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林材ジャーナリスト・赤堀楠雄さん:無理のない自然な存在、それが木の家


自然を取り入れる住まいがいい

手入れの行き届いた杉林(*)

今は、節のない無垢の木を内装に使っても、そんなものめったにないから、「節がないから、きっとこれは貼り物ですね」と間違われてしまうことすらある。ちゃんと手をかけたものが評価されにくくなってしまっているんですよ。「節のある木を使ってもいいじゃないか」それは確かにそうだし、そのことによって建築費が抑えられるという面もありますけど、節のあるものが一般的になり、無節の木が評価されなくなってしまっているのはどうかと思いますね。林業家が手間をかけて育てた役物と言われる木の木肌はやっぱり美しい。ただ、そのような価値が社会的な評価を得るためには、林業家をはじめとするつくり手自身も何らかの働きかけをしていかなければならないでしょうね。

今の家づくりは、自然を遠ざけるような技術を使いすぎるところがあると思います。しかも、それがありがたがられている。例えば高気密高断熱住宅は、自然の気候とは関係なく、すべてを思い通りにコントロールできるから快適で素晴らしいのだと。だけど、24時間、機械に頼って換気をし、室温を調節するという家づくりには、あまり賛成できません。もっと採光や通風を工夫して自然を活かせばいい。最近よく見かける庇のない家にも違和感があります。おそらくコスト重視だからなんでしょうけど、庇がないと梅雨時は雨が吹き込むので窓を開けられない。すると、蒸し暑くてエアコンに頼らざるとえなくなる。それでますますヒートアイランドになって温暖化が進む。なんかおかしいんじゃないのと言いたくなります。

日本の古い家のように深い軒をつくったり、葦簀(よしず)をかけたりするのは、自然を生かす、すぐれた知恵だと思います。人が何かに手を加えるとき、どこからどこまでが加工度としてバランスがとれているのか、その線引きは難しいし、その境目を明確に言えるほどわかってはいないのですが、元からそこにあったような、自然なものであることが重要なのだと思います。

「合理的」ってどういうこと?

Photo

ヘリコプターを使った吉野杉の集材(*)

こういう仕事をしていると、伝統構法の家が注目を浴びつつはあっても、市場全体からみると少数派だということはよくわかります。首都圏では構造材のプレカットの比率が9割近くいっているんじゃないですか。合理的に、コストを抑えて、素早くつくることを目的にしている人たちからすると、手刻みによる施工なんて考えられないですよね。行政にしてみても、意識はしているかもしれませんが、量が出ないので、残念ながら本流的な扱いではありません。 ただ、どうも現代の「合理」は範囲がせますぎるのではないでしょうか。つくるのに手間がかからず、安くできることだけが「合理的」なわけではありません。人が手をかけ、自然に逆らわないつくり方、住まい方ができる伝統構法の家も「合理的」だと言える気がします。それに伝統構法の家は、人と自然が共生するライフスタイルを実現する有効な手がかりだと言えるかもしれません。そのことをもっと勉強したいと思い、僕は木の家ネットに関わっているわけです。


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