の生活の基本であるライフラインを確保する行為が、安く早くつくれば儲けになるという経済効果のひとつになってしまっていた。お金ではかった豊かさが、人間の幸せにはなっていないという典型的な例ですね。

越 「もうけるマインド」から、変な連鎖が生まれてしまったんです。住宅産業はそのマインドが強かった。だから、そのマインド自体を、やめなければならない。そのために必要なのは「最低基準」ではないんです。

よ 最低基準ではなくて、何が必要だと越海室長は思われますか?

越 より高い、つくり手自らがつくるクライテリアです。たとえば、家電業界を見ると、ソニーのような一流企業ではJIS認証はとってないんです。JISは国家が保証する最低基準ですが、「それさえ守っていれば何をしてもいい」という生産者論理に陥りがちなんです。だから、あえてJISをとらない。そのかわりに独自に開発をして、ブランドとしての信頼を得るに足るような高い基準をつくり、守っているのです。自動車業界でいえば、トヨタもそうです。それがソニーやトヨタが国際的な競争力を持ち得ている理由です。

よ 最低ラインさえ守れば、というJIS認証よりも高い基準を設定したものづくり、ということですね。同じ市場経済という中にあっても、ぎりぎりまで質を落としてもうけるのと、高い質のものづくりをすることによって、それを評価する人に買ってもらってもうかるのとでは、めざす方向性が違いますね。

越 蛍光灯を例に出しましょう。これまで、2000時間で切れる蛍光灯をつくっていた。そこへ、1万時間もつものをつくれる技術が出てきた。ところが、新技術にシフトしてしまうと、工場を1/5に減らさなくてはならなくなる。住宅産業だって、そうです。「200年住宅」が実現してこれまで30年間で建て替えてきたものが200年もってしまえば、リフォームという仕事は残るとしても、30年毎に新築してきたほどの経済効果は期待できない。けれど、これからは人口も世帯数も減り、環境への配慮もますます必要となり、お金だけの力で海外の木を安く買い付けてくるような国際関係も見直されるべきです。そういった視点で見ると、やっぱり1/5の数の工場で1万時間もつ蛍光灯をつくった方がいい。それと同じように、200年もたせられるような家づくりを考えた方がいいんです。住宅産業の再編が求められる中で、「最低すれすれ」でなく「最高をめざした」ものづくりへと淘汰されていくでしょうね。

「200年住宅」が大転換のきっかけとなれば

越 「最低すれすれ」ものづくりから、「最高をめざした」ものづくりへ。経済効果だけでなく、環境や国際調和をもめざした市場モデル。量より質。そうした転換を起こしていこうというのが、200年住宅の基本理念なんです。良質なものづくりがしやすくなるようになって、はじめて成熟した社会といえる。日本もそろそろそういう方向へ向かっていくべき時期だと思っています。

よ 職人がつくる木の家ネットのつくり手たちが地道に続けてきたことが、ようやく日の目を見る思いがします。木の家ネットのつくり手の間ではあたりまえのことですが、住宅産業界全体が、経済効率だけを追い求める行動原理から抜け出して、住まい手の幸福、環境との強制、美しい町並みといったことも意識したものづくりに飛翔できたら、それはとってもよろこばしいことだと思います。


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受付を入ったところにある案内板。木造住宅振興室は住宅生産課の中にあります。