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古川 保の熊本市川尻町 震災日誌


5月12日(木)

ゴミの山から思うこと
今の家づくりは、未来を考えていないのでは

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昔の家は土と藁と木と竹でできていたので、解体時、ほとんどの材料が自然に戻り、埋め立てゴミはわずかである。

最近の住宅は、サイデングと石膏ボード等で、家まるごと埋め立てゴミである。日本はエネルギー枯渇より前に、ゴミ問題が先に来るだろう。しかし、日本はゴミ問題には関心がない。水銀しかり、核のゴミしかりだ。核廃棄物は処理費用が計算できないから含めないと能天気な国である。石膏ボードは、新品は1枚350円だが処分時は600円かかるので、新品時950円にすべきだと言ったら笑われた。石膏ボードが950円になれば、杉板とほぼ同価となり杉の羽目板がビニールクロスと勝負できるのだ。石膏ボードは不燃性がよいと言う人がいるが、外国みたいに木を厚く使えばことはすむ。

伝統的構法から建築材料のことを学ぼう。屋根瓦は砕いて車庫の下地にし、土壁や漆喰は土に戻し、木材や藁や竹は燃やせばよい。伝統的構法の建物こそ、ゴミがすくない孫の代を考えた次世代住宅なのだ。

5月11日(水)

格子櫓
発酵が続いている酵母のために、応急的な補強を

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瑞鷹酒造のビン詰め工場が傾いた。100年まえの木造トラスだ。トラス構造は柱の本数が少ないので柱への負担がかかり、柱が折れていた。また、トラス中央に荷重をかけた増築がなされていて、通常でも補強が必要だ。酒造りは、機械はストップしても酵母は発酵し続ける。時間がたてば酢になる。早急な対策が必要で、ビン詰め工場は斜めになったまま補強することにした。70cm角の格子櫓を組んで足の出を80cmとした。横揺れが80cm以下なら保持できるし、それ以上でも変形1/30をプラスして横揺れ90cmまで大丈夫と勝手に支持した。格子のピッチは配線等考慮してあまり深くは考えていない。作ってみてなんとなく安心感がある。補強と言うよりシンボルに見える。4寸角の杉材で、どこにでもある材料なのでノコさえあれば作れるのがよい。

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5月10日(火)

街中のゴミの山
完成したばかりの処分場も満杯か?

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道端にゴミの山が出来ている。箪笥、布団、食器、等の家財道具である。水屋を固定していても、焼き物は水屋の中で破壊されている。震災被害でないゴミも出ているようだが、さして問題ではない。とに角多い。50インチのTVを買ったばかりで被災にあった可哀そうな友人がいる。我が家は座布団をTVの前に置いていたので救われた。 日本人は小さい家なのに、こんなゴミ(?)の中でくらしているのかとびっくりする。予想するかのように昨年、熊本県は南関町に大型のゴミ処分場をつくった。これから家の解体が始まる。全壊は5000棟と言われている。半壊でも壊す家もある。想像を絶するゴミの量だろう。南関のごみ処分場も計画の10年を待たずして満杯になるのではないだろうか。

ものづくりはごみづくりであることを忘れてはならない。

5月9日(月)

土壁の補修方法
職人不足を考慮した耐久性ほどほどモデル

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土壁の補修は落ちた土を再度練って施工するのが一番よい。骨組みがしっかりしていて、震度6弱程度の地震を受けなければ、再度100年は持つだろう。しかし、職人不足は目に見えているし、骨組みにそもそも虫害があるので、耐久性はほどほどでよい場合のモデルを作っておきたいと思う。我が事務所をモデルにして試算を出したい。

  1. 落ちた土は処分し再利用しない。
  2. 柱は腐朽菌かシロアリで辺材が被害を受けている。芯材は大丈夫だ。竹はぶよぶよだが、はずさない。不陸調整にスペーサー45×105材をコーチボルトでとめる。
  3. 土蔵は間柱がないので板材は足場板を使う。45×105材にとめるが、足場板の厚みが36㎜なので、総板厚は81㎜となる。ビスは垂木用に210㎜のビスを使う
  4. これは耐久性上好ましい仕様ではない。ビスの耐久性同等だろう。30年程度の耐久性を期待する。
  5. しばらくはこの施工でとめておいて、左官屋さんの手が空くのを待つ。表面はラスモルタル漆喰仕様にする。
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5月8日(日)

高級料理店の炊き出し
しみわたる、こだわり深い味

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熊本市新町に「おく村」という老舗料亭がある。3本指に入る高級店である。私は「おく村」に今まで1回しか行ったことがない。もちろん自費ではなかった。

7日は宮本軍団パート5の作業だった。20名のメンバーのために、その「おく村」が私たちのために炊き出しをしてくれるという。メニューは焼きそば、豆ごはん、ダゴ汁だ。

「おく村」が焼きそばを作るんですかと奥村氏に尋ねた。「本当は、こちらのような料理が私には似合うんです」と軽い答えだった。「震災後、客足が減って暇だから、私にできるお手伝いがないかと来ました」と更に軽い答えでした。

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料理を頂いた。「焼きそば」・「ダゴ汁」は一味違った。「ダゴ汁」はクリームスープのようでもあり、味噌汁のようでもあり、「ダゴ汁」と言ってくれないと分からない、こだわり深い味だった。ものの深さに私たちと共通するものを感じた。復興したら「おく村」に行かねばと思ったが、財布が足を引っ張りそうだ。

5月7日(土)

太陽光発電の悲しさ
パネルの下の屋根材はどうなっている?

