からから回る風車越しに見たワークスクール当日の風景。
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四天王幼稚園ワークスクール:ぼくがこれ、つくったんだ!


連綿とつづく手作りの伝統と、 職人とが出会って。

いい仕事からは、新たな出会いが生まれる

耐震工事をしていた頃の栓山さん(左)と、大和社寺工営の施工部門、不動舍の宮村さん(右)。この工事が、今回のワークスクールにつながる縁を生んだ。

「子どもたちの遊べる『家』のようなものは出来ないか…」寺の副住職で、副園長でもある倉島隆行さんが栓山にそう相談したのは、有限会社大和社寺工営による園舎の耐震工事が行われていた時。栓山さんは、その工事の応援で来ていたのだった。

「がんじがらめでは、だめなんですよ」と、「若」こと、副園長であり副住職でもある倉島隆行さん。「早く子どもたちの喜ぶ顔が見たいなあ」と微笑む。

「この仕事ならこの職人!というイメージがあるんです。そんな職人とご住職とを結ぶことができた時はうれしい。いい人間関係が生まれ、その結果としていい仕事ができていく。それを見届けるのがまたいいんですよ」と、大和社寺工営の岡本泰一さん。今回のワークスクールが実現する過程をも見守った。「こなすだけの仕事」からはこうした縁は生まれない。岡本さんは、当日も大工2人とともに、休日返上で参加していた。

もの作りの魅力を知っている幼稚園だから

プールは、1977年当時の保護者たちとの手づくりで完成した。「本当に素人ばかりでつくったんです。プール開き予定日の寸前に完成して、みんな嬉し泣きでしたよ」と園長(住職)の倉島昌行さん。

「どうせなら、ツリーハウスがいいよねえ」という主任の倉島すま子先生の言葉が、栓山さんの心を揺さぶった。「園児たちが毎日、思いっきり遊ぶものだから、丈夫で安全であることが第一。雨風にさらされても長年使い続けてもらえるものでなければ…」 栓山さんは家を建てるのと同じぐらいプレッシャーを感じていたはずだ。構造や強度、経年変化など、さまざまなことをシミュレートし、大工仲間や園との打ち合せの中、計画は練り上がっていった。怪我をしないか? 安全面は?メンテナンスは? 杓子定規に考えれば、半年会議を重ねても結論は見えてこない。このプロジェクトが実現にこぎつけたのには、わけがある。

平成13年度の卒園生たちでつくった遊具。四天王幼稚園には、こんな手づくりの品がいくつもある。

当日は三重テレビや読売新聞、中日新聞などの取材が入りました。地元タウン誌の「NAGI」のスタッフも遊びにきていた。

園庭の片隅にあるプールは、30年近く前のこと、園長が先頭に立って親たちと一緒に「手作り」したものだ。「プール開きの時はみんな泣きましたよ」と園長。「毎日カレーの炊き出しをしてねえ・・」とすま子先生。今回のワークスクールを栓山にもちかけた副園長、隆行さんはそのお二人の長男だ。プールのほかにも「●年度卒園生作成」という字の入った遊具が点在する。自分たちで遊ぶものを手作りする。それが、この園の伝統なのだ。それを受け止める大工と園との間に信頼関係が築かれたからこそ、今回のプロジェクトは実ったと言っていいだろう。


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左:昼食のそばとおにぎりを準備する園のスタッフと園児の母親。中央奥が若のお母さんで、主任のすま子先生。右:今回の材料供給元の古市材木店の営業担当、古市文子さん。「つい手伝いたくなって」と、電気カンナを握る。