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火の用心(前編)


theme 2 生活の中の火

■燃えやすい木の家で火を使ってきた日本人

燃えやすい木の家。だからこそ、その中で、気をつけて火を扱う知恵も受け継がれてきました。土間にはかまどがあり、女たちは、薪のくべかたひとつで火加減を調節しておいしいごはんを炊く知恵を母から子へと伝えてきました。家族の集まる場所には炉が切られ、木や炭を燃やし、湯を沸かし、暖をとっていました。そもそも話の第一回で紹介した弥生時代の掘っ立て柱の竪穴住居の頃にすでに、炉が家の中心にあり、そこで生火が焚かれ、煙出しの工夫もされていました。

そんな生活の中で、火の扱いについては、子供の頃から口やかましく言われ、しつけとしてしこまれたものでした。ほんの20?30年前までは、生活の中にいきづいていたことでした。そんな経験談を、木の家ネットの会員に聞いてみました。

そうそう、火鉢の炭は 夜寝る前は必ず灰をかぶせておきましたっけ。 翌朝灰をよけると炭の表面が白い衣を着ていて、 その下がほんのり赤く、竹筒で息を吹きかけると 見る間に真っ赤になって、 継ぎ足した新しい炭が あっという間に燃え始めたものです。 それが冬の朝一番初めの、母の仕事でした。 練炭のコタツの中から、 猫が気分が悪くなって這い出てきては、 げーげーと苦しがっていたのを思い出します。 七輪の中の練炭を上手にそっと取り出して、 あとで長靴でブシャと踏み潰すのが好きでした。

(寺川千佳子さん)

※練炭とは石炭の粉をかためた燃料。燃焼効率や火力が炭より強かったので用いられたが、密閉空間では一酸化炭素中毒を起こしやすくもあった。

かまどの近くには、水をいっぱいに入れた桶があり、 ご飯を炊き終わった炭はそこにジュッとつけたものでした。 水につけた炭は、土間においておけば乾くので、また次のに使うのです。

炉のまわりには紙や木を置いておかないということも 徹底していましたね。

(豊崎洋子さん)

赤々と熾きている炭に触ろうとするこどもの手を、 炭から遠ざけてやる代わり、 一度はわざと近づけて熱い思いをさせて、 火を扱うのにしてはいけないこと、 するべきことを教え込まれたね。

(渡邊隆さん)

火之神を敬い、祀ることも行われてきました。沖縄の台所に祀られるヒヌカン(火の神)さん、東北の古い家にある「カマ神様」など、そうした信仰は各地で今にまで続いています。木の家ネット事務局のある山梨県高根町の集落でも「火の守りは秋葉様」と言って、年に一度、各戸にお札が配られ、台所に貼られます。静岡の「秋葉神社」が総本宮で、御祭神は火之迦具土大神。火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司るとされています。火之神を敬い、感謝するという気持ちが、同時に火に対する畏れや用心する心構えを支えてもいたのでしょう。

■くらしから消えた生火

日本津々浦々で燃料革命とよばれる変化がおきました。それまでの木や炭の火から、灯油・ガスなど、焼効率のよい化石燃料の火へと、推移したのです。

それとともに、屋内でも赤々と焚かれていた火は、火を扱う道具の中に囲われるようになります。炉は火鉢に、そしてさまざまな方式のストーブへ。かまどは七輪に、ガス台へ。火を扱う装置はしだいに住居そのものに組み込まれた状態から、独立した器具になり、それとともに、火そのものは、見えない、直接触れられないものになっていきます。今では、火そのものが出ない、電気による暖房器具や調理設備まであります。

今や、生活の中で生火を扱うことはまれです。ライターを点ければ、炎がボッとあがります。石油ストーブのボタンひとつ押し込めば、ガス台のスイッチをひねれば、自動で点火してくれます。そして、火は、ガスや灯油の供給が止まるまで、人がさほど意識しなくても、安全に燃え続けてくれるのでしょう。火の扱いを、さまざまな器具やインフラが肩代わりしてくれているのが現代なのでしょうね。

■生の火を扱ってみる体験

より安全になったように見えていても、火そのものの本質は変わっていません。なにかのきっかけで燃え広がった火のおそろしさは、同じです。むしろ、今の 家は、いったん火がつくと、新建材などから有毒ガスが発生し、火に焼かれる以前に亡くなるケースも増えているともいいますから、昔にはなかったおそろし さも生まれているようです。 ガス台から、たばこから、なにかに引火してしまえば、安全に囲われていた火も燃えさかります。日常生活の中で生火を扱う機会が少なくなっているからこそ、たまには、火をおこしたり消したりする体験をするのもよいのではないでしょうか?キャンプで火を焚いたり、七輪でさんまを焼いてみたり、ろうそくの灯だけで晩ごはんを食べたり・・・楽しみも兼ねて、生火を使ってみる、その体験から得ることがきっとあるはずです。

火を扱うことは、人間と動物とを分ける第一歩でもあります。自分で火をおこし、始末ができる、ということが、生きる基本的な自信や充実感につながります。火鉢でお餅を焼いたことをなつかしく思い出す経験がない世代に、暖炉や薪ストーブ、ペチカなどを生活に採り入れたいという人が増えていることも、そのことと無縁ではないようです。生火が生活に彩りや活気をもたらすという側面もあるのですね。

この休みに、キャンプしてきました 夜は焚き火をして、友人とコーヒーやビールを飲みながら 今までの人生のことや子供たちのしつけについて語り合いました 火は、言葉を持たないのに、いろいろ語りかけてくれるし いっしょに話を聞いてくれる。 火の持つゆらぎが、心を癒してくれる。

(大江忍さん)

■ひとりひとりの「火の用心」

火は怖い、だからこうしてはならない、こうしなくてはならない。家を建てるにあたっても、防火についての法律がいろいろあります。災害を未然に防ぐためにそういった規制が存在するのですが、今もむかしもひとりひとりを守っているのはその人自身の「火の用心」の感覚と行動です。自然の中で火を焚いて獣たちから身を守っていた昔から、火を使っていることすら意識しないで済む現代に生きる私たちにとっても、それは同じことです。

自然素材の木の家に住み、木の香りや渡る風、季節のめぐりを体感できる暮らしをしていれば、自然に対する感覚がより豊かに、鋭くなってくるはずです。火に対する感覚もそのうちのひとつでしょう。それに加えて、その家がきちんと安心できる骨太の木の骨組みをもっていれば、万が一火事に遭うことがあったとしても、あなたを守ってくれるにちがいありません。。

長野県伊那市の民家

台所の柱やかまどの上に飾られたカマ神様。家を新築する時に大工がつくったという。(宮城県塩竈市)

▲木組みは炭化したものの、しっかりと家を支え、崩壊しなかった

▲出火元付近の炭化した壁。「有毒ガスに巻かれないで済んだのは床も壁も杉だったおかげ」

▲飴色にすすけた梁。土壁は燃え抜けていない。

▲杉厚板の踏み天井のおかげで、1階には火がまったく及んでいない。


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