大工の技が無垢の木を生かす
最近は森林や林業に目を向け、それらが置かれた状況を改善するために、国産材を積極的に使っていこうという取り組みが各地で増えてきました。私たち木の家ネットが進めている「山、つくり手、建て主がお互いの顔の見える関係」をつくろうという運動もそのひとつです。こうした活動の多くは、無垢の国産材の活用というテーマを掲げています。集成材と異なり、無垢の木はひとつひとつの木に個性があるので、それを見極めることが必要です。最近は高温の蒸気や高周波を使って乾燥させ、工業製品のように仕立てられた無垢の木も増えていますし、スギやヒノキ、カラマツなどで製造された集成材もかなり出回るようになってきました。しかし、そうした手法に頼らず、自然に近い形の木を使おうとすれば、それぞれの個性と正面から向き合わなければなりません。
その際に頼りになるのが、長年、無垢の木と向き合ってきた大工の職人技です。例えば、木目からその木を使うのに適した方角を読んだり、あるいは反りのある木を上からの荷重を受け止める形で使ったりと、木の個性を生かすために大工はさまざまな技を駆使して家を建てていきます。その意味では、無垢の国産材を使おうという取り組みの多くが、プレカットではなく、大工の手刻みによる木の加工を中心に据えているのは当然のことといえるでしょう。
無垢の木と無農薬野菜は似ている
急斜面での植林作業。人が手を入れることで自然の恵みを得る二次的自然である点も、畑と植林地は似ている。
無垢の木との付き合い方は、無農薬野菜との接し方に似ています。無農薬野菜は形がいびつで不ぞろいだったり、虫がついていたりと、見てくれはけっしていいとはいえません。育てるのにも手間がかかりますし、輸送コストも形のそろった野菜よりかかります。そのために値段が多少高くなってしまいます。それでも無農薬野菜に人気があるのは、たくさんの人が安全でおいしい野菜を求めているからです。「安全でおいしい」というのは自然の産物である野菜が本来持ち合わせている「素材力」です。見てくれの悪さや値段がちょっと高いことなどを我慢すれば、自然がもたらしてくれた野菜の「素材力」を私たちは味わうことができるのです。
無垢の木も同じです。接着剤で固めた集成材や合板と違い、無垢の木はひとつひとつ性質が違いますし、多少の割れが入ったり、床板や羽目板に隙間ができたりすることもあるかもしれません。しかし、それらは無垢の木が自然素材そのものであるためにおきることです。それを寛容に受け止めることができれば、無垢の木でしか味わえない質感や温かみ、それらによる快適性という「素材力」を満喫することができます。それに表面が少しくらい割れても強度が落ちることはありませんし、隙間ができるというのも木が呼吸している証しです。夏になって湿気が多くなれば、それを吸って太ったために隙間がピタッと合わさることもあります。ひとつひとつの癖や個性は大工の技が長所に変えてくれます。外見も鉄やコンクリートが古びるとみすぼらしくなるのと違って、無垢の木は時を経るに従って表情に深みが増して魅力が出てきます。「木って本来、そういうものなんだ」。そんな風に思って無垢の木と付き合ってみてはいかがでしょう?
