1 2

第14期 木の家ネット総会 岐阜・加子母大会 


2014年10月19日 第14期 職人がつくる木の家ネット総会 2日目

総会の続き

二日目の朝は、朝食の会場でそのまま総会の続き。前夜の分科会での熱いトークについて、それぞれの部屋ごとの発表があった後、新しく会計を司ることになった佐野喜美子さんの紹介と第13期決算と第14期の予算の発表、木の家ネットの創立当時の経緯について元代表の加藤長光さんと立ち上げ当初の運営委員である渡辺隆さんからのお話などがありました。あわただしくチェックアウトして、車に分乗して、加子母へと向いました。

総会二日目。朝からの総会での、前夜の分科会の報告タイム

今も現役の地歌舞伎の舞台
かしも明治座を見学

かしも明治座

最初の目的地は岐阜県重要有形民俗文化財の「かしも明治座」。明治27年に建てられ、幾度も改修を重ねた、瓦屋根、白壁総2階建てのこの芝居小屋は、舞台は8間スパンの大空間、木造の回り舞台やスッポンも備えるという本格的なつくり。江戸時代から地芝居が盛んな東濃地域ですが、ここは、昭和48年に発足した加子母歌舞伎保存会により、毎秋、熱の入った地歌舞伎が上演される今も現役の劇場です。時には、結婚式に使うカップルも居るとか。

ちょうど、明治座をなるべく創建当時の姿に戻しつつ耐震改修をする工事が始まる前で、運良く見学がかないました。

引き幕の前でお話してくださる中島さん

まず、中島工務店の中島さんや役場の内木哲朗さんが、明治座の歴史や、地元の人が育てて来た地歌舞伎について、また、原木生産から住宅づくりまで一貫しての林材建設業を主軸とする加子母の地場産業についてお話くださいました。また、次に、この明治座の耐震改修工事の実施設計に携わっている滋賀の川端眞さんから、限界耐力計算を用いながら、この大スパンの空間をいかに木造だけで成立させるかという苦労話もありました。

左:花道の七三のところに地下から登場する「スッポン」 右:回り舞台の下の機構はこうなっている

女たちがみんなでお金を出し合って贈った引き幕の美しさに驚嘆したり、回り舞台の下に入ってのスッポンから出ての舞台裏を見学したりと、楽しく時間が過ぎました。

なお、この明治座の改修工事は無事終了し、2015年10月にはお披露目のイベントも行われました、屋根がセメント瓦から、元の栗の割板(くれ板)葺きとなり、大分印象が変わりました。

左/完成した明治座 右/総会では、石置きに復元する屋根の模型も見せていただきました

自然林の中に立派な桧が林立する
神宮備林

明治座の後はいよいよ、マイクロバスを3台に分乗して「井出ノ之小路山」に向かいます。ここはかつては江戸城築城の用材を産出した地。今は、伊勢神宮の式年遷宮に木材を供給する、面積730ha 蓄積32万立米の神宮備林となっています。産出する樹種は7割が桧、3割がさわらですが、広葉樹との混淆林となっています。

案内してくださったのは、かつては加子母の「殿様」と呼ばれた、代々尾張藩に仕えた山守の末裔の内木哲朗さんです。2013年に放映されたTBSのドラマ「命」は内木家を舞台にしたドラマでしたが、津川雅彦さんがこの山守の役を演じられました。内木さんは、まず、紙芝居仕立てで、この森の特徴や、いかにこの山を守ってきたを語ってくださいました。

代々守って来た森の歴史を語る内木哲朗さん

山守とは、藩から山の管理を任された云わば公務員。樹木だけでなく、境界線(幕府と藩、藩と藩)の定期的な点検、鷹狩り用の鷹を献上するための鷹の巣の管理、山火事の消火活動、山の案内、森林警察などが含まれ、山に関係する全ての仕事を任されていました。内木家が管理する山の面積は約3万ha。そのような膨大の仕事をこなす為には、年間260日は山に入り、山小屋などで暮らす日々だったそうです。

この森の何よりの特徴は、植林をしていないということでうす。岩だらけのこの急峻な土地で、実生で芽を出し、長い根っこを深く地中にのばし、ゆっくりと成長する木が生き残った結果として、目の詰んだ、高樹齢の有料な建築材が得られるのだそうです。

実生で大地に深く根を下ろした木には、荒々しい生命力を感じます。

山のどこに、どれくらいの木があるのかという全容を把握し、用材を求められた時に、どこから伐りだせば、森林蓄積を減らすことなくバランスを保てるかを、判断しつつ、需要に応える。それが、自然に育つ樹を見守る山守のもっとも大切な任務です。その中で内木さんの先祖がたどりついたのは「六十六年一巡之理」。