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EZH(ゼロエネルギーハウス)を2030年までに、住宅の半分の家に採用したいと政府はいう。その認定のための外郭団体もできた。EZH仕様を採用すれば130万円の多額の補助金をくれる。太陽光発電設置が条件だ。

屋根瓦は被害があった場合、取り換えが前提である。震災は、取り換えが前提のものに、太陽光発電を乗せたらどうなるかの壮大な実験のようなものだった。

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太陽光発電の下の屋根材の被害状況はわからない。割れているかヒビが入っているかもしれない。屋根材を取り付け金具でグリグリ動かしたのだから。被害があった場合、屋根材の交換はどうするのだろうか。太陽光発電の保険が入っていてもパネルに被害がない限り保険金は出ない。太陽光発電を省エネのために設置した人には気の毒の言葉を差し出したいが、売電して儲けようと思った人には「株価の暴落と同じで、儲けるはずが大損ですね」と言いたい。EZHを計画の人は、考え直したがよいかもしれない。EZHの75%はハウスメーカーだ。ハウスメーカー支援補助金に思える。130万円の高額補助金で間接的に株を買わせるようなものだ。

5月6日(金)

建築学会の全件調査
切り取り発言が広がるのは要注意

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建築学会は3〜5日の3日間で益城町の建築2000棟全てを調査するとのことだった。中間発表を15日にするらしい。全棟の調査なら、公平な判断がなされるだろう。著名な学者さんの「ここも土壁ですか」と発言を切り取り取材されると「土壁は弱いんだ。日本建築は駄目だ。裏返せば洋風建築は強い」と勝手に情宣されてしまう。益城町の中心部の建築はラスモルタルが多いようだ。意外と土壁は少ない。切り取り発言は要注意だ。「思ったより被害が少ない」が伝言ゲームで強い家になってしまう。逆もある。建築学会には学者さんが多いので、きっちり分析してもらいたいものだ。

合わせて3〜5日、鈴木祥之先生もこられた。建物が移動した石場建て3棟を見てもらった。移動量は73cm、30cm、5cmである。その夜、移動した建物の直し方を木の家ネットのメンバ-(大江、梶谷、和田、宮本、杉岡、川端、丹羽、宮内)で話しあった。成果報告は後日行う。

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益城町、西原村の被災地を初めて見た。地獄絵だ。どうすることもできない。私の役目は川尻町の早期復興と石場建ての家の検証と決めている。

5月2日(月)

知らない方がよかった
揺れの激しさのわりには、熊本地震の圧死者が少ないわけ

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4月14日の夜、震度6弱の地震があった。漆喰壁の隅が欠けたぐらいだった。余震は、本震の7割なので、大きな余震があったとしても震度5強ぐらいだろうと思った。家族には、「大きな余震が起きたとしても震度5強なので、家の強度は充分だ。安心して住める」と言ったが、私の説得は聞かず、怖くて家の中に入らなかった。日ごろから信用は無いが、この日もなかった。それで私以外の家族は車中泊をした。無知の馬鹿どもがと思いつつ、私だけ安心しきって家の中で寝ていた。16日の朝方1時半に震度6強の地震を受けた。別物の本震だそうだ。宇宙遊泳みたいな気分になり、家は5㎝動いていた。

2万棟に及ぶ建物の全壊・半壊の被害のほとんどが16日地震によるものだ。阪神大震災以上の倒壊建造物被害があるのに、圧死者が少ないのは、14日の地震の恐怖で建物から逃れていたからだ。

5月1日(日)

応援部隊第4弾
瓦屋根の再建はとても早い

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熊本震災はあまりにも被害が大きい。全体での応援はできないので小さな街に絞っての応援だ。今回、古い日本の家屋は地震に弱いと烙印をおされそうである。だったら再建を早くしようと全国から大工たちが集まった。

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川尻町の瑞鷹酒造の6棟の早期再建を手がけた。みるみる内に元に戻っていく。ビデオを逆回ししているようなシーンである。これは、まさに壮絶なドラマである。

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1棟の屋根が葺き終ったら瑞鷹の社員から拍手が沸いた。目には涙を浮かべていた。

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この中の一人は女性の大工である。長野の三浦創建所属の門馬菜々さんだ。

5月1日(日)

応援部隊第4弾2
ブルーシートかけるより、瓦を乗せ変えた方が早い

100年前の建築物である。瓦も古い。ある意味で耐用年数を過ぎている。耐用年数が過ぎたものが壊れただけだ。天寿を全うした。30年しか持たない瓦以外の屋根材と比較するのを止めて欲しい。比較するならその材料が100年経過してからの勝負だ。

普通は、応急処置の工事は、屋根にブルーシートを掛けるだけだ。応援部隊は違うのだ。

瓦を下し、土を下し、野地板を打ち、ルーフィングを貼った。

後は瓦を葺くだけだ。熊本震災最速NO1の復興工事だ。


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