森づくりを持続させる収益環境をつくろう
無農薬野菜の生産は、その良さを知って多少高くても買おうとする消費者と、彼らの求めにこたえようと熱心に取り組む農家の存在とによって支えられています。 それでは木の場合はどうでしょうか。残念ながら、仮に無垢の国産材が見直されるようになっても、木を売った利益では植林費がまかなえないという今の状況が続けば、その分、伐りっぱなしの禿山が増えていくという皮肉な結果にもなりかねません。その意味では、木を育てて良質な木材を供給するという営みが経済的にも成り立つにはどうすればいいのかを「山」、「つくり手」、「住まい手」が知恵を出し合って考える必要があります。
成長した木の間に次世代の木が植えられたスギ林。下層の小さな 木が上層の成木と同じくらいの大きさになるまでには50年以上もかかる。
最近、家づくりのグループの中には、単に山から木を買うだけでなく、その山で森づくりを再スタートさせることも含めて林業経営を成り立たせるためには、どのくらいの価格が適正なのかを議論するところも出てきました。(木の家ネットのメンバーも関わっている「大津の森の木で家を建てよう!プロジェクト」の取り組みをご覧ください:http://www.doblog.com/weblog/myblog/33445/922682)あるいは家づくりにかかる費用の配分を見直したり、1本の木を無駄なく使ったりすることで、木にかかるコストをうまく吸収することもできるかもしれません。そういった取り組みがこれからはますます必要になるはずです。
一方で、山の方にも収益構造を改善するための努力は求められます。日本の山は急傾斜で、どうしても経費が余計にかかってしまいます。ですが、例えば林道を適切に整備したり、零細な所有者の山を経営権だけでも集積して効率性を高めたりといったことを通じ、利益を生みやすくしていくことは可能です。
林業や無垢の木による家づくりをめぐる状況は年々厳しさを増しています。これを好転させようにも、効率性が重視され、経済のグローバル化が進行する中では容易なことではありません。しかし、森が再生産可能な形で維持され、自然なままの木が生かされた家をつくり続けていけるようにするためには、たとえ小さな一歩でも前に踏み出すことが必要です。それぞれができること、協力し合えることをひとつひとつ実行していくこと。今まさにそれが求められているのです。
一方で、山の方にも収益構造を改善するための努力は求められます。日本の山は急傾斜で、どうしても経費が余計にかかってしまいます。ですが、例えば林道を適切に整備したり、零細な所有者の山を経営権だけでも集積して効率性を高めたりといったことを通じ、利益を生みやすくしていくことは可能です。
林業や無垢の木による家づくりをめぐる状況は年々厳しさを増しています。これを好転させようにも、効率性が重視され、経済のグローバル化が進行する中では容易なことではありません。しかし、森が再生産可能な形で維持され、自然なままの木が生かされた家をつくり続けていけるようにするためには、たとえ小さな一歩でも前に踏み出すことが必要です。それぞれができること、協力し合えることをひとつひとつ実行していくこと。今まさにそれが求められているのです。
その木のふるさとを思い浮かべる
日本は国土の64%が森に覆われている緑豊かな国です。世界でもこれほど緑に恵まれている国は少なく、北米はアメリカが25%、カナダが27%に過ぎませんし、世界最大の国土面積を有するロシアでも50%にとどまっています。密林に覆われているイメージが強い東南アジアでもインドネシアが58%、マレーシアが59%と日本を下回っています。森林率が日本に匹敵する国は、北欧のスウェーデン(66%)やフィンランド(72%)、アマゾンの大森林があるブラジル(64%)などわずかしかありません。
いま、日本の森では、戦後植林されたスギやヒノキの人工林が育ち、木材の潜在的な供給力がかなり高まってきています。木材資源の量は毎年大量に増加していて、年間の木材需要約9000万m3のほとんどを資源を減らさずにまかなうことが計算上は可能です。もちろん、森の中には貴重な原生林や成長途上の若い木もありますから、増加する分をすべて生産するわけにはいきませんが、資源としての成熟度が増してきていることは確かなことです。
しかし、それだけ豊かな緑に恵まれ、資源が充実してきていても、日本ではいまだに外国から大量の木材が輸入されつづけているのです。過去には南洋産木材の主要産地であったフィリピンの森林を丸裸といってもいいくらいにまで伐りつくして非難を浴び、いまでも各地の熱帯林やシベリアのタイガ(針葉樹林)の破壊に手を貸しているとして後ろ指をさされる。そして国内の森に目を向けると、間伐の遅れや植林放棄などの問題が深刻化しているのです。
このような状況を改め、国内でも国外でも森と木と人との関係を健全なものにするためには、やはり林業の営みが継続され、国産の無垢の木が適切に利用されることが必要です。そのためにも、みなさんが木の家を建てたり、木製の家具や木工品などを買ったりする場合には、その木がどこからきたのか、その木が生まれたところでは、今も森がちゃんと育ち続けているのかを常に思い浮かべてみてください。自らの消費行動いかんによっては、無意識のうちに海外の森林破壊に手を貸すことになるかもしれないし、逆に意識して日本の森を維持することに協力することもできるのです。そんなことを心において、国産の無垢の木を選んでいただければと思います。