新築した方が安い。けど、思い入れは買えない。 だから改修するんです。
この梁は、切れない
裏山から寺まで、人力で曳いて来た
社寺建築には費用がかかる。檀家さんたちがお金を集めてようやく、工事にかかることができる。だからこそ、檀家さんたち大勢のチェックも入るし、期待もかかる。「寺の現場っていうとね、暗いというイメージをもつ人もいますが、ぼくの入る現場は『工事期間中はおまつりにしたい』といつも思っています」
70年前の檀家さんたちが曳いて来た梁は再利用した。
まず、檀家さんで建設業や関連業者がいれば、なるべくいっしょに協力して仕事できるようにしている。「重機を借りてくるなど、ひとつでも協力してもらえる場面をつくります。ゼネコンじゃあ、そうはいきませんよね」
宮村さんの現場に応援に来ていた木の家ネットの栓山さん。明るい釘山さんは、現場のムードメーカーだ。
今ある本堂には、15メートルという長い松の木の梁がある。自然のままの曲がりのある丸太の梁だ。これは前回の造営の時に檀家さんたちが自分たちの山から伐りだし、大勢で曳いてきたものだ。「お寺にその時の写真が残ってるんです。村の人が全員写っててね」写真を囲んで「あ、あのじーちゃんがこども時分の格好で写ってる!」と檀家の役員さん同士の話も弾む。「この梁は、切れない。なんとしてでも使おう、そう思いましたね」
1トン半の梁を3人でおさめた
瓦のラインがきれいに見えるように直す。
今回の現場は、家が混みあって立つ住宅地の中にあり、工事の車ですら、門を入ったところのわずかなスペースにぎっしりと縦列駐車している。「クレーンを入れられないから、材はすべて手あげです」しかも、社寺に使う材木は長く、太い。それをどう段取りして、少人数であげるか。綿密にその工夫をし、作業に関わる全員の気を合わせなければできない仕事だ。それを「面倒なこと」ではなく「やりがいのあること」として楽しむのが、宮村さんだ。檀家さんたちが山から伐り出してきた松の梁の重量は1トン半。一度木組みをばらして桁におろし、ホゾ穴を加工し直し、たった3人で手の道具だけでもちあげた。
瓦ひとつひとつに寺の名前が入っている。
檀家さんや住職が見守る中で作業することもある。「向拝に欅の虹梁を取り付けた時のことです。どうやるのかな、と固唾をのんで見守ってくれている。失敗はゆるされない。その視線を受けながら『一発で行こう!』と声かけし、きっちりおさめ、オーッと歓声があがった時はうれしかったですね」この緊張感と達成感が、宮村さんの活力と明るさをつくっているに違いない。
平瓦と丸瓦がひとつになっている一体瓦。瓦懇志のお願いが寺の門の前に貼り出されている。
「現場は明るく、楽しく、にぎやかにやっています。住職さんも改修工事を楽しんでくれてます。まだいつになるか分からない次の工事のために、これはと思う木を安い時に買って乾燥しておいたりしてます」法事や墓参りの時にしか人の集まることのない、ふだん静かな寺に、改修をめぐってさまざまな人のエネルギーが集まる。やはり「改修工事はおまつり」なのだ。