全国各地で植林放棄地が増加している。
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緑を絶やさないために


「伐りっぱなし」の山が増えている

前回(2008年5月号)のこの欄でも触れたことですが、最近はこれまで日本の木材市場を席巻していた外国産木材(外材)をめぐる状況が大きく変化し、国産木材(国産材)への注目度が飛躍的に高まってきています。中国やインドといった新興木材消費国が台頭して外国産木材の調達環境が悪化し、さらに日本にとって最大の丸太輸入先であるロシアでは、来年から丸太の輸出を実質的に禁止する措置(丸太輸出に高額の輸出税を課す)がとられることになっています。こうした情勢変化を背景に、国内の木材資源が大きく注目されるようになっているのです。ただ、この状況を手放しで喜ぶわけにはいかないと私は考えています。もちろん、国産材が注目されるというのは悪いわけはなく、沈滞ムードが蔓延していた林業産地では、伐採が活発に行われるようになるでしょうし、そこで働く人々にとって収入の機会が増えることになるのは間違いありません。しかし、そうした伐採行為によって、森林がダメージを受けることになってしまっては元も子もありません。

行政用語としての「造林未済地」の定義は、「伐採が行われた年度の年度末から3年間を経過しても植栽などの更新が完了していない人工林地」です。「更新」とは、伐採後の林地を何らかの方法で再び緑に戻すことをいい、具体的には苗木などを人工的に植えつける「人工更新」と、自然にもたらされた種が発芽する「天然更新」の2種類があります。つまり、伐採後に放っておいても自然に更新されるのであれば、それは「造林未済地」ではないとの解釈が成り立ち、実際に上記のようなデータの運用が行われているわけです。しかし、一般的な感覚では、それも造林放棄すなわち「伐りっぱなし」であることに変わりはありません。将来にわたって林業を経営する意欲をなくしてしまい、目先の利益を確保することにのみにとらわれて行われる伐採行為が増えているという問題が今も深刻化しているという事実から目をそらすことはできません。

「天然更新」として伐りっぱなしにされた山も、いずれは写真のような雑木林や里山林として回復することが期待されている。しかし、こうした林になるまでは長い年月を要する上に、里山林のような林は適度に人手が入ることによって形成されてきたという経緯がある。暮らしを成り立たせるためには山の資源を利用することが不可欠だった昔と異なり、今の日本で里山林を育て、維持していくためには、何か別の視点で山に入るための理由付けを考えなければならない。「天然更新」で山を再生するのは簡単なことではない。

緑を絶やさぬ知恵と技術を

現在、国内の木材需要は年間8,000万m3程度で、そのうち1,800万m3が国内からの供給によってまかなわれています(材積はいずれも丸太換算)。その一方で、国内の森林資源としては、立木材積で毎年7,000万m3も蓄積量が増加しているとされています。立ち木から丸太への利用割合(立木歩留まり)を6割と仮定すると、わが国の森林では利用可能な材積として毎年6,000万m3ほども資源が増加(7,000万m3 × 60% + 1,800万m3)していて、その3割に当たる1,800万m3を実際に利用している計算になります。このことから、国産材の供給量を今の倍くらいに増やしても資源的にはまったく問題がなく、かなりの供給余力を残しているということがよく言われます。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか?

まず蓄積量については、人工林だけでなく、天然林も含むすべての森林を対象にしたデータであるということを考慮する必要があります。さらに、この中には成熟した森もあれば、まだ小さな木しか生えていない未成熟の森もあるわけです。それらがバランスのよい構成になっていれば、成熟した木を伐っても何年後かには次の世代の木を伐ることができ、伐った後には新しい木を植えて育てるといったサイクルを繰り返すことによって、木材を安定して生産し続けることができる理屈になります。しかし、建築用材などに利用される主要アイテムである人工林のスギ、ヒノキ、カラマツについて、齢級別(1齢級は1〜5年生、2齢級は6〜10年生というように5年ごとに区分する)の面積を調べてみると、いずれも6〜10齢級(31〜50年生)くらいのところに集中していて、それ以下の齢級では面積がかなり少なくなっています(別表)。例えばスギの場合は8〜9齢級の面積がもっとも多いわけですが、それ以下となると、7齢級はそこそこあるものの、6齢級以下はがくんと落ちてしまいます。合板原料として注目されているカラマツも同様で、次の時代を担うべき若い林はあまりないのです。

人工林(スギ、ヒノキ、カラマツ)の樹種別齢級別面積
(平成14年3月31日時点、出典:林野庁資料)

このようなデータを見ると、今の日本の森では、単に伐期(一般に人工林の場合は50年生程度)が来たからといって機械的に木材を生産していたら、いずれ資源が枯渇する可能性があることがわかります。今までは国産材の自給率が低く、生産自体が低調だったのでこうしたことは考えなくてもよかったのかもしれませんが、これからはそうはいきません。今後、国産材への利用圧力が高まっていくのは必至です。そうした中で、森林にダメージを与えずに安定して木材を利用し続けることができるようにするためには、どうすればいいのか。現在の齢級構成や、再造林放棄地が増え続けている現状を踏まえた実効性のある生産・管理計画を早急に立てる必要があります。

今回、木曽では地元のボランティアグループの方が案内役をつとめてくださいました。その方が森の中を歩きながら「もう20年くらい前に林野庁が一般の方から歌詞を募集し、北島三郎が歌った『年輪』という歌をご存知ですか」と問いかけてきました。その歌には次のような一節があります。

みどり絶やさぬ お山の掟

林業を営み、山の木を利用し続けるには「緑を絶やさぬ」知恵と技術が必要です。木曽の山は資源を残す知恵によって類まれな美林を形成してきましたが、資源を使い続ける技術は講じられて来ませんでした。過去をひもとけば、日本では幾たびか、伐採が行過ぎたためにその後しばらくは資源の培養に努めなければならなかったという経験をしてきています。奈良時代や平安時代に宮殿造営や神社仏閣建築が盛んに行われたとき、秀吉や家康の時代、そして先の大戦中や戦後の復興期もそうです。今またその轍を踏まないためにも「緑を絶やさず」に利用し続ける知恵と技術を確立する必要があると強く訴えたいと思います。


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この木が育ち、木材として利用できるようになるまでには少なくとも40〜50年はかかる。そうしたサイクルを見越し、木を適切に利用し続けることができるようにするための知恵と技術が求められている。