ある区域を、一斉に皆伐するのでなく、7〜8寸程度以上に育った木だけを択伐し、66年後までは、風倒木や疵木を整理するぐらいで、大きな木が伐られて日が射すようになった跡に実生で芽を出した木が育つのを、見守る。広大な森を知り尽くしていなければ、そしてそれを親から子、子から息子へと世代を越えて連綿と伝えていかなければ、できない森づくりです。そのような営みがあってこそ、今のこの豊かな森の姿があるのだなと、気が遠くなるような感動を覚えます。

紙芝居より。植林をせず、さまざまな樹種の中で自然更新してきた森と、木の活用について分かりやすく説明されていました。

また、伐った木材を川に流して輸送する絵を見ると、木材一本一本に記号や文字で、生産地、樹種 長さ、幅、厚さ、伐出した人、場所などが記載されていることも教えてくださいました。品質管理もトレーサビリティーも現在以上に進んでいたことが伺えます。

内木さんのお話をかみしめながら「千年杉」をめざして、山へハイキング。実際に歩いてみると、前年の奈良の総会の時に訪れた、人工的に植林してできあがっている吉野美林とは対照的な様相に驚きます。樹齢300年、400年という高樹齢の桧やさわらがそこここにあるのですが、整然と植わっているのではなく、針葉樹も広葉樹もあわせて、多種多様な樹木が混在する森の中に「点在」しています。しかも、自ら実生で生き抜いて来た力強さなのか、うねるようにして地面から立ち上がっているような荒々しさです。

奥へ奥へと歩いていくと、樹齢1000年と言われるヒノキにたどり着きました。ほんとに急な山場に、枝は崖側だけに出して、岩を抱えるようにして、高さ26m、胸鷹直径154cmという立派な杉がまっすぐ立っていました。1000年といえば、尾張藩よりもはるか前の時代です。内木さんの祖先がずっと見守って来た、山の主のような木です。

険しい斜面にスックと立つ千年杉

千年杉から山道をおりると、バスが迎えてくれていて、昼食のお弁当が配られました。メニューは名物の「ホオバ寿司」。大きな朴の葉に包まれた、ごはんと色とりどりの魚、漬け物。香りもよく、美味しかったです。

加子母の名物、朴葉寿司

その後、山道をおりて、平成伊勢神宮の式年遷宮用材となった中で最初に斧を入れた切り株の見学をしました。三方から斧を入れて倒す「三ツ緒伐り」の跡がはっきりとわかりました。(文/持留 ヨハナ)

オプションツアー:
山守り内木家

代々山守をつとめてきた内木家

山の見学も終わり、遠方の方が一時解散した後、オプションツアーとして山を案内して下さった山守り内木家の実家見学がありました。映画のロケにも実際使われた場所だそうです。長い間空家になっていたらしいですが、ほぼ昔のままの形で建っていました。

座敷に座り、内木さんから昔の資料の数々を見せていただきました。その中で特に興味を持ったのが、山守が書いた作業日誌でした。文面は昔の文字で読み取る事ができませんでしたが、内木さんによると『山守として一年の大半を深い山奥で過ごしているため、親が倒れても、子供が病気になっても帰る事さえできない過酷な仕事』だったそうです。

内木家では、代々の山守がつけてきた日記を保存している。

一見無造作に置かれている資料や絵でしたが、すべてが貴重な文化財だと思うと手に取るのも怖いくらいでした。座敷に掛けられた掛け軸には内木さんのご先祖様が山の中で休憩している姿が描かれていましたが、ちょっと内木さんに似てたかも・・・。

年間260日は山中で過ごしたという内木家の子孫

オプションツアー:
山守り内木家と加子母大杉

内木邸からみんなを乗せたバスは、山からどんどん離れ平坦地へと進みます。家も建ち並ぶ場所でどこへ行くのか不思議に感じていると、あきらかにそれだと分かる巨木が外に見えてきました。

平坦地に一本だけ立つ、高さ31m、幹回り13m、樹齢1000年を超える加子母大杉は、存在感を放ち、躍動感たっぷりで、力強く立っていました。『これはスゲェ!!』とみなさん感動している様子でした。

地蔵堂に貼ってあった「なめくじ祭り」のポスターにもみなさん喰いついていました。木の家ネット岐阜総会の全日程が終了しました。お疲れさまでした。(文/各務 博紀)


1 2
内木さんの案内で、加子母の木々を見上げる会員